十一ノ環・凍てつく国の深淵3
「どうしてあなたがここに……。戦士団は冥界出現の混乱で散り散りになったと聞いていますが……」
「今は訳が合ってシュラプネルに身を寄せています。もちろん戦士団の生き残りも」
「どんな理由があるのか知りませんが、六ノ国の難民の方々は戦士団に見捨てられたのではないかと不安に思っています。皆に会ってください」
「そうでしたか、考えておきましょう。それより、まさかブレイラ様が一人でこんな所まで来られるとは」
「あ、……ここはいったい」
はっとして周りを見回しました。
シンッと静まり返った薄暗い場所。ここは何処でしょうか。塔の地下のように思えますが、ゼロを追っているうちに知らない場所まで立ち入ってしまったようです。
それに、あれほど強く感じていた花の芳香が消えている。夢から覚めたような、そんな心地です。
辺りを見回してもゼロらしき人影はありません。やはり見間違いだったのでしょうか。
「申し訳ありませんが、元の場所へ案内して頂けませんか? どうやら迷ってしまったようです。子どもを追って夢中で走っていて、ここまでどうやって来たのか覚えていないんです」
「それはお困りでしょう。では不肖ながらこのヘルメスがブレイラ様をご案内しましょう。ですが、せっかくここまで来たのですから、よろしければ我々がシュラプネルにいる理由を見て行かれませんか?」
「え?」
「それを見れば、我々が難民を置いていかなければならなかった事をご理解いただける筈です」
ヘルメスはそう言うと、「どうぞ、こちらです」と奥へ向かって歩いていきます。
回廊の奥、更に暗がりへと歩いていくヘルメス。
なんだか恐ろしいです。足が竦んでしまう。
「ブレイラ様、こちらです。さあお早く」
「え、でも……」
「民を守る戦士が、民を放ってでも守らなければならなかったものがあるのです。民以上の存在、お察しして頂けると思うのですが」
「まさかっ、ダビド王っ……。ここにダビド王がいるのですか?!」
思わず声を上げました。
ヘルメスは意味ありげな顔で口元に笑みを刻む。
「自分の目でお確かめください。どうぞ、こちらです」
ヘルメスが先に歩いていきます。
異様な雰囲気が恐ろしい。
でも、一歩を踏み出しました。
どうしてこんな所にダビド王がいるのか分かりませんが、アイオナとゴルゴスのことを伝えなければいけません。アイオナは最期まであなたを愛していたと。
ヘルメスの後について歩きました。
地下から地上への階段を上ります。
そこはまっすぐ伸びた回廊でした。等間隔で窓があり、長い回廊の先には大きな扉が見えます。
「さあ、この先の部屋です」
「はい」
困惑しながらも頷き、ヘルメスの後を追って回廊を歩きます。
等間隔の窓からは雪景色が見えました。それは一年のほとんどを雪に閉ざされるシュラプネルの景色です。
その景色に小さな安堵を覚えます。地下に迷い込んだ時は不安でしたが、ここはやはりシュラプネルなのですね。
こうして時折窓の景色を眺めながら歩いていました。
でも不意に、異変に気付く。
最初は些細な異変です。雪の中に妙な植物がちらちらと見え始めたのです。
毒々しい色のそれは見慣れぬものでしたが寒冷地帯の植物だと思いました。
でも回廊の奥に進むにつれて、窓から見える景色が少しずつ変わっていく。
妙な違和感と底知れぬ恐ろしさ。確信はありませんが、警鐘のように心臓が早鐘を打ちだす。
「ま、待ってくださいっ。ここはどこです? シュラプネルではないのですか?」
立ち止まり、前を歩くヘルメスを呼び止めました。
しかしヘルメスは困ったように笑います。
「なにをおっしゃっているのです。早くこちらへ。扉は目の前です」
気が付けば扉はすぐそこでした。
ヘルメスは扉の前で立ち止まり、私を振り返る。
「この部屋です。どうぞ」
「本当にダビド王がいるんですね……」
ごくりと息を飲む。
怖いです。でも扉まで後五歩の距離。
震えそうになる指を握りしめ、一歩、また一歩と足を進めました。
そして恐る恐る扉に手を伸ばす。
ドアノブを握り、カチャリ。ゆっくりと扉を開きました。
がらんとした暗い部屋。窓がない部屋には一切の光がありません。
「うぅ……。あぅ……、あ……」
暗い部屋の奥から呻き声が聞こえてきました。
地を這うような呻き声。
「だ、誰かいるのですか……?」
嫌な予感に背筋が冷たくなる。
ヘルメスが強張る私を通り過ぎ、部屋に入って燭台に火を灯しました。
蝋燭のぼんやりとした明かりが室内を照らします。
そしてそこにいた呻き声の人影も。
「まさか、この方がダビド王なのですかっ?!」
その姿に驚愕する。
たしかにそこにはダビドがいました。
でもそこにいたのは伝え聞いていたダビド王ではありませんでした。
粗末な椅子に縮こまるように腰かけ、やせ細った手足を震わせている。生気の輝きをなくした虚ろな瞳は焦点が合っておらず、虚空を彷徨っている。その姿はまさに廃人。
「これが亡国の王の姿ですよ。自分の国を滅ぼされ、愛する妻を殺された。実に哀れな姿です」
「な、何を言っているんですか! 王! ダビド王! しっかりしてください!」
訳が分かりませんでした。
でも生きているというなら放っておけません。
ダビドに駆け寄り、その痩せた肩を掴みました。
折れてしまいそうなほど細い肩が恐ろしい。いったいダビドの身に何があったのか。
「お願いですから正気に戻ってください! っ、この香りはっ」
ダビドから微かに漂ってきたのは、毒々しいほど甘い芳香。冥界の花です。
移り香らしき微かな芳香。でもはっきりと分かるそれ。
それに気付いた瞬間、全身から血の気が引きました。
「……ヘルメス、あなた、いったい、なにを」
発した声は震えていました。
確信のなかった警鐘が現実味を帯びていく。
ヘルメスがニタリと笑い、そして。
「無駄ですよ、ブレイラ様。ダビド王は正気を失い、夢の中にお住まいなのです。――――冥界への侵入者だ、捕らえよ」
「な、何ごとですっ?!」
部屋に剣を持った屈強な男たちが雪崩れ込んできました。それはヘルメスの部下、砂漠の戦士団です。
逃げる間もなく捕らえられ、床に押さえつけられる。
「離しなさい! やめてくださいっ、痛い……っ!」
床に引き倒され、両肩を強く押さえつけられて身動きができません。
なんとか逃げようともがくのに鍛えられた男たちはびくりともしない。
ゆっくりとヘルメスが歩いてきました。
目の前にヘルメスのブーツの爪先。視線を上げて睨みつける。
「何のつもりですっ。すぐに離しなさい!」
「魔王の婚約者が手中に転がり込むとは、なんたる幸運」
「どういう意味です! あなた、まさか冥界とっ……。ゼロの幻を使って私をここにおびき寄せたのもあなたですね!」
「察しの良い方だ。ならば、もうご自分の立場もお分かりでしょう」
ヘルメスは膝をつき、私の顎を掴んで強引に視線を合わせてくる。
ヘルメスは品定めするように私を見ると、満足そうに目を細めました。
「やはり美しい。男は趣味ではないが、魔王を陥落したブレイラ様の体にはずっと興味があったのですよ」
「なっ……」
羞恥と屈辱にカッとなる。
顎を掴んでいる手を強引に振り解き、勢いよく噛みついてやる。
「ッ、この!」
「うわッ!!」
バチンッ!
いきなり頬をぶたれ、頭が飛んでいきそうになる。
口内に鉄の味が広がって、ぶたれた衝撃で頭がくらくらします。
でもヘルメスを睨みつけることはやめません。
「っ、……私に、気安く触るからですよっ」
「おお怖い。では大人しくしてもらうしかありませんな。連れていけ」
ヘルメスは嘲笑うと、部下に命じました。
抵抗する体を強引に立たされます。
なんとか逃げようともがきましたが、その時ぐらりと視界が歪む。
急速に遠くなる意識、脱力する体。脳震盪です。
「うっ、そんな……」
悔しさに唇を噛み締めるも、その力さえなくして完全に意識を手放しました――――。
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