第七章・バカですね。こういう時は「愛している」と言って、私に口付けるものですよ?1
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魔界。
魔王の城の執務室にハウストはいた。
「魔王よ、その書類はさっき読んだ筈だが」
「……分かっている。確認の為だ」
そう返しながらも書類の文字は頭に入っていない。
思い出すのは昨日、人間界に行った時のことだ。
ブレイラは泣いていた。口付けを拒否し、愛していると紡いだ唇で大嫌いだと口にし、ひどく悲しそうに泣いていた。
その姿を思い出すと、妙に落ち着かない心地になった。
これは罪悪感だろうか。今日、約束したとおりブレイラからイスラを引き離す。酷なことだと分かっているが、イスラを守る為にはどうしても必要だった。
ブレイラがイスラと離れたくないというなら、今まで通り魔界で暮らせばいいのだ。人間は嫌いだが、ブレイラならば歓迎しよう。口付けて欲しいと言うなら口付け、抱いて欲しいというなら抱こう。それは全てブレイラが望むもので、今まで与えてきた筈だ。
しかし、ブレイラは魔界には戻りたくないと言う。大嫌いだと悲しそうに泣きながら。
「……どうしてだ」
ぽつりと漏れた。
それを耳にしたフェリクトールが口を開きかけたが、「失礼します! 魔王様にご報告が」と兵士が何ごとかを報告にきた。
先にフェリクトールが報告を聞き、その内容に表情を変える。
「どうした、何かあったのか?」
フェリクトールの様子にハウストも異変を察した。
いつも冷静で堅物なフェリクトールが表情を変えるとは珍しい。
「……ブレイラとイスラが精霊界にいる」
「どういうことだ?」
ハウストの表情が険しいものになる。
今から人間界へ迎えに行くというのに精霊族に先を越されたということか。だが、家の周囲には防壁魔法が仕掛けられていたはずだ。イスラがいれば簡単に突破されることはない。
だがフェリクトールは何とも言えない複雑な表情で続ける。
「報告によると、昨夜君が魔界に帰った後、ブレイラとイスラは家を出たらしい。もちろん君から逃げるために。……出し抜かれたな、魔王よ」
「ブレイラっ……!」
――――ガンッ!!
カッと血が昇り、執務机を拳で殴った。
今、胸に沸々と込み上げるこれをなんと表現すればいいか分からなかった。
欺かれた怒り、動揺、苛立ち、不安……。そう、不安。
「どうした、魔王よ。人間如きに捨てられたのが相当ショックだと見える」
「捨てられただと? なんのことだ」
鋭く睨み、低く言い返す。
しかしフェリクトールが臆することはなく、呆れたように肩を竦めた。
「君の人間嫌いは分かっていたつもりだが……。その不機嫌な顔も声も無意識だというのだから恐れ入る」
「戯言に付き合える気分じゃない。……まさか俺がブレイラに欺かれるとはな」
侮っていたつもりはないが、まんまと欺かれた。
フェリクトールはこれを捨てられたと言ったが、捨てられた覚えもない。むしろブレイラを置いていくのはいつも自分だ。
「何をそんなに苛立っている」
「これを怒らない者がいると思うのかっ。ブレイラだけはと信じていたが、やはりブレイラも人間だな……!」
語気を荒げて吐き捨てた。
怒りを隠そうとしないハウストにフェリクトールはますます呆れた。
「なんだやはりショックを受けてるじゃないか。欺かれたということは、嫌われたのかもしれないからね」
「俺がブレイラに嫌われただと……?」
「君はそれを認めたくないんだろう」
「っ、黙れっ……!」
昨日、泣きながら大嫌いだと言われた。もう口付けたくないと、そう言われた。
その時はブレイラの癇癪だと思った。ブレイラが珍しく感情を昂ぶらせていたから、勢いで言っているのだろうと。
だがこうして欺かれたということは、ブレイラは本当に嫌いになってしまったのか。
いや、それがどうした。人間一人に嫌われたところでなんの問題もない。気にすることでもない。
だが、――――ずっと、ずっと苛立っていた。
いつから自分は苛立っていただろうか。ああ最初はジェノキスだ。イスラという目的があったとはいえ、ブレイラの周りをうろつく姿が目障りだった。
次にフェリクトール。フェリクトールがブレイラを書庫に招待した時だ。魔界へ連れてきたのは自分だというのに、フェリクトールに従うブレイラに苛立った。だからイスラを理由にして様子を見に行ったのだ。しかし本当にフェリクトールの手伝いをしているだけで、理由もなく安心したのを覚えている。
だが、苛立ちは火種となって常に燻ぶっていた。全てはブレイラを引鉄にして。
ハウストは愕然とした。
ブレイラは同胞じゃない、ハウストにとっては取るに足らない者の筈だ。
ブレイラの心根と美貌は好ましくあるが、それだけの筈だ。
それなのに、今、無性に苛立っている。
こんなに苛立つのは、ブレイラが欺いたからか、精霊界にいるからか、それとも嫌われてしまったからか、理由は分からない。しかしはっきりしているのは、全ての引鉄がブレイラであるということ。
ならばするべきことは一つじゃないか。ブレイラに確かめればいい。
「フェリクトール、悪いが政務は中断だ。今から行くところがある」
「構わないが、そんなに急いでどこへ行くつもりだね」
「決まっているだろう、精霊界」
ゴゴゴゴゴゴゴッ!
その時、地鳴りが鳴り響いた。
大地を揺るがすそれにハウストは厳しい顔になる。
「お兄様、大変ですわ! 先代が、先代魔王の封印が……!」
地鳴りはおさまったが、すぐにメルディナが血相を変えて執務室に駆けこんできた。
先代魔王。その言葉に目が据わる。
それは十年前、ハウストによって封印された実父だった。
「最近、先代が何かを見つけたようで妙な動きを見せていたが、とうとう俺の力でも抑えきれなくなってきたか」
ハウストが苦々しげに吐き捨てる。
十年前に先代魔王を倒すことは叶わなかった。その為ずっと封印魔法で閉じ込めてきたが、数日前から動きが活発になっていたのだ。
最近では封印強化をしようとすると、魔力を根こそぎ持っていかれるようになった。封印の中で先代魔王が回復していたのだろう。
ハウストは神経を張り巡らし、自らが発動している封印魔法の状態を確かめる。
「……厄介だな、封印魔法から先代魔王の力が漏れだしている。力が流れている方角は、……精霊界か」
「どうして精霊界に……。まさか勇者の存在か?」
訝しむフェリクトールにハウストは首を横に振る。
「分からん、だが行ってみれば分かるだろう。メルディナとフェリクトールは城に残って封印強化に努めてくれ」
「畏まりました。お兄様は?」
「俺は精霊界に行ってくる」
「えっ、わざわざお兄様が?」
驚くメルディナにハウストは苦笑して誤魔化す。
魔族と精霊族の敵対関係は激化しており、魔王が精霊界に行くなどそれだけで戦争の起因になりかねない。リスクがあまりにも大きすぎるのだ。
だがそれでも精霊界に行かなければならない。先代魔王の件も追加されたが、ブレイラに確かめなければならない事がある。
ハウストはフェリクトールを振り返った。
「後は頼む。構わないな?」
「好きにしたまえ。状況によっては私も直ぐに精霊界に向かおう」
「ああ、すまない」
ハウストは頷き、精霊界へと向かうために執務室を出たのだった。
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