Ⅲ・海戦と怪物と10
「う、うわあああああ!! ク、クラーケンだあああ!!!!」
「逃げろ!! クラーケンが出たぞ!!!!」
「封印がっ、封印が解けたんだ!!」
精霊族の士官たちがこの世の終わりのように叫び、甲板はパニック状態になりました。ある者は恐怖のあまり硬直し、ある者は逃げ惑い、ある者は無我夢中で剣を振るい、ある者は一目散に海に飛び込んでいく。甲板は右往左往する者達で溢れかえり、私は訳が分からずに呆然としていました。
「クラーケン? なんですかそれ……、なんでこんな怪物がっ」
「あいつ、……たおす」
イスラがクラーケンを見据えたままぽつりと言いました。
まるで暗示にかかったようにクラーケンをじっと見ています。
「イスラ? あなた何を言って……っ。まさか、あのクラーケンとかいうのを知っているんですか?!」
「わかんない。でも、たおす」
「たおすって、いったいどういう。っ、うわああああああ!!」
――――ドゴオオオオン!!!!
クラーケンが巨大な足を空へと持ち上げ、一気に振り下ろしました。
戦艦を真っ二つにするかのように足が甲板にめり込み、ミシミシッと船が嫌な音をたてます。
「ブレイラっ、ブレイラ!!」
「イスラ!!」
「ブレイラ、だいじょうぶ?!」
「私は大丈夫ですっ。今はここから逃げましょう! このままじゃ船は沈みます!!」
ガクガク震える足を叱咤して立ち上がり、イスラをつれて戦艦にある救命舟へ向かおうとしました。
でもイスラが動いてくれません。
「ブレイラは、にげろ」
「な、なに言ってるんですか! あなたも一緒です!!」
「あいつを、たおす」
「あなたが倒さなくてもいいんです!!」
「でもオレはゆうしゃだから」
「勇者でもです!! それにあなた、今は呪縛魔法で魔力が使えないんですよ?!」
「あっ……」
「もうっ、なに忘れてるんですか!!」
呆れました。でもこんな所で言い合っている暇はありません。
早くイスラをつれてここから逃げなければ。
「とにかく逃げますよ、イスラ!!」
イスラの手を引いて駆けだそうとし、――――パッ、と手を離されました。
繋いでいた手が空っぽになって、思考が停止する。
「え、イスラ……?」
「ごめんなさい、ブレイラ」
イスラが私をじっと見つめています。
子どものくせに怖いほど真剣に、強い意志を持って、強い瞳で。
「あいつ、たおさなきゃ」
「だ、だめですっ。そんなの絶対だめです……っ」
声が、震えました。
戻ってきてほしくて、手を繋ぎたくて、イスラに向かって手を伸ばします。
お願いだからと祈って、手を伸ばします。
だって私、その瞳、見たことがあるんです。
あれは先代魔王との決戦時、勇者の力を奪われたというのに、それでも戦いに行こうとした時の瞳。そう、勇者の瞳。
「あいつ、やっつけてくる!!」
「イスラ!!!!」
イスラは踵を返して駆けだして行きました。
こういう時イスラはいつも振り返らない。あの時も、今も!
「ああ待って! 待ってくださいイスラっ、イスラ!!!!」
大声で呼んでも小さな体は決して立ち止まってくれません。振り返ってくれません。
魔力を封じられている癖にどうやって戦うのです。どうしてあなたが戦うのです。
「イスラ、イスラ……!」
私もイスラの後を追って走りだしました。
戦艦は高波と衝撃で激しく揺れて、何度も転びそうになります。
こうしている間にもイスラはクラーケンと対峙し、身軽に動いて怪物の巨体を翻弄する。でも魔力を使えないイスラは無力で、甲板に落ちている木片や機材を「えいっ、えいっ」と必死に投げていました。
「誰かっ、お願いです誰か……! イスラを止めてくださいっ!!」
祈るように叫びながらイスラの元へ向かいます。
でもその時、ドンドンドン!! 遠くから砲撃音が響きました。次の瞬間、クラーケンに砲弾が命中する。
「っ、わあっ!」
爆風と衝撃にしゃがみこむ。
でも、それは援軍の砲撃でした。
前線で海賊と戦っていた主力艦隊が異変に気付き、周囲の護衛艦とともにクラーケンへ攻撃を開始したのです。
「ハウストっ……!」
王旗を翻した戦艦がこちらへ向かってきています。
ハウストは海賊拿捕を断念し、対クラーケンを優先してくれたのでしょう。
ハウストが来てくれるなら、きっともう大丈夫です。
しかしほっとしたのは束の間でした。
ギギギギギギギィッ……!
木板や鉄板がしなる嫌な音が響きました。同時に戦艦全体が傾いて軋みだし、何かに引き摺られるように動きだす。
「まさか……!」
全身から血の気が引きました。
砲弾の攻撃に驚いたクラーケンが、この戦艦ごと海へ逃げようとしているのです。
「イスラ、こっちへ来なさい! 早く逃げるんです!!」
必死で叫びました。
このままでは戦艦は海へ引き摺りこまれます。
しかしどれだけ叫んでも声は届きません。しかも海へ潜りだしたクラーケンの足にイスラが捕まっている。
そして一瞬イスラと目が合ったと思った瞬間。
「ま、まって、まってっ、待ってください、待ってっ……!! あああああああっ!!」
イスラの姿が海へ消えたのです。
全身からサァッと血の気が引き、体がぶるぶる震えだす。
「あ、ああ、あっ、イスラああああ!!!!!!」
気がおかしくなりそうでした。
イスラが、イスラが海に消えてしまった……!
「だめっ、だめですだめ! まって、まってくださいイスラっ! まって!!」
クラーケンが潜っていった海面は渦巻き、戦艦が引き摺りこまれようとしています。
甲板には脱出しようと多くの士官や兵士たちが右往左往している。
イスラはまだ幼い子どもだというのに、なのにどうしてこんな目にっ。まだ幼い子どもなのにッ!
イスラが自ら海に飛び込んだのか、それともクラーケンに連れ去られたのか、混乱しながら必死に考え、大丈夫っ、大丈夫と自分に必死に言い聞かす。根拠なんてどうでもいい、とにかく大丈夫なんです!
だから早く助けないとっ! 早く、早く私が助けないと!!
傾いた戦艦の中で一隻の救命舟を見つけました。
急いで救命舟に乗りこみ必死で漕ぎます。
もちろん舟の漕ぎ方なんて分からないので見様見真似です。
「イスラっ、イスラ待っててください! 絶対に助けてあげます!!」
たとえ絶望的な状況でもイスラが死んだなんて思ってません。
絶対に生きています。死んだなんて思いません。だって私はイスラの死んだ姿を見たわけじゃないんです。海に沈もうがイスラは絶対生きてます。
ゴゴゴゴゴゴゴッ……!
背後で凄まじい轟音があがり、戦艦が海中に引き摺りこまれていきました。
他の戦艦が接近してきて、海に投げ出された者たちの救出を始めました。
先ほどまで海に浮かんでいた戦艦があっという間に海中に消え、恐怖に体が強張ります。でも足を竦ませている場合ではありません。
「っ、く……! どこに行ったんです!!」
海を見据えて巨大な影を探しました。
まだ遠くへは行っていないはずです。
でもクラーケンはそのまま海中を移動し、もう姿さえ見えなくなっていました。
このまま当てもなく広大な海を探すのは無謀に近い。ならば確実にいる場所を探した方がいいに決まっています。あれだけの巨大な怪物なんですから、きっと知っている人もいるはずです。
それに、イスラは最初からクラーケンの存在を知っているようでした。イスラが必死に海を目指していたのは最初からクラーケンを討伐する為だったのでしょう。
私はもちろん、ハウストですらこの海域にクラーケンがいることを知らなかったというのに。だから、他にも知っている者がいるはず……。
「クラーケンの居場所は……、もしかしたらっ」
一人だけ思い当たる男がいます。
それは海賊の船長。あの男は最初からクラーケンのことを知っていた可能性があります。
「急ぎましょうっ」
私は混乱する艦隊の間を縫って急いで海賊船へ向かいました。
海賊船の船上はひどく慌ただしいものになっています。海に落とされた者や怪我人を救出し、クラーケン出現の混乱の機に乗じて逃げるつもりですね。
そうはいきません、私もこの混乱を利用してやります。
こっそり救命舟を近づけ、仲間を救出している海賊たちの隙をついて乗り込みました。
船内は怪我人の救出に慌ただしく、忙しい者たちと擦れ違っても誰も侵入者に気付きません。海上ということで油断もあるのでしょう。
そして甲板でとうとう船長を見つけました。
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