十三ノ環・冥王のママは今日も2
「いただきます」
ゼロスが手を合わせ、さっそくとばかりにスープとパンに手を伸ばす。
おいしそうに食べてくれる姿に嬉しくなります。
「おいしいですか?」
「うん。かぼちゃ、あまい」
「あなた、かぼちゃの甘いスープ大好きですよね。たくさん作りましたから、おかわりもどうぞ」
「うん」
ゼロスは大きく頷いてスープを飲んでくれます。
口の周りにスープのお髭ができていて、思わず笑ってしまいました。
「ゼロス、こっちを向いてください。拭いてあげます」
「ん」
ハンカチで丁寧に拭いてやると、ゼロスが照れ臭そうにはにかみました。
とても可愛いですね。甘やかして育てるつもりはありませんが、なんでもしてあげたくなってしまいますよ?
「そうだ。デザートにリンゴを剥いてあげます。ちょっと待っていてくださいね」
そう言って土間の奥にある小さな食糧庫を確認します。たしか買ってきたばかりのリンゴがあった筈です。
「見つけました。あ、ベリーもありますね」
手に取った瑞々しいリンゴとベリー。
顔を寄せると甘酸っぱい香りがスゥッと抜けていきます。
新鮮なリンゴをナイフでシュルシュル剥いていくと、ゼロスがキラキラと顔を輝かせました。
普段から無愛想なので分かりにくいですが、あれは興奮している顔ですね。
「ふふふ、うさぎの形に切ってあげます。待っていてくださいね」
「うん!」
「どうぞ、たくさん食べてください」
お皿にリンゴを乗せて、ベリーも飾ってあげました。
喜ぶ姿が可愛くて、特別にリンゴをもう一個剥いてあげます。
大丈夫、食糧庫には新鮮なリンゴやベリーがたくさんあったので。
その夜。
大きな欠伸をしたゼロスをベッドに寝かせると、布団をかけてトントンしてあげます。
枕元の私におずおずと擦り寄ってきたゼロスに笑いかけました。
「おやすみなさい、寒くありませんか?」
「さむくない。ブレイラ、まだねないのか?」
そう言ってゼロスが私の服をぎゅっと握りしめる。
その小さな拳が可愛くて、包み込むようにそっと手を重ねました。
「明日は街へ薬を売りに行きますから、その準備が残ってるんです。それが終わったら寝ますよ」
「そんなの、いらない」
「いいえ、いるんです。我儘を言ってはいけません」
優しく言い聞かせるとゼロスは渋々ながらも頷いてくれました。
そして布団の中から私をじっと見上げてきます。
「おわったら、いっしょにねる?」
「はい。いっしょに」
「ずっと?」
「当たり前じゃないですか」
そう言ってゼロスの額に口付けました。
するとゼロスは嬉しそうにはにかんで、鼻まで布団に潜っていく。
ゼロスに初めて口付けた時のことを今でも覚えていますよ。
「あなたが眠るまで側にいます。おやすみなさい、ゼロス」
「おやすみ」
もう一度ゼロスの額に口付けました。
まもなくしてゼロスが穏やかな寝息をたてる。
よく眠れますようにと願いをこめて髪を撫で、ベッドから離れました。
明日の支度をしなければならないのです。
売り物の薬を手早く袋に詰め終わると、朝食の下拵えに取り掛かります。食糧庫から新鮮な果実や野菜を取り出して準備しました。
それが終わるとようやく一息つけます。
眠る前にゆっくりしようと薬草を煎じたお茶を淹れました。
テーブルにカップを置いて、はたと気付く。
「二人分……? どうして……」
なぜか二人分のお茶を淹れていました。
それは無意識でした。お茶を淹れている時、当たり前のように誰かと飲むつもりで淹れていたのです。
ベッドで眠っているゼロスに視線を向ける。
子どもが眠った後、誰かとお茶を飲む時間がとても楽しみなような……。
いけませんね、きっと疲れているのでしょう。
私はゼロスの卵を拾う前はずっと一人でした。ゼロスが誕生してからはゼロスと二人です。誰かがいた記憶はありません。
でも一人でお茶を飲む気にはなれなくて、ゼロスが眠っているベッドに潜り込む。
私も早く眠ってしまいましょう。
「ゼロス、おやすみなさい」
ゼロスの寝顔にそっと囁いて、静かに目を閉じました。
翌朝。
ゼロスと一緒に街へ薬を売りに行きました。
街は活気に溢れ、市場は多くの人で賑わっています。
市場の一角で薬草を煎じた薬を広げると、それほど時間が経たないうちにすべて売り切れてしまいました。
身なりの良い商人も、着飾った貴族も、ボロを着た貧民も、皆が嬉しそうに買ってくれるのです。
「さあ、薬が売れたお金で小麦やミルクを買いましょう。たくさん売れたので、今日は特別にゼロスの好きなものを一つだけ買ってあげますよ?」
広げた荷物を片付けながら言うと、ゼロスが嬉しそうに手伝ってくれます。
とても良い子ですね。好きな物を買ってあげると言っても贅沢をさせてあげられる訳ではありません。でもどうしてでしょうね、不思議なほど満たされています。
街を行き交う人々からも笑顔が溢れ、明るく優しい雰囲気に満ちている。
「ブレイラ、いこう」
「はい」
ゼロスに呼ばれて笑顔で頷きました。
市場で肉や小麦、ミルクを買います。
家の食糧庫にはまだ他の食材もあったので今日の買い物はこれくらいでいいでしょう。ゼロスには魚の燻製を買ってあげました。柔らかく煮込んで一緒に食べましょうね。
ゼロスに荷物持ちを手伝ってもらい、山奥にある私たちの家へと帰りました。
その日の夜。
夕食にふかふかのパンを焼きました。他には温かいじゃが芋スープです。
「どうぞ、たくさん食べてください。じゃが芋はまだ熱いですから気を付けてくださいね」
ゼロスがテーブルに並んだ食事を前に表情を明るくしました。
ゼロスは硬いパンが苦手なのです。薄いスープもあまり好きではありませんよね。
まだゼロスが赤ん坊だった頃、ミルクで浸しただけの硬いパンをゼロスは残してしまったこともありました。
強く育てなければならなかったというのに満足に食材も用意できなくて。
「…………」
あれ? なぜ、ゼロスを強く育てなければならなかったのでしょうか。どうして食材がなかったのでしょうか。だって今、食糧庫には新鮮な食材がたくさんあります。
「どうしたんだ?」
「え、あ、いえ、なにもありませんよ」
突然黙り込んだ私をゼロスが心配してくれました。
不思議そうに見つめられ、慌てて首を振ります。
「外でお風呂の支度をしてきます。夕食を食べたらゼロスも湯を運ぶのを手伝ってください」
「わかった」
パンを頬張りながら頷いたゼロスに笑みを返し、私は外へ出ました。
妙な違和感の去来になんとも言えない心地になったのです。
タライを用意してお風呂の支度をしながら、なんとなく夜空を見上げました。
今にも降ってきそうな満天の星空。
流れ星がスゥッと流れて、その美しさに目を細める。
毎夜繰り返す夜空の光景は、山から見上げると一段と美しいものです。今までここから何度も見上げてきました。
隣にはいつもゼロスがいて……。
「…………」
なぜ、でしょうか。
今、頬を雫が伝いました。
視界がぼやけて滲んでいます。
なぜでしょうか。いったい、なぜ私の目から涙が零れたのでしょうか。
私は知っているような気がしたのです。この場所以外の星空を。
そう、いつかの夜に見た瞳に映った悲しい星を。闇夜の海原を見下ろす満天の星を。星ではないけれど、まるで光の矢のような流星群を。
私は知っている。世界のあらゆる場所で、誰かと見た星空を。
でもなぜでしょうか。……知っているのに、思い出せないのです。
「ブレイラ!」
ふと呼ばれて振り返ると、家からゼロスが出てきました。
手には鍋に入れたお湯を持っています。お風呂の準備を手伝いに来てくれたのです。
「夕食、もう食べたんですか?」
「ううん、まだ。でも、さきにてつだう」
「ありがとうございます。助かります」
夕食を我慢して手伝いにきてくれたのですね。ほんとうに良い子です。
重たい鍋を持ってふらふら歩いてくるゼロスの姿が愛おしい。
ゼロスがこちらに来る前に、さりげなく目元の涙を拭いました。
「ここにたくさん湯を入れて、一緒にお風呂に入りましょうね」
「うん」
大きく頷いたゼロスに笑いかけ、一緒にお風呂の支度をしました。
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