Ⅸ・求婚と婚約と3
「ブレイラ、リンゴもういっこ」
「はいはい、剥いて欲しいんですね」
イスラのリクエストに応えて新しいリンゴをシュルシュル剥いていく。
手慣れた私の手付きにアベルが感心した顔になりました。
「上手いな」
「当たり前です。どこかの誰かのようにナイフの扱いも知らない子どもではありませんから」
ふふん、と鼻を鳴らしていうとアベルがなんとも苦い顔をします。
そして私の頬の傷を見ました。
そこには薄っすらと切り傷が残っています。といっても、もうほとんど見えなくなっていて、後少しで完全に消えてしまうでしょう。
「……悪かったな」
「素直ですね」
「……一応あんたには感謝してるからな」
アベルはそう言うと、今度はハウストの方を見ます。
真っすぐハウストを見たアベルに感心しました。私の傷の話題になってからハウストの纏う空気が明らかに冷たくなったのです。エルマリスは青褪めていますがアベルが恐れる様子はありません。
「悪かった」
今度はハウストに向かって言いました。
ハウストはアベルを見据えましたが、ふっと空気の緊張が解かれます。
「……二度目はない。覚えておけ」
二人の様子にほっとします。
空気がピリピリしたので、どうなるかと少し心配してしまいました。
安心してハウストを見ると目が合いました。ありがとうございます、と目を細めて笑いかけると逸らされてしまいました。
あれは照れ隠しですね、なんとなく分かりますよ。
思わず頬を緩めていると、ふと、「ブレイラ……」と頼りない声で呼ばれました。イスラです。
「ブレイラ、もてない~」
見るとイスラは右手にバナナ、左手にオレンジ。そして視線はリンゴに向いています。両手が塞がってリンゴが食べられないというのです。
「いつからそんなに欲張りになったんですか? バナナとオレンジを置いたらどうです」
「だって……。あーん」
イスラは「あーん」と口を開けてじっと見つめてきました。食べさせろというのですね。
いつもはそんなことしないのに今は甘えたい気分のようです。ずっと離ればなれだったんですから仕方ないですよね。
「もう、仕方ないですねえ」
私もついつい許して、「あーん」とリンゴを食べさせてあげました。
イスラが嬉しそうにリンゴを頬張ります。
「おいしいですか?」
「おいしいっ。もういっこ!」
「はいはい。あーんは?」
「あーん」
イスラが大きく口を開けてパクリッとリンゴを食べました。
かわいいです。とても可愛いくて私の目尻も下がります。甘やかして育てるつもりはありませんが、今日くらいはいいですよね。
でも、アベルからなんとも呆れた視線を感じました。
いえ、アベルだけではありません。ハウストとジェノキスは複雑な顔をして、フェルベオは今にも笑いだしそうな顔をしています。
「…………なんですか。なにか文句でもあるんですか」
「……別に。頼むから勇者をマザコンに育てんなよ? それ、俺たち人間の王なんだから、マジで頼むぜ……」
なんだかとても切実に頼まれてしまいました。
……ちょっとイラッとしますね。
「失礼なこと言わないでください。イスラはマザコンなどではありません、いい子です」
「オレはいいこだ。あーん」
「はいはい。今日だけですからね?」
「うん!」
「ちゃんと返事が出来ていい子ですね。こっちもどうぞ、あーん」
「あーん」
こうしてイスラにフルーツを食べさせながら、そういえばとアベルを振り返ります。
「それにしても意外でした。まさか、あなたが第二王子をあんなに温情的に扱うなんて」
「まだガキだからな。責任は問えない」
「そうですか、でも良かったです。心配していたんです」
第二王子の扱いには安堵しました。どうやらアベルは大臣に何を言われても第二王子を処罰するつもりはないようですね。
アベルは覚悟を決めた面差しで決意を語ります。
「大臣どもの言うとおり第二王子に不安要素がないとは言い切れない。だがそんな不安要素の第二王子を俺の忠臣に育てることができれば、その頃、この国はもっと栄えているはずだ」
そう語ったアベルをエルマリスが嬉しそうに、頼もしそうに見つめていました。
これからアベルは数多くの困難に挑戦するのですね。
「そうですか。頑張ってください」
「ああ」
アベルは頷き、ハウストを睨むような眼差しで見据えます。
そして。
「覚悟なら、できた」
宣言するような強い口調で言いました。
脈絡ないそれに私は首を傾げましたが、ハウストがアベルを見据えています。
対峙しながらもハウストは何も答えませんでした。でも今、アベルは海賊の時とは違った面差しをしています。そう、まるで王のような。
おかしいですね。アベルは王になったので間違いなく王なのですが、『覚悟』と口にした彼の面差しは、ハウストやフェルベオが時折見せるものと似ていたのです。
まだアベルは年若くて王としての経験も浅いですが、とても頼もしく見えました。
「失礼します。アベル様、隣国の王から書簡が届いております。エルマリス様、侍従長が今夜の舞踏会のことでお伝えしたいことがあるそうです」
ふと、ノックがして扉の外から侍女がアベルとエルマリスを呼びました。
現在アベルは諸国との調整に奔走しています。
なぜなら、今この国には魔王、精霊王、勇者という三界の王が揃っているのです。そればかりか失踪していた王位継承者が戻ってきました。人間界の各国がモルカナ国の内情を探ろうと書簡を送ってきているのです。
そして今夜、モルカナ国ではアベルの帰還とクラーケン討伐、三界の王が会していることを祝し、盛大な舞踏会が開かれます。急な舞踏会でしたが近隣の国から多くの高官が出席してきます。もちろんそれは各国の王に命じられた高官たちばかりで、少しでも三界の王たちに接触するのが目的でしょう。
「分かった。すぐに行く」
そう言ってアベルとエルマリスが退室しようとする。
二人は休む間もなく政務に追われているようです。
「忙しそうですね。お疲れさまです」
「仕方ねぇよ。まあ、エルマリスが手伝ってくれるし」
「もちろんです、アベル様」
忙しい筈なのにエルマリスは嬉しそうです。
そんなエルマリスにアベルも頷くと、テーブルでオレンジに夢中になっているイスラを見ました。
「今夜の舞踏会、勇者も参加させることになって……悪かった。まだガキなのに」
アベルが申し訳なさそうに言いました。
今夜の舞踏会にはイスラも参加を願われていました。子どもなので今まで夜会は参加させてこなかったのですが、諸国から参加する高官が是非にとイスラに会いたがったのです。
そう、今回の一件で勇者が誕生したことが正式に人間界に知れ渡ったのです。今までは王族や一部の権力者などしか知られておらず、機密扱いを受けていました。でも今回モルカナ国に深く関わったことから、もう隠せなくなったのです。
「気にしないでください。挨拶が終わったら下がります」
もちろん私もイスラと一緒に下がります。
舞踏会には参加するつもりはありません。きっとハウストは望まないことなので。
少しだけ胸がチクリとしましたが仕方ないことです。私は舞踏会の作法を知りません。
ハウストに恥をかかせてしまうと分かっていますし、ハウストが望まないことをわざわざしたくありませんから。
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