Ⅶ・王と執政と5

「いよいよだな。あの年下の間男、これからどうなると思う?」


 間男という言葉にハウストは眉間に皺を刻む。

 事実でなかったとはいえ不快であることに変わりはない。


「人間の国などどうでもいい。ここで死ぬような男なら所詮それまでの男ということだ」


 そう、それだけの話である。

 国内問題は国民と王が解決すればいいことであり、わざわざ異界のハウストやジェノキスが関与することではない。

 だが一時間後、ブレイラが何か仕掛けてくる可能性は否めない。

 何をどうしてくるかは不明だが、ブレイラの諦めの悪さも怒った時の面倒臭さもハウストが一番よく知っていた。

 手を焼かせるなと困ることもあるが、それでもブレイラの護衛に魔狼を潜ませるのだから、我ながら甘いとハウストは自嘲する。

 叶うなら今回の件には一切関わらず、自分の隣にいてほしかった。しかしイスラが行方不明になった時点でそれは最初から無理だったのだ。ブレイラは何よりもイスラの母親で、イスラの為なら命すら懸けてしまえることをハウストは知っている。


「……厄介なものだな、勇者の親というのは」


 そして今回の一件は最終段階を迎えようとしていた。果たしてブレイラが何を仕掛けてくるか見もので、楽しみなようなそうでないような複雑な気分だ。


「処刑場へ行く前に精霊王を迎えよう。話しておきたいことがある」


 ハウストはそう言うと立ち上がり、精霊王を迎えに行くのだった。





 モルカナ国の中心にある広大な広場に多くの民衆が集まっていた。

 民衆が注目するのは広場の中心に作られた処刑台だ。

 今日ここで近海の海を支配していた海賊の船長アベルと、その仲間の海賊たちが処刑される。

 しかも処刑を魔王と精霊王が観覧するとあって一目近くで見ようと集まっていたのだ。

 しかし民衆の心中は複雑である。

 たしかに海賊は海の無法者だが、処刑が決まった海賊は略奪を繰り返していた他の海賊団を僅かな期間で制圧し、近海の治安を向上させてくれたのだ。

 海賊を英雄に祭り上げる気はないが、海の治安が守られていたのも確かで、なかには海難事故の際に救助された者もいた。

 そんな事もあって民衆の心中は複雑だったのである。

 だが今回、船長は魔王の寵姫を略奪して魔王の逆鱗に触れたという。ならば処刑も仕方あるまいと民衆は見守っていたのだ。

 そして太陽が真上にあがる頃、特別に作られた観覧席にモルカナ国の王妃、そして魔王と精霊王が姿を見せた。

 魔王と精霊王に民衆から大歓声があがる。三界の王とは、人間界の一般民衆からすれば神格の存在なのだ。

 モルカナ国の王妃が民衆に挨拶をし、観覧席の魔王と精霊王に恭しくお辞儀する。


「魔王様、大変お待たせしました。忌まわしき海賊の処刑が施行されれば海の平和も保たれます」


 直訳すると、早く殺したくて仕方がない。というところだろうかとハウストは内心嘲笑う。

 王妃にとって海賊の船長アベルは邪魔で仕方がない存在だったはずだ。それもあって今回、アベルを海賊として処刑できることが嬉しくて仕方ないのだろう。その表情も言葉選びも歓喜を隠し切れないものだ。

 ハウストとフェルベオはそれを嘲笑しつつも相手にすることはない。王妃の企みは把握しているが、三界の王からすればそれは所詮格下が行なう些末な事変なのだ。

 だが一つ、ハウストには気になることがある。王妃と結託している執政官の姿を朝から見ていないのである。


「執政官がいないようだな。何かあったか?」

「執政官は急ぎの所用がありましたので朝から城を出ております。何かご用でもありましたでしょうか?」

「そういうわけではないが」


 そう言いながらも王妃を見据える。

 すると居心地悪そうに目を逸らされた。当然である。執政官と王妃は結託した仲で、今回の処刑を執政官は王妃と同じくらい待ち望んでいた筈なのだ。


「まあいいだろう」


 ハウストは喉奥で笑い、高い位置に造られた観覧席から処刑場を見下ろす。

 王妃の命令が下され、縄で厳重に両手を縛られた船長アベルと海賊たちが姿を見せた。処刑場に上がると民衆から歓声と悲鳴が混じったような声があがる。

 その中で、アベルが真っ直ぐに観覧席のハウストを睨みつけた。

 処刑前だというのに鋭い眼光が翳ることはなく、ハウストは口元に薄い笑みを刻む。


「いい様だな」

「ああ? 偉そうにしやがって。魔王ともあろう男が、寵姫一人の為にあんな大掛かりな海賊狩り仕掛けるなんて世も末だな。ただの色ボケじゃねぇか」

「面白いことを言う。死を前にしても動じぬ姿は褒めてやろう」


 ハウストは愉しそうに笑うと、ふと真剣な面差しで処刑台の海賊を見下ろす。

 そして三界の王の風格を纏ったまま処刑台の海賊、否、本来は王であるべき男に問う。


「海賊として終わるか」


 その問いにアベルの表情が一瞬強張る。

 だがそれも一瞬で、次にはニヤリと挑戦的に笑った。


「俺は海賊だ」

「いいだろう。好きにしろ」


 ハウストはそう言うと観覧席のチェアにゆったりと座り、船長アベルの最期を見届ける事にする。

 ハウスト自身はアベルの死について何も思うことはない。ブレイラの憂える顔は見たくないが、それは時間をかけて慰めていくつもりだ。

 こうして処刑台のアベルや海賊たちが絞首台に乗せられる。

 民衆が固唾を飲む中、いよいよ処刑が施行されようとした時。

 突如、広場の民衆から悲鳴があがった。


「キャアアア! 魔物だわ!」

「あれはエルマリス様だ! いったいどういう事だ?!」


 巨大な魔狼が一陣の風のように民衆の頭上を駆け抜けたのだ。

 そして絞首台に立っていたアベルの側に一人の青年が降り立つ。そう、エルマリスだった。

 思わぬ人物が意外な形で現われ、民衆たちが騒然となる。

 王妃も驚愕に目を見開いてチェアから腰を浮かせていた。

 だが、ハウストだけは動じることなく処刑台に降り立ったエルマリスを見物する。


「この処刑、お待ちください!! この海賊を処刑してはなりません!!」


 広場中に響いたエルマリスの声。

 海賊を庇った執政補佐官に民衆たちはどよめき、王妃は激怒する。


「エルマリス、なにごとですか?! 魔王様と精霊王様の前で無礼であろう!!」


 王妃が叱責するも、エルマリスは強く王妃を睨み据えた。

 そして民衆の前で真っ直ぐに王妃を指差す。


「無礼は王妃、貴方です!!」

「な、なにをっ」

「この国の王が、なにゆえ自国で拘束されなければならないのか!! これこそが無礼!!!!」


 この言葉に広場がシンッと静まり返った。

 まるで時間が停止したようになる中、エルマリスはスラリッと剣を抜いてアベルを拘束していた縄を切る。そして跪いて臣下の礼をした。

 執政補佐官が海賊の船長を「王」と呼ぶ光景。この信じ難い光景に民衆は固唾を飲む。


「……いったい、どういうことだ?」

「エルマリス様は王と言ったのか……?」

「な、なにが起こってるんだ……」


 民衆がざわめきだし、それに王妃が焦りだす。


「し、静まりなさい! その者の戯言を鵜呑みにするでない!! 誰かエルマリスを捕らえよ!! その者は魔に憑りつかれて気が狂ってしまったのです!! その魔狼に乗っていたのが何よりの証拠!!!!」


 王妃は民衆に向かって声を張り上げた。

 エルマリスと魔狼を指差し、「早く捕らえて連れていけ!」と命じる。

 しかしそれにはハウストが不快を隠さない。


「勝手なことをされては困る。その魔狼は俺が従えているものだ」


 ハウストがそう言うと魔狼が観覧席にいるハウストの側に駆け寄ってきた。

「ご苦労だった」とハウストが褒めると、魔狼が鼻先をハウストに寄せて甘えだす。

 魔狼がハウストに懐いている光景に、エルマリスを捕らえようとしていた衛兵たちは困惑したように動きをとめ、王妃は愕然とした。


「な、なぜ、どうして魔王様の魔狼がエルマリスとっ……」

「俺の魔狼はブレイラの護衛として使わせていた」


 こうしてエルマリスの疑いは晴らされ、残ったのは王妃にかかった疑惑のみ。

 エルマリスが更に畳みかける。


「王妃様、ご観念ください! 貴方は本当にモルカナ国の王妃でしょうか!! いえ、それ以前に人間でしょうか!!」


 確信が籠もった強い問いかけに王妃は忌々しげに顔を歪める。


「な、なんて無礼なっ。わたくしが人間でないとでもっ……」

「我が父エルスタンは死にました! 国の乗っ取りを企み、人間ではなくなったのです! 王妃様、貴方と執政官の企みは白日のもとに晒されます!! どうぞご観念ください、そして名誉を守って裁きを受けてください!!」

「お、おのれぇっ、たかが執政補佐官の分際でっ、よくも、よくもおおおおおっ!!!!」


 ゴキッ、ゴキゴキッ! メリメリッ!!


 王妃の体の関節が変形し、服を突き破って背中から巨大な翼が出現した。

 まるで人間と翼竜が掛け合わさった異形の姿。

 人間でなくなった王妃はエルマリスをぎろりと睨む。


「死ねええええええ!!!!」


 王妃は巨大な翼を広げてエルマリスに向かって急降下した。

 凄まじい勢いのそれにエルマリスの反応が遅れたが。


「死ぬのはてめぇだ!!!!」


 ズバアアァァァ!!

 刹那、アベルがエルマリスから剣を奪って急降下してきた王妃の胴体を両断した。

 異形となった王妃の最期に、広場にいた民衆から絶叫があがる。

 今まで信じていた王妃が異形の姿を晒し、そして海賊によって討伐されたのだ。混乱は当然である。


「アベル様っ……」


 エルマリスの声は震えていた。

 その声にアベルが振り向くも、なんとも言えない複雑な表情である。


「……エルマリス、怪我はないか?」

「ぅっ、アベル様! アベルさまっ、アベルさまあああ!!」


 泣き崩れたエルマリスにアベルは苦笑した。

 だが今は両断した王妃の、いや、王妃だったものの亡骸を見つめる。この異形の姿、これはもはや人間ではないのだ。

 そして魔王ハウストと精霊王フェルベオも王妃が見せた異形の姿に驚愕が隠し切れなかった。

 そう、その姿にずっと不可解に思っていたことの答えが見つかる。王妃と執政官が既に人間でなくなっていたのなら、たしかにクラーケンの封印を解くことも可能だと。


「あれは、……冥界の力だ。間違いない」


 冥界。そう口にしたフェルベオの声は微かに掠れていた。

 ハウストも目の前の現実に愕然とする。


「滅んだ世界が、どうして今頃になってっ……」


 だがそんな中、伝令の衛兵が駈け込んできた。


「魔王様、精霊王様、近海にクラーケンが出現しました!!」

「クラーケンが?!」

「まさかブレイラっ……!」


 報告にフェルベオとハウストの表情が一変する。

 王妃と執政官が、国に伝わる魔笛を使ってクラーケンの封印を解いたのは分かっていた。それは海賊の処刑後に暴き、クラーケン討伐とイスラ救出を行なうはずだったのだ。だが、事態は計算していたよりも早く展開している。ハウストは嫌な予感がした。


「エルマリス、何があったか話せ! ブレイラは今どこにいる?!」


 ハウストは声を上げたが、答えはなんとなく分かっていた。だがそれは最も外れてほしい答え。

 しかし泣き崩れていたエルマリスは真剣な表情で言い放つ。


「ブレイラ様はイスラ様を救出しようとクラーケンを呼び出しました!」

「っ、ブレイラ!」


 最悪だった。

 今までブレイラはアベル救出に関わってくると思っていた。広場のどこかに潜むのだろうと。

 しかし最初から狙いはイスラだったのだ。ブレイラにとっての最優先事項はイスラ。臆病な癖に、真っすぐにクラーケンに向かっていった。

 ハウストは予想外のことに舌打ちする。

 ブレイラがイスラを親として慈しんでいるのは分かっていたが、それを甘く見ていたとしか言いようがない。

 ハウストはすぐさま同行していた魔界の海軍に命令する。


「クラーケンを絶対に逃がすな!! この出現をもってクラーケンを討伐する!!!!」


 この命令に魔界の戦艦がクラーケン討伐に展開し、ハウストも自らが前線に向かう。

 そして精霊王フェルベオも同様だった。クラーケン討伐は精霊界の悲願である。

 ハウストとフェルベオは転移魔法を発動し、クラーケン討伐へ赴いた。

 こうして瞬く間に事態は急変し、観覧席にいた魔族と精霊族は海へ向かったのだった。

 そして広場には人間だけが残された。

 エルマリスはアベルの前に跪く。

 それは奇妙な光景だった。処刑台に立っているのは海賊の船長、その船長に執政補佐官が跪いているのだから。

 そしてエルマリスと同様に、アベルの正体に気付いていた衛兵たちが次々に跪きだす。


「お許しください、アベル様……っ!」

「アベル様、何も出来なかった我々をお許しください!」


 やがて民衆の中で先代国王の時代を知っている者たちも、まさか……とアベルの正体に気付き始めた。

 アベルこそが失踪した王位継承者であると。

 民衆と衛兵が固唾を飲んで見守る中、エルマリスが迫る。


「アベル様、どうぞご命令を」


 そう、迫ったのは決断と覚悟。

 今こそ王としての命令を迫ったのだ。

 沈黙が落ちる中、アベルは民衆と衛兵を見回し、最後にエルマリスを見つめる。

 アベルの帰還を待ち続けた忠臣であり、友であり、幼馴染であるエルマリスを。


「エルマリス」

「はい」

「船を出せ」

「アベル様、それじゃあっ……」


 エルマリスはごくりっと息を飲み、アベルの次の言葉を待つ。

 そう、国を動かす為の命令を。


「クラーケンを討伐する!! 魔族と精霊族に後れをとるな!! この海は、俺の国の海だ!!!!」


 それは宣言であり、王の命令だった。

 張り上げたアベルの声は広場中に響き渡り、民衆と衛兵から大歓声が上がる。


「アベル様っ……」


 エルマリスの瞳に涙が滲む。

 やっと、やっと国に王が帰還したのだ。この時を誰よりも待っていた。


「今まで悪かったな、エルマリス」

「いいえ、この時を待っていましたっ」


 エルマリスは涙を拭って大きく頷く。

 今は感激している暇はない。クラーケンを討伐せよと、王の命令が下ったのだから。


◆◆◆◆◆◆




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