十三ノ環・冥王のママは今日も4
「ハ、ハウスト……」
イスラの大きな瞳に新しい涙がじわりと滲む。
ハウストは静かにそれを見下ろしながら、子どもの泣き顔というのは酷く厄介なものだと思っていた。ましてや相手は自分の子どもにしたい子どもなのだから尚更だ。
ハウストの眉間に皺が刻まれる。
「なにを泣いている。今までずっとそうしていたのか、塔が襲撃されている間も」
「っ……」
イスラは唇を噛みしめた。
そう、イスラは塔が襲撃されている間、戦える力を持ちながら塔の奥の部屋に閉じこもっていたのだ。
「なぜ戦わなかった」
イスラは視線を下げて黙り込む。
しばらく無言が続いたが、イスラがぽつりぽつりと話しだす。
「…………オレ、ゆうしゃだから。にんげんのためじゃないと、だめだから」
イスラの言葉にハウストが顔を顰める。
それは三界の王・魔王ハウストにとって信じがたいものだったのだ。なぜなら、三界の王だから。
「イスラ、お前はいつから三界の王ではなくなった」
「え……」
「答えろ。いつからだ」
いつにないハウストの様子にイスラは困惑する。
そんなイスラにハウストが三界の王として言葉を続ける。
「王なら迷うな。戦う相手は自分で決めろ」
「で、でも」
「俺は魔王だ。だが今、ブレイラの為にここにいる」
「あ、……」
イスラははっとして目を見開いた。
ハウストがこの緊急時に人間界にいる理由は一つ、ブレイラの為に他ならない。それ以外の理由はないのだ。もしブレイラが攫われずに側にいたら、間違いなく魔界に残って魔界の為だけに戦っていた。
しかし現状は最悪で、ブレイラは冥界に攫われたのである。ならばハウストはそれを取り戻す。それ以外の選択肢に迷うことなどない、なぜなら自分の妃になるべきはブレイラだと決めているからだ。
この決断に異を唱える者はハウストにとって敵でしかない。
「魔王様って稀代の賢帝とかなんとか称賛されてるけど、実はめちゃくちゃ我儘野郎だよな」
「三界の王とはそういうものだ。僕も身に覚えがないわけじゃない」
ふと部屋の入口から声がした。
ハウストが声のした方をじろりと睨む。
そこに立っていたのは精霊王フェルベオと精霊界最強と呼び名の高い護衛長ジェノキスだった。
思わぬ顔ぶれにイスラは目を丸め、ハウストの方はなんともいえない顔になる。
「何をしに来た」
「勇者殿の母君にご挨拶せねばと馳せ参じた。……というのは冗談ではなく結構本気だ」
利発な精霊界の美少年王は凛とした面差しで言った。
精霊王フェルベオ。三界の王の一人である。
人間界の片田舎に三界の王が勢揃いするなど本来あり得ないことだ。ましてや今は冥界の侵攻が進み、自世界の守りを固めなければならない時だ。
「精霊王が精霊界を離れるとは驚かされる」
「ここにいる魔王に言われたくはない。それにさっき結構本気だと言ったはずだ。しかし、肝心の母君はここにいないようだな」
分かっていた癖に、さも今気づいたといわんばかりに部屋の中を見回した。
そんなフェルベオの白々しい態度をハウストは訝しむが、ジェノキスがさりげなく耳打ちする。
「あれ、手伝いたいって言ってるの。ここ最近ずっと政務で根詰めててストレスが限界だったみたい。ああいう勝手なとこ、さすが三界の王だよな。うちの王様、見かけによらず過激派で」
「ジェノキス、聞こえているぞ!」
「それは申し訳ない」
ジェノキスは悪びれなく一礼した。
どうやら本当に図星なのだろう。
しかしフェルベオは咳払いし、改まってハウストを見る。
「もちろん母君を助けたい気持ちが大きい。同時に、冥界の始末は三界の王である僕たちの仕事だ。魔界にも禁書があるだろう。それを読めば放置なんて判断は下せない」
「勉強熱心じゃないか」
「舐めるな。精霊王になって一番初めにした執務は禁書の熟読だ」
フェルベオは誇ったように言うと、いつもより大人しいイスラに視線を向ける。
「勇者殿にはまだ早いようだがな」
「イスラはまだ絵本専門だ」
「母君の読み聞かせか?」
羨ましいことだとからかうような口調でフェルベオは言ったが、禁書と口にした時から表情は真剣なものになっている。
禁書。それは各界の歴史書のなかで、決して表に出てはならない史実が記された書物だ。
「このままだとこの時代が禁書の時代になりかねない。神話が蘇ったのだからな」
苛立つフェルベオにハウストも無言のまま同意していた。
三界の王とは各世界の王である。自国を守り、自国を危険に晒す厄災は排除する。それは今まで各王がそれぞれ行なってきたことだが、今回の冥界ばかりは一人で勝手に対処できるレベルを超えている。
思えば断絶状態だった精霊界との親交を取り戻せていたことは幸いだった。もし今も断絶状態が続いていれば三界は冥界の侵攻に対抗できなかっただろう。
「決まりだな。よし、神話を本当の神話にしてやろう」
見かけによらず過激派な精霊王フェルベオは気合いを入れた。
だが部屋の隅で泣きべその勇者に眉を上げる。
「勇者殿はなにをしている。さっきからずっとあの様子だな。母君のことが辛いのだろうが……」
「まあ、気持ちは分かるけど。魔王様、慰めてやらなくていいの?」
二人の言葉にハウストもちらりとイスラを見る。
イスラは大きな瞳を濡らし、ブレイラ、ブレイラ、呟くばかりだ。
冥界出現からショックなことが続き、今回ブレイラが攫われたことで限界を超えたのだ。
「なぜ俺が慰めなければならない」
ハウストは淡々と答えた。
その答えにフェルベオとジェノキスは意外そうな顔になる。
最近の魔王は勇者の宝について調査したりと、まるで父親のようにイスラに接していたのだから。
「今の俺とイスラは魔王と勇者だ。そうだったな、イスラ」
問いかけたハウストに、イスラが涙目のまま顔をあげる。
それはかつての約束だった。ブレイラには内緒の約束。魔王と勇者であり、父と息子であり、ハウストとイスラの約束。
ここにブレイラはいない。ならばハウストとイスラは魔王と勇者だ。それはイスラ自身が決めたこと。勇者が魔王に慰められるなんておかしい。
「…………ハウスト、オレ」
「勇者なら自分で決めろ。戦う相手も、戦う時も、誰の為に戦うかも」
ハウストはそれだけを言うと踵を返して部屋を出ていく。
その様子にフェルベオは眉を上げたが、同じくイスラに背を向けて部屋を出て行った。
二人がイスラに特別な言葉をかけることはしない。
こうして部屋にイスラとジェノキスが残される。
「うっ、う……、ひっく、ブレイラ、ブレイラ……、ぅっ」
イスラはブレイラの名を繰り返し、嗚咽を我慢する。
一生懸命に涙を止めようと唇を噛みしめる子どもの姿にジェノキスは頭をかいた。
ジェノキスは自分もさっさと出て行けば良かったと思うが、遅い。
「……あー、勇者様? その、大丈夫か?」
相手は三界の王だが見た目は泣いている子どもである。
なんとなく言葉をかけたがイスラは反応しない。唇を噛みしめ、涙を引っ込めようと小さな体をふるふる震わせている。
「たくっ、三界の王だからって、魔王も精霊王も言いたいことだけ言って出て行ったな。……まあ、気にすんなよ」
また言葉をかけてみたが、やはりイスラは反応しない。
イスラは小さな拳をぎゅっと握りしめ、うぐっ、うぐっ、健気に嗚咽を飲み込んでいる。
ジェノキスはそんな姿に困っていたが、ふいに。
「ん」
イスラがジェノキスに手を差し出した。
なんだ? とジェノキスは首を傾げるも、イスラが鼻水を垂らしていることに気付く。
「もしかしてハンカチか? 悪い、持ち合わせてなかった」
「……むっ」
イスラはムッとすると立ち上がった。
そしておもむろにジェノキスのズボンを掴んだかと思うと。
「チーン!」
「うわっ、コラッ! 人のズボンで鼻かむなよ!」
「うるさい」
イスラがじろりとジェノキスを睨む。
泣き腫らした目は真っ赤だが涙は止まったようだ。
「自分で鼻かめるようになったんだな。偉いぞ、いつもブレイラにかんでもらってたよな?」
ジェノキスは泣きやんだご褒美になんとなく褒めてみる。
こうして褒めると父親っぽくないか? と少し得意な気分を味わえた。イスラの父親気分ということは、奥さんはブレイラしかいないのだから。
だが、そんなジェノキスをイスラが冷ややかに見上げた。
「なめるな。あたりまえだ」
そう言うと、鼻さえかめれば用はないとばかりにジェノキスから離れる。
イスラは小さな拳をぎゅっと握った。そして。
「オレは、ブレイラにだっこしてもらう。ちゅーしてもらう。いいこいいこってしてもらう。チーンしてもらう。えほんをよんでもらって、いっしょにねるんだ」
これが勇者イスラが見つけた戦う理由だった。
自分の戦う理由にイスラは大きく頷くと部屋を出て行く。
もう振り返ったり、立ち止まったりしなかった。
「……あの勇者、言いたいことだけ言って出て行きやがった」
残されたジェノキスが呆れた口調で呟いた。
やはりイスラも三界の王だったというわけだ。
ジェノキスは鼻水まみれになったズボンを見下ろすと、「自分勝手な王様たちだ」と部屋を出たのだった。
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