Ⅶ・王と執政と4

「ブレイラ様、参りましょう。この国には大変な反乱分子がいたことが判明してしまいました」


 エルマリスは淡々と言いました。

 冷静に振る舞って、国の為に、次代の王であるアベルの為に、最善を冷静に思考しています。

 それはとてもエルマリスらしいもので頼もしく思えるものです。

 でも。


「エルマリス」

「ここでのんびりしている時間はありません。ブレイラ様は計画通りクラーケンを呼び出してください。僕は急いで城に」

「エルマリス」


 もう一度名を呼ぶと、ようやくエルマリスが口を閉ざしました。

 そして気丈な面差しのまま私を見つめます。


「ブレイラ様、今は感傷に浸る暇はありません。今、成すべきことを致しましょう」

「そうですね、あなたは正しい。では、彼は後から手厚く葬りましょう」

「何を馬鹿なことをっ! この男は国を裏切った大罪人です!!」


 エルマリスが睨みながら怒鳴りつけてきました。

 不思議ですね。怒鳴り声のはずなのに、泣き叫んでいるように聞こえました。

 プライドの高いエルマリスはきっと否定するでしょうが、私にはどうしても泣き叫んでいるように聞こえるのです。


 だから、私はエルマリスの為に言葉を続ける。


「でも、あなたのお父様ですよ」

「っ……!!」


 刹那、エルマリスの気丈だった面差しが崩れました。

 握り締めた拳がぶるぶる震えています。

 その手をそっと両手で包み、ぎゅっと力をこめる。


「私に親はいないので、あなたの気持ちが分かるとは言いません。ですから、今はこうしています」

「ぅっ、うぅっ」


 エルマリスの噛み締めた唇から嗚咽が漏れています。

 血が出るほど強く噛み締めても嗚咽が漏れて、涙が次から次へと溢れだす。

 その姿に私の胸はしめつけられ、堪らずにエルマリスを抱きしめました。

 するとエルマリスも私の背中に手を回し、ぎゅっとしがみ付いてきます。


「っ、申し訳、ありませんっ……。こんな愚かな男でも、ぼくの、父親でした……っ」


 そう言ったエルマリスの声は涙に濡れて、微かに震えていました。

 私に縋りつく手はまるで子どものように頼りなくて、慰めるようにエルマリスの背中を擦ります。


「お墓、作ってあげましょうね」

「はい……」


 エルマリスが小さく頷きました。

 同時に強張っていた体からふっと力が抜けていく。

 お墓は死者の為のものではなく、生きている者を慰める為のものだともいいます。私はお人好しではないので、よく知らない執政官の為に墓を作れと言ったわけではありません。エルマリス、あなたの為の慰めです。

 少ししてエルマリスが泣きやみ、おずおずと顔をあげました。


「……恥ずかしい姿をお見せしました」

「いいえ、普通のことですよ」


 たとえ大罪人でも親であることに変わりはありません。

 本当はもっと休ませてあげたいくらいですが、今はそれが許されていない急を要する事態です。

 私は次に側で待っていてくれた二頭の魔狼に向き直りました。

 この二頭はハウストが従えている魔狼です。きっとハウストは私の勝手な行動を見抜いていたのでしょう。


「ありがとうございます。あなた達のお陰で助かりました」


 私が手を差しだすと、二頭の魔狼が擦り寄ってきました。

 ふわふわの黒い毛並を撫でると、嬉しそうに鼻を寄せてくる。


「ふふふ、くすぐったいじゃないですか」


 巨体で懐いてくる姿が可愛くて、いい子いい子と魔狼の喉を撫でます。

 そして二頭をぎゅっと抱き締めました。


「ハウストがあなた達に命じてくれたのですね、私を守ってくれるように。本当にありがとうございます。ほんとうにっ……、ぅっ」


 嬉しくて視界が涙でじわりと滲みます。

 この二頭を寄越してくれていたということは、私をまだ少しは気に掛けてくれているということですよね? そう信じていいですよね?

 私は顔を上げると、鼻を寄せてくれる魔狼に話しかけます。


「あなたにお願いがあります。エルマリスとともに城に戻り、この非常事態をハウストに伝えてください。そしてもう一つ、ありがとうございます、と。どうか私を信じて、いえ、……今日が終わっても愛していてくださいと、そう伝えてください……」


 そう言うと魔狼が慰めるように鼻先をすりすりしてくれました。

 魔狼に頬を寄せ、ありがとうございますと小さく笑いかけます。


「わがままが多くてごめんなさい。行ってくれますね?」

「ワオン!」


 魔狼はひと鳴きすると、エルマリスの前で巨体を屈める。

 エルマリスは魔狼に跨って私を振り返りました。


「ブレイラ様、どうかお気を付けて」

「あなたも。幸運を祈ります」


 最後にそう声をかけると、エルマリスを乗せた魔狼が城に向かって駆けだして行きました。

 気が付けば太陽が徐々に空の真上へと近づいています。魔狼の足ならきっと間に合ってくれると思いますが、問題はクラーケン。

 残ってくれたもう一頭の魔狼に話しかけます。


「あなたはもう少し私に付き合ってください。どうしても、しなくてはならない事があるのです」

「ワオン!」

「ありがとうございます。こっちへ」


 私は魔狼をつれて一緒に小舟へ乗り込もうとしましたが、ローブの裾を咥えられて引き止められます。

 振り向くと魔狼が巨体を屈めてくれました。


「もしかして乗れというのですか?」

「ワオン!」

「あなた、海の上も走れるのですか?」

「ワオン!」

「それは驚きましたっ。魔狼というのは凄いんですね!」


 褒めると嬉しそうに魔狼が鼻を鳴らす。

 驚きです。魔狼が普通の動物でないことは知ってましたが、まさか海の上まで走れるなんて。外見は似ていても魔界の動物は人間界のものとはまったく違うのでしょうね。


「ありがとうございます。では、よろしくお願いします」


 そう言って魔狼の背中に跨ると黒い毛並にぎゅっと抱きつく。

 魔狼はすっくと立ち上がり、大海原に駆けだしました。


「わあっ、本当に海の上です!」


 波間を縫うようにして魔狼が沖に向かって走ります。

 まるで海を渡る風になったような心地です。

 でも風を感じる気持ちも束の間で、早くしなければと焦りに襲われる。

 早く沖へ出て、魔笛を吹いてクラーケンを呼び出さなければなりません。

 吹いて直ぐに来てくれれば良いのですが、現在クラーケンがいる場所によっては時間がかかるかもしれないのです。


「イスラ、待っててくださいね」


 私は魔笛を強く握り締め、前をじっと見据えました。





◆◆◆◆◆◆


「魔王様、顔、顔」

「顔?」

「こわすぎ。さっきの侍女の子たち怯えちゃって、可哀想に」


 軽い口調でそう言ったジェノキスに、ハウストの顔が更に不機嫌なものになっていく。

 先ほど、ブレイラ専属の侍女たちが青褪めながら『ブレイラ様の姿がお部屋にありませんでした』と報告にきたのだ。ブレイラはわざわざベッドにクッションを入れていたそうで発見が遅れたらしい。今は侍女たちが城中を探しているが、見つけられることはないだろう。

 なぜなら、ハウストはブレイラが城を出たことを知っていたからだ。

 そう、あの回廊で擦れ違った時、ハウストはブレイラだと気付いていた。ブレイラの方は気付かれていないと思ったようだが、あれで気付かないはずがない。

 ブレイラは上手く衛兵に変装したつもりかもしれないが、回廊で擦れ違う時に魔王ハウストと堂々と擦れ違ったのだ。普通の衛兵なら脇に避けて直立不動で敬礼である。

 はっきりいって不審以外の何ものでもなかった。中身がブレイラだと気付いていない海軍将校が怒鳴ろうとしていたが、それも仕方ない話しだ。


「ブレイラが心配な気持ちも分かるけど、ちょっとくらい気遣えばどうです?」

「貴様には関係ない。それにブレイラには俺の魔狼を使わせてある」


 回廊で擦れ違った時、ブレイラは明らかに何かを企んでいた。どう考えても嫌な予感がして、密かに二頭の魔狼をブレイラの影に潜ませたのだ。万が一の時、ブレイラを守るようにと。


「さすが、もう手は打ってるわけですか。それなら魔王様に報告が二つ。一つは精霊王がもうすぐここに到着するってことと、もう一つは」


 ジェノキスはそこで言葉を切ると、周囲を警戒して声を潜める。


「裏は取れた。魔王様が予想したとおり、クラーケンを復活させたのは王妃と執政官だ」

「やはりそうか」


 報告内容にハウストがスッと目を据わらせた。

 だが確信を固めながらも、どうしても引っ掛かることがあった。千年以上前の封印とはいえ普通の人間が精霊王の封印を解けるものだろうか。何か一つ、決定打に欠けるのだ。

 はっきりいってモルカナ国のお家騒動など魔界にも精霊界にも関係ないことである。人間界の一国を誰がどのように治めようとどうでもいい。

 しかしクラーケンだけは無視できなかった。なぜならクラーケンは三界に存在してはならない怪物だからだ。

 ふと扉がノックされて従者が報告に来る。


「失礼します。今から海賊の船長アベルとその仲間の身柄を処刑場まで移送します。魔王様もご用意が整いましたら広場へおいで下さい」


 そう言うと従者は立ち去っていく。

 時計の針は午前十一時を指している。後一時間で正午だ。

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