第六章・あなたの親になりたい。今、心からそう思うのです。4
視界を覆うのは一面の闇でした。
暗闇で足元さえよく見えず、何度も転びそうになります。
でも闇があるから身を隠せます。私とイスラは夜闇に紛れ、手を繋いでひたすら夜の山道を進んでいました。
「イスラ、大丈夫ですか? もう少し頑張ってください。夜の間にせめてこの丘を越えないと」
「わかった」
イスラは決して弱音を吐かずに前だけを見て歩いています。
その健気な様子に胸が締め付けられる。ゆっくり休ませてあげたいですが、夜の闇が私たちを隠してくれているうちに少しでも遠くへ逃げなければいけません。
もちろん行き先なんかありません。でもこの国では暮らせないので、とりあえず国境を越えて隣国へ行きましょう。海を越えるのも悪くありませんね。
私は賞金首なので普通に国境を越えることはできませんが、密入国する方法だって考えてみせます。イスラと逃げる為ならなんだってします。
イスラの手を引き、闇に紛れてなんとか丘を越えました。
国境はまだ先ですが、崖の岩場から水が湧きだしています。
「イスラ、水が湧いています。少しだけここで休みましょう」
「うん」
岩場にイスラを座らせ、たっぷり水を汲みました。
イスラは冷たい湧き水をごくごく飲んで喉を潤す。今まで文句も言わず歩いてくれたイスラに目を細めます。
「ここまでよく歩けましたね。夕食を食べずに飛びだしてきましたから、お腹が空いたんじゃないですか? 夕食のパンを持ってきていますから一緒に食べましょう。食事の前はどうするんでした?」
「てをあらう!」
「お利口ですね。来なさい、一緒に洗いましょう」
「うん!」
二人で並んで湧き水で手を洗いました。
「いただきます」と手を合わせ、一緒に硬いパンを食べます。
夕食のパンとして昼間作ったものですが、まさかこんな場所で食べることになるなんて想像もしていませんでした。
「ブレイラ、これからどこへいくんだ?」
「とりあえず国境を越えて、そこから先は決めていません。イスラはどこに行きたいですか?」
「……うーん、わからん」
「そうですね、まだちょっと難しい質問でしたね」
私は小さく笑い、いい子いい子とイスラの頭を撫でてあげます。
そうしながらイスラと暮らすならどこがいいか思いを巡らせました。
「今までずっと山で暮らしてきましたから、次は海の近くで暮らすのもいいかもしれませんね」
「うみ?」
「はい。私も本物の海は見たことがありませんが、湖よりももっと大きくて、しょっぱい味がするそうですよ?」
「しょっぱいっ」
「そう、しょっぱいですよ。あ、でも私、泳げませんでした。どうしましょう、海に入ったら溺れるかもしれませんね」
「ブレイラ、おぼれるのか!?」
はっと顔色を変えたイスラに私は声を出して笑ってしまいました。
「大丈夫ですよ。まだ海に入ったわけじゃないんですから」
「――――残念だけど、海より精霊界に来てもらう」
その声に、咄嗟にイスラを抱き寄せる。
振り返るとそこにはジェノキスがいたのです。しかも背後に精霊族の軍勢を従えて。
「時間切れだ。精霊王が勇者保護の命令を下した」
ジェノキスが厳しい口調で言いました。
個人的に説得に来てくれた時とは違って軍勢を率いる男の声。
今、私たちの目の前にいるジェノキスは精霊王直属の護衛長として立っているのです。
「イスラ、下がっていなさい」
イスラを背中に庇い、ジェノキスを睨み据えます。
このまま大人しく捕まるなんて絶対にごめんです。なんとかしてこの場を切り抜けなければ。
「……どうしても捕まえるっていうんですか?」
「ああ、精霊王の命令だ。魔王だって勇者回収に動きだしてるんだろ? なら、今度は魔王より先に捕まえないとな」
「勝手なことをっ」
会話しながらも私は精霊族の軍勢をちらりと見る。
数はおよそ二十人。ジェノキスの背後に整列し、いつでも捕獲可能な戦闘態勢に入っています。
「無駄な抵抗はやめとけ。あんたに乱暴な真似はしたくない」
「乱暴したくないなら立ち去ってください」
「だから、それは無理だって。あんたこそ頼むから観念してくれよ」
「すると思いますか?」
「うーん、絶対しないな」
「分かっているなら結構です」
フンッ、とそっぽ向く。
でもそのそっぽ向いた先に突破口を見つける。視界を覆うほどの草木が生い茂っているのです。これなら逃げられる!
「イスラ、行きますよ!!」
「わっ、ブレイラ!」
イスラを抱き上げ、生い茂る草木の中に飛び込みました。
「うっ、わぷっ、いたっ」
大人の背丈より高い草木が私とイスラを阻む。
しかしそれは外からも身を隠してくれるもので、私はイスラを抱っこしながら掻き分けて進みます。
「逃げたぞ、追え!」
「勇者を探せ!!」
突然の逃亡に背後から怒号があがりました。
近付く怒号に怯みそうになりますが、抱っこしているイスラの温もりが私を前に進ませる。
尖った草木が全身を傷だらけにしても、太い蔦が行く手を阻んでも、絶対立ち止まったりしません。
「ブレイラ……」
「大丈夫です。あなたは私にちゃんとしがみ付いてなさい」
「うん……」
イスラが不安そうにしながらも私に抱きつく。
小さな体をきつく抱きしめ、草木の陰に身を潜め、夜闇に紛れて進み続けました。
そして目の前の草を掻き分けた、その時。
「わっ!」
何かにぶつかって引っくり返りそうになりました。
しかし寸前で腕をガシリッと掴まれ、力強いそれに動きを止められます。
「ハイ、ご苦労様。ここがゴールだ」
全身から血の気が引きました。
ジェノキスが先回りしていたのです。
「ど、どうして」
「どうしても何も、子ども抱いたまま逃げ切れるわけないだろ。こんな細い腕して」
「いたっ」
掴まれた腕に力が込められ、痛みに顔を歪めてしまう。
どんなに振り解こうとしても身じろぎ一つできない。
でもその時、抱っこしているイスラがスッと手を掲げ、ジェノキスの顔面でぴたりと止めました。
「ブレイラをはなせ」
ピカッ! 目の前に閃光が走りました。
ジェノキスが私を離して横に飛び退き、自分がいた場所を振り返って青褪めます。
そこにはぽっかり穴が開いていたのです。
「おいっ、顔面スレスレでいきなり魔力発動とか危ないだろ!」
「うるさい。おまえがわるい」
「たくっ、勇者をどういう教育してんだよ」
「う、うるさいですねっ。イスラはいい子です!」
ぎゅっとイスラを抱きしめました。
でも実は私もちょっとびっくりしてました。いきなりだったので。
しかしイスラが反撃したことで精霊族が本気の臨戦態勢を取ります。
ジェノキスは手の平に魔力を集中させ、大きく鋭い刃が特徴的な両鎌槍を出現させました。
もう、弱くて無力な人間の逃亡という扱いをしてくれないということです。
「ブレイラ、おろせ」
「だめですっ! 戦ってはいけません!」
「だいじょうぶだ」
そう言って腕の中からイスラがぴょんっと飛び降りました。
私は慌てて抱っこしようとしましたが、
「動くな」
槍の切っ先が喉元すれすれに突き付けられました。
動きを止めた私に、ジェノキスが槍を突きつけたまま申し訳なさそうな顔をします。
「悪いな、まず勇者を黙らせないと精霊界に連れてけないだろ?」
「やめてくださいっ。イスラはまだ小さな子どもです!」
「でも勇者だ。勇者が力を使うなら、こっちも相応の力で戦わなきゃ失礼だ」
そう言ったと同時に、ジェノキスが私に突き付けていた槍をイスラに振りかざす。
イスラの魔力が発動し、攻撃魔法が炸裂する。火炎魔法は辺り一帯を焼き尽くしましたが、その中に無傷のジェノキスが立っていました。
「さすが勇者だ、将来有望にもほどがある。その容赦ない戦い方は魔王直伝か?」
「かんけいない」
またイスラが魔力を発動させようとした時、ふっとジェノキスの姿が消えました。
刹那、イスラの体が地面に叩きつけられます。
「イスラ!!」
思わず叫んで駆け出しましたが、精霊族に囲まれて槍を突き付けられます。
せめてと手を伸ばすも、手は届かない。
私の目の前でジェノキスがイスラの鼻先に槍の切っ先を突きつけました。
「悪いな、こう見えても精霊界最強って言われてるんだ。いくら勇者でも子どもに負けるわけにはいかないだろ」
「は、はなせ!」
「ハハッ、諦めの悪さも勇者に必要な要素だ。将来有望だし、勇者として完璧だな。だが」
ジェノキスの口調が変わり、槍をくるりと回転させる。そして。
「将来じゃ遅い。今、力がなければ意味がない」
トンッ。槍の柄で突いてイスラを昏倒させました。
「残念だったな」とジェノキスが気絶したイスラを肩に担ぎました。
そしてジェノキスが私を見つめたまま言うのです。
「これが現実だ。あんた達はどこにも逃げられない」
「あなた、最低です……!」
私はその場に膝から崩れ落ち、ジェノキスを睨みつけました。
ジェノキスは少しだけ目を伏せるも、「連れていけ」と部下に淡々と命令します。
抵抗は許されず、私はイスラとともに精霊界へ連れて行かれることになりました。
こうして私とイスラの逃亡は、僅かな時間で終わったのです……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます