六ノ環・冥界の息吹き2


 あの枯れた花畑を後にし、私たちはアロカサルへ向かっていました。


「ハウスト……」


 名を呼ぶとハウストは私とイスラを乗せた馬を引きながら、いつもと同じ穏やかな表情で振り返ってくれます。

 でも僅かに遅れた反応に、彼が何やら深く考え込んでいたことが分かります。


「どうした?」

「……それ、私が聞きたいです。ずっと考えごとしてますよね?」

「どうやらぼんやりしていたようだな。気を付けよう」

「そうではありません」


 私が言いたいのはそういうことではありません。

 ハウストは分かっているのに、わざと誤魔化しました。それも気に入りません。

 怒りますよ? じろりと睨むと、ハウストは観念したような顔になりました。


「すまない。お前を不安にさせたくなかった」

「それなら逆効果です。あなた、ずっと怖い顔をしていますから」


 あなたは心配ごとがあると怖い顔になるんです。

 冥王ゼロスが現われてからハウストはずっと考えごとをしています。


「ゼロスのことですよね?」

「ああ、奴がなにを企んでいるかが気になっている。冥界は三界には存在してはならない世界だ」

「何かが起きるということですか?」

「まあな。だが、何を切っ掛けにして起きるか分からない。しかも起きた時は手遅れだ」


 冥王ゼロスの目的は冥界の復活です。

 それを悲願としながらも今まで復活させられなかったのは、なんらかの条件が整っていなかったから。しかし今、その条件が揃おうとしているのかもしれません。

 条件が整った時が切っ掛け。そして、復活するのでしょう。


「一応、三界には報せをだした。魔界にはフェリクトールが、精霊界には精霊王がいるから問題ない。だが人間界がどうしても手薄だ。おそらく狙われるのは人間界だろう」

「……人間界が」


 視線が落ちて、私の前に乗っているイスラを見つめる。

 ちょこんと馬に跨った体はまだまだ頼りなくて、私の両腕に収まるほど幼いです。

 でもイスラは勇者です。人間の王であり希望。

 人間界が狙われれば戦うのは勇者であるイスラ。そのことは世界の人々はもちろん、イスラ自身でさえ自覚しています。

 どんなにまだ子どもだと声をあげても聞き入れられることはないでしょう。幼かろうが勇者である限り戦いに身を投じなければならない。それが勇者というもの。

 複雑でした。人々が勇者に願う気持ちは分かります。私だって勇者がイスラでなければ、勇者が世界の為に戦うことになんの疑問も抱きませんでしたから。


「ブレイラ?」


 ふとイスラが振り返り、「どうしたんだ?」と大きな瞳で見上げてきました。

 イスラは今までも戦ってきました。でも世界を守るとか高尚な理由で戦ったことはありません。戦う理由はいつも『悲しいのは駄目だから』という単純なもの。


「なんでもありませんよ」


 心配させないように笑いかけ、いい子いい子と頭を撫でる。

 すると嬉しそうにはにかんで、「ブレイラ!」と後ろの私に凭れかかってきました。


「ほら、いきなり動くと馬から落ちてしまいますよ?」

「だいじょうぶだ! オレはつよいから、おちない!」

「ふふふ、なんですかそれ」


 甘えるように擦り寄ってきたイスラを後ろからやんわりと抱きしめました。

 まだまだ幼い子どもの体。でも、勇者として常人を遥かに超えた力を持っているのも確かです。

 皮肉なものですね、私はイスラに戦ってほしくない。普通の子どものように守られていてほしい。でも、この強さに私自身も何度も救われてきました。


「イスラ、改めて礼を言います。私を迎えに来てくれてありがとうございました。あなたはいつも私を救ってくれますね」

「うん、ブレイラはオレがまもる!」

「頼もしいですね。私と離れている間、怖い思いはしませんでしたか?」

「だいじょうぶ!」

「良かった。離れている間もあなたのことをずっと思っていました。アロカサルを人間界に戻したら、一緒に帰りましょうね。人間界で一緒に砂漠のアロカサルを見たいです。今のアロカサルは森の中にありますが、砂漠にあるアロカサルはとても美しいと聞いているので楽しみにしているんです」

「うん! ブレイラといっしょにみる!」


 いっしょだとはしゃぐイスラが可愛いです。

 こんな幼い子どもが戦うのかと思うと、冥界という存在がただ憎らしくなる。しかも冥王ゼロスには首を絞められて散々な目に遭いました。

 ゼロスのことを思い出して目を据わらせましたが、ふと引っ掛かりを覚えました。


「ハウスト、一ついいですか?」

「どうした?」

「さっきのゼロスのことです。ゼロスは復活させると言っていましたが、それって冥界も三界のように存在を表に出すということで、いいんですか?」

「何が言いたい?」

「……妙な言い回しだと思ったんです。冥界は存在してはならないという事にされていても、実際は存在しています。だから復活とは言わないかと思いまして……」

「それは確かに奇妙だな」


 ハウストは厳しい面差しになりました。

 ゼロスの目的は冥界の復活のはずですが、他にも何かあるのでしょうか。


「ブレイラ、あれ! あれがアロカサル?」


 イスラが前方を指差しました。

 見ると森の向こうに都の城壁が見えます。ようやくアロカサルに到着したのです。

 初めて見たアロカサルにイスラは嬉しそうでしたが、不意にその表情が変わりました。


「……へんだ」

「どうしました?」


 イスラを見ると小さな眉間に皺が寄っていました。


「へんだ。なんか、へん」


 イスラの変化に訳が分かりません。でもハウストは理解したようで、彼も険しい表情になります。


「冥界の気配が濃くなっている。冥界の侵蝕が進んでいるようだな」

「えっ、それじゃあ、このままだとこの異界は冥界になってしまうんですか?」

「ああ、時間の問題だ。アロカサルへ急ぐぞ」


 ハウストはそう言うと足を速めます。

 ハウストもイスラも真剣な面差しで都がある方を見据えている。いつにない二人の様子に私も胸騒ぎを覚えました。





 そしてその胸騒ぎは的中しました。


「これはっ……」


 目の前に広がった光景に息を飲む。

 到着したアロカサルには誰もいなかったのです。

 賑やかだった都はシンッと静まり返り、人の気配を感じません。


「ゴルゴス、どこにいるんですか! 出てきてください!」


 誰もいない大通りを歩きながら声を張り上げます。

 しかし返事はなく、ハウストとイスラとともに都の人々を探し回りました。

 都の中心にある首長の館に差しかかった時。


「ブレイラ!」


 突然ハウストに抱き寄せられたかと思うと彼の大剣が一閃する。

 ギャアアア!!!! 甲高い悲鳴があがりました。

 振り返って息を飲む。


「いつの間にっ……」


 そう、都の地面、壁、家屋、建物、私たちを囲むようにして植物の根っこが張り巡っていたのです。

 それは都への侵入を許したということ。では、ゴルゴスや都の人々はどうなってしまったのか。

 青褪める私の肩をハウストが抱き寄せてくれます。


「大丈夫か?」

「わ、私は大丈夫ですっ。それより都が!」

「ああ。穏やかな状況ではないようだ」


 ハウストはそう言うと張り巡った植物の根を見回しました。

 根はじりじり近づいてきていて、またいつ襲いかかってきてもおかしくありません。

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