Ⅸ・求婚と婚約と5
「どうした、捕まっていたか?」
少しからかうような口調で言われ、苦笑して頷きました。
仕方ないことだと分かっていても、そう簡単に慣れることはできないのです。上手くあしらう方法も分かりません。
特に今回は勇者イスラが正式に認知されたとあって、少しでも人間の王である勇者と面識を持とうとする者が後を絶ちません。
でもしばらくして、ようやくこの時間が終わりそうです。
挨拶の時間から、広間のホールで踊りだす者が多い時間に移り変わりだしたのです。楽団が奏でる楽曲の曲調も華やかで軽快なものになりました。
「見て、魔王様よ」
「こんなに近くでお姿を拝見できるなんて夢みたいだわ」
「素敵ね。あの端正な顔立ちと気品溢れるお姿、あんな素敵な殿方は見たことがないわ」
美しく着飾った貴族の令嬢たちがうっとりと囁き合う。
気が付くとハウストを遠巻きに見ている令嬢が増えていました。
当然です。この舞踏会には多くの男性が参加していますがハウストが一番素敵です。
「あの隣にいる方は勇者様の母上様よね。でも、魔王様の寵姫でもいらっしゃると聞いたわ」
「ああ、ブレイラ様というのよ。今、魔王様の寵姫はブレイラ様お一人だから、ご寵愛を独り占めしてるのね。羨ましいわ」
「でも、あの寵姫の方が人間なら、私たちも寵姫に選ばれる可能性があるということよね」
「あら、いいことに気付くじゃない」
令嬢たちの囁き声が聞こえてきます。
内容は陳腐なもので特に気になるようなものではありません。
令嬢たちはハウストが目当てのようですが、どんなに美しくてもこの方々が寵姫に選ばれることはないでしょう。ハウストが選ぶとは思えません。
でも。
「イスラ、そろそろお部屋に戻りましょう。眠る時間になってしまいます」
でも、私は早々に舞踏会の大広間から下がることにしました。
大広間の中心では楽団の演奏に合わせて多くの男女がダンスを楽しみだしていました。着飾った女性のドレスがくるくると広がり、まるで大輪の花が咲いているようです。
とても美しくて華やかな光景ですが私が立ち入るべきではない世界です。ハウストもそれを望んでいますから。
大広間のダンスを見ていたイスラが不満そうに唇を尖らせてしまう。
「……もうちょっとだけ」
「ダメですよ、もう遅い時間になってしまいます。子どもが起きていてはいけません」
「それじゃあ、ブレイラもくる?」
「もちろんです」
「わかった。それならいく」
「いい子ですね」
いい子いい子と頭を撫でると、ハウストに向き直りました。
「ハウスト、私はイスラと下がりますね」
「分かった。俺もすぐに行く」
ハウストがあっさり答えました。
それは私にとって嬉しいことですがハウストの立場では許されないことのはずです。
「……いいえ、私とイスラは大丈夫ですから、ハウストは舞踏会を楽しんでください。あなたまで下がってしまうと、せっかく舞踏会に集まっている方々が残念がるではないですか」
「今夜の舞踏会は、モルカナ国王帰還とクラーケン討伐の祝いだ。俺が抜けたところで問題はない」
「なに言ってるんですか。そんな簡単な話しじゃないことは、あなたが一番分かっているでしょう」
私は肩を竦めて笑いかけました。
嬉しいです。でも立場のあるハウストが舞踏会に参加しながら誰とも踊らずに退室するのは良くありません。私だってそのくらい分かるつもりです。
それなのに、多くの熱烈な視線に気付いている筈なのに、ハウストは一瞥すらせずに私だけを見つめていてくれる。今この世界でハウストが一番愛しているのは私です。
それだけで充分でした。これからのことは考えたくありませんでした。
私とイスラが大広間から下がってから、ハウストは誰かと出会ってしまうかもしれません。その誰かの手を取ってダンスをするのかもしれません。
今日が無事に終わっても、数ヶ月後、数年後、ハウストは新しい寵姫を迎えるかもしれません。いずれ魔界の未来の為に王妃を娶るかもしれません。
それは今じゃない。でも、限りなく現実になり得るこれからのことです。
「では私とイスラは下がりますね」
「待て、ブレイラ」
ハウストが引き止めようとしてくれましたが、私が離れたことで一人の令嬢がハウストに話し掛けました。
その令嬢は遠巻きに陳腐な噂話をしていた令嬢たちとは違って、高貴な雰囲気を纏った大人びた美女です。きっとどこかの王族の姫君かもしれません。彼女の美貌と自信に溢れた振る舞いは、もしかしたらハウストの興味を引いてしまうかもしれません。
一抹の不安がよぎりました。でも振り返りませんでした。
見たくないものを視界に映してしまうのが嫌だったのです。
「ブレイラ、ねむくなってきた……」
大きな欠伸をしながらイスラが言いました。
やはり下がることにして正解でしたね。
「部屋まで歩けますか?」
「がんばる……」
「お利口ですね。頑張ってください」
イスラの手を引いて大広間の扉へ向かう。
途中、私たちに気付いたアベルがわざわざ来てくれました。アベルの側にはエルマリスも控えています。
「もう行くのか?」
「はい。イスラはもう眠る時間ですから」
「ハハッ、ガキだな」
「ガキっていうな……」
ガキと言われてイスラはムッとしましたが言い返す口調はとても眠そうです。
睡魔に襲われて頭がふらふらし始めたイスラに思わず笑ってしまいます。
「では、お先に失礼しますね」
そう言って立ち去ろうとしましたが、「待てよ」とアベルに呼び止められました。
アベルは小さく咳払いすると、改まった様子で私を見ます。
「いろいろあったけど、あんたには感謝してる。ありがとう」
「ブレイラ様、ありがとうございました」
アベルとエルマリスに深々と頭を下げられました。
でも私の方は恐縮してしまいます。だって、こんなの二人には似合いません。私が知っているアベルとエルマリスはもっと生意気です。
「やめてください、私は何もしていませんよ」
「いいんだよ、礼させとけ。海賊船に乗り込んできた時はどうしようかと思ったけど、あんたに会えて良かった」
「アベルっ……」
素直なのがちょっと気持ち悪いですよ。
そんな私の気持ちが顔に表れていたようで、アベルにじろりと睨まれてしまいました。
「……てめぇ、今、失礼なこと思っただろ」
「べ、別にそんなことありませんけど?」
「バカ、白々しいんだよ」
「バカとはなんです、バカとは」
言い返すとアベルは一頻り笑い、スッと手を差し出してきました。
いったい何ごとかと手を見ていると、アベルの顔が仄かに赤くなる。
「行く前に一曲くらい付き合えよ」
とてもぶっきら棒な口調で誘われてしまいました。
照れるくらいなら誘わなければいいのにと笑ってしまう。
「国王直々のお誘いは光栄ですが、遠慮しておきます」
「ああ? なんでだよ」
「なんでって……」
困ってしまいました。
言いたくないです。でも国王であるアベルに誘われたのに理由も言わずに断るなんて失礼ですよね。
私は周囲をきょろきょろと見回し、こそこそと打ち明ける。
「恥ずかしいので、あまり大きな声では言えませんが……。実は私、踊れないのですよ」
そう言うとアベルは一瞬きょとんとした顔をして、次にはプッと噴きだしました。
恥を忍んで正直に話したというのに失礼です。
「笑うことないじゃないですかっ、失礼ですよ?」
「ハハッ、悪かったって。で、踊れないのはあれか? 山育ちだからか?」
アベルが笑いながら言いました。
そう言ったアベルの口調はからかうものではなく、まるで内緒ごとを楽しむようなそれです。そう、海賊だった頃を懐かしむそれ。
「ふふふ、そうです。山育ちだからですよ」
「なら仕方ねぇな」
「そうでしょう?」
私は笑いながらそう言うと、改めて新国王アベルと執政官エルマリスにお辞儀しました。
「この度はおめでとうございます。モルカナ国の末永い繁栄をお祈りいたします」
「ああ、ありがとう」
「ありがとうございます」
アベルとエルマリスからも改めて感謝を述べられました。
畏まった挨拶になんだか可笑しくなります。それはアベルとエルマリスも同じようでした。
こうしてモルカナ国の新国王と執政官に挨拶を終え、私はイスラを連れて舞踏会を後にしたのでした。
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