Ⅸ・求婚と婚約と4


 陽が沈み、夜空の月が輝きを増す時間。

 海洋王国モルカナの灯りが夜の海をキラキラと照らす。

 舞踏会が開かれる今夜は特に明るく輝いていました。


「イスラ、かっこいいですよ。とても似合ってます」


 正装を着たイスラは照れ臭そうにもじもじして、その可愛らしさに思わず頬が緩みます。

 でも慌てて気を引き締めました。

 今夜の舞踏会では人間界にある国々の高官たちがイスラに挨拶をしにきます。

 無愛想ですが度胸がある子なので大丈夫だと思いますが、やはり少しだけ心配でした。


「いいですかイスラ、きちんとご挨拶するのを忘れないでくださいね。誰かとお話しした時は、最後に『です』をつけるんです」

「です」

「そう。です、ですよ?」

「わかった」

「ん?」

「わかった、です」

「ふふふ、そうですよ。今夜のご挨拶はこれで切り抜けましょう、また今度ちゃんと教えますからね」

「わかった、です」

「舞踏会では私から離れないでくださいね? 騒いではいけませんよ?」


 こうしてイスラと舞踏会のことを話していると、正装姿のハウストが部屋に入ってきました。

 黒を基調に赤のラインが入った正装はハウストにとても似合っています。今夜の彼は少し長めの黒髪を後ろに撫でつけていて、露わになった彫刻のような端正な容貌は暴力的ですらあります。近づき難い威圧感を纏いながらも、舞踏会に参加するすべての女性から熱い視線を集めてしまうことでしょう。


「支度はできたか?」

「はい」


 頷いて返すと、ハウストは私を見て目を細めます。

 今夜の舞踏会ではアメジストのように美しい紫のローブを着せてもらいました。床を撫でる長い裾は優雅なドレープ状で、フレアスリーブの袖は気品を感じさせるものでした。

 今夜の舞踏会で紫のローブを着るのは、勇者イスラの為でもありました。紫の瞳を持つイスラに合わせたものです。私がイスラの親であると一目で分かるようにされた配慮でした。


「お前は美しいな。いつも思っている」


 ハウストが私の手を取り、手の甲に口付けてくれます。

 そのまま指先にも口付けられ、鳶色の瞳にじっと見つめられました。


「綺麗だ。閉じ込めておきたい」

「……あなたに褒められるのは恥ずかしいです」


 恥ずかしさに居た堪れなくなって、なんとなく目を逸らせてしまいます。

 すると今度は目元に口付けられました。


「嫌か?」

「……恥ずかしくて、嬉しいです」


 素直に答えるとハウストは穏やかに目を細め、今度は唇に口付けてくれます。

 たったこれだけで私の頬は熱くなってしまいました。


「では行こう」

「はい」


 私はイスラと手を繋ぎ、ハウストの後ろを歩きました。

 ハウストが振り返って隣へと促してくれます。少し気が引けましたが、背中に手を添えられてエスコートされました。


「……緊張します。舞踏会は初めてなので」

「心配するな、俺の側にいればいい」

「はい、お願いします」


 舞踏会ではイスラが下がる時に一緒に下がりますが、それまではハウストの側にいればなんとか乗り切れるでしょうか。

 私は手を繋いでいるイスラに目を向ける。

 今夜の舞踏会で三界の王が揃います。もちろんイスラもその中の一人で、ハウストやフェルベオと同等の扱いを受けることになるのです。


「イスラ、頑張りましょうね!」

「うん!」


 分かっているのかいないのか、イスラが大きく頷きました。

 そして私たちは城の大広間へと向かいます。

 豪奢な金の装飾がされた大きな扉が見えてきました。大広間の扉です。


「魔王ハウスト様、勇者イスラ様、勇者の御母上ブレイラ様!」


 扉が開くと、高らかな声で紹介されました。特別なゲストとして舞踏会に参加する私たちは、高い位置からの入場となるのです。

 大広間にいたたくさんの貴族たちがワッと声を上げる。

 大広間を見渡せる高い位置からなので、眼下にいる多くの貴族たちが注目しているのが分かりました。

 美しく着飾った貴族たちの視線に、身も心も小さく恐縮してしまいます。

 思わず足が竦みそうになっていると、繋いでいたイスラの手がするりと離れ、一人でとことこと階段を降り始めてしまいました。


「イ、イスラっ」


 慌てて後を追いかけようとしましたが、大広間へ降りる階段の前で手を差し出される。ハウストでした。


「ブレイラ、お前はこっちだ」

「でも……」

「イスラなら大丈夫だ」

「……分かりました」


 差し出された手に手を置くと、優しく握られました。

 片手をハウストに握られ、もう片方の手で長いローブの裾をやんわりと抓む。ハウストにエスコートされ、緩やかな螺旋を描く階段をゆっくりと降りていきます。

 一段一段降りるにつれて大広間の貴族たちと距離が近くなり、胸がきゅっと縮まって緊張が高まっていく。

 視線を痛いほど感じて落ち着きません。あまりにも見られていて不安になります。


「ハウスト、私はどこか変でしょうか……」


 小声でこそこそと話し掛けました。

 ハウストは少し驚いたように私を見て、次いで苦笑します。


「堂々としていろ、お前が一番美しい。そのお前が視線を下げていては、いらぬ反感を買うこともある。無難に過ごしたければ顔をあげていろ」

「……そういうものですか」

「そういうものだ。俺の隣に立って堂々としていろ」

「わ、分かりました」


 小さく深呼吸して、気合いを入れます。

 ハウストの言うとおり顔をあげ、ハウストのエスコートに促されるまま階段を降りました。

 そうすると今まで痛いほどだった視線を不思議と感じなくなって、煩わしいものが意識から外れていきます。

 そして側にいてくれるハウストと、階段の下で待ってくれているイスラしか見えなくなりました。


「ブレイラ!」

「お待たせしました」


 大広間に降り立つと先に降りていたイスラが駆け寄ってきました。

 その姿にハウストの手から離れ、イスラへと手を伸ばす。

 イスラが嬉しそうに手を繋いできて私の顔も綻びました。

 こうして大広間には三界の王たちをはじめ、魔族や精霊族の高官たちも出揃います。

 モルカナ国王アベルが儀礼的な挨拶をして舞踏会が始まりました。

 といっても、最初のうちは踊りを楽しむ者は少ないです。舞踏会といった社交場は外交の戦場のようなものです。

 多くの貴族や各国の高官たちが、三界の王や魔族や精霊族の高官と接触を計りに来ました。

 もちろんイスラが子どもであろうと関係ありません。

 ハウストが側にいる時は大丈夫なのですが、彼から少しでも離れると面倒臭いことが起きてしまいます。

 イスラに声を掛けたくてうずうずしている高官たちに話しかけられるのです。


「勇者様が誕生していたことは伺っていましたが、こうしてお会いする事ができて光栄です」

「オレがゆうしゃ、です」


 イスラが返事をすると高官は満面の笑みを浮かべて長い挨拶口上を並べだしてしまう。


「本日国王の命より勇者様にお会いする為、山を越えて舞踏会へやって参りました。国王より勇者様に特別な贈り物がございます。きっと喜んで頂けると思いますので是非ともよろしくお願いします。勇者のお母上様におかれましても格別なご贔屓を願えれば」

「お話し中だが失礼します。本日国王の命で勇者様とお母上様にお会いするべく」

「おい、話しの途中に割りこむとは無礼だぞっ」

「貴様の長口上など聞いていられるか!」


 人間界の各国の高官たちが言い争いを始めてしまいました。

 一人の挨拶口上が長く、待ち切れないとばかりに別の高官が割って入ったのです。すると今度は別の高官や貴族まで言い争いに参加してしまいました。さっきからずっとこれの繰り返しです。

 でもお陰で私もイスラも長い挨拶から逃れられそうです。


「イスラ、今のうちに」

「うん」


 私はイスラの手を引いてさり気なくハウストの近くに立ちました。

 ハウストの側にいれば、高官や貴族たちも弁えて無茶をすることがなくなります。それに何か困ったことがあるとハウストがさり気なく割って入ってきてくれるのです。

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