十三ノ環・冥王のママは今日も1


 太陽が天高く昇る頃、森の心地よい風が吹き抜けて頬を撫でていく。

 洗いたての白いシーツも波のようにはためいて、平穏な時間の流れに頬が綻びました。


「今日は良い天気ですね。昼食を食べたら、森へ薬草を摘みにいきましょう」


 シーツを干し終わり、家に戻ろうと足を向ける。

 家の小窓からは甘いスープの香りが漂っていました。

 廃屋のような粗末な家です。でも、孤児院を出てからずっと一人で暮らしてきた家です。薬師として街に薬草を売りに行くことはありますが、この森の奥深い場所でずっと暮らしてきました。

 ああ、でも今は一人ではありませんね。

 森の小道を幼い男の子が駆けてくる。

「ブレイラ!」私の名を呼んで走ってくる姿に愛おしさがこみあげます。

 そして私の足にぎゅっと抱き着いてきました。


「ただいま」

「おかえりなさい、――――ゼロス」


 名はゼロス。

 私がまだ子どもで孤児院にいた頃、嵐の夜に青い卵を拾いました。

 不思議な色の卵。しかも不思議なのは色だけではありませんでした。卵を拾って十年後、なんと卵が割れて青髪の赤ん坊が誕生したのです。

 私は赤ん坊をゼロスと名付け、それからずっと二人です。


「食事の支度が出来ています。一緒に食べましょう。食事が終わったら薬草を摘みにいってきますね」

「てつだう」

「ありがとうございます。夕食に食べられそうな木の実も見つかると嬉しいですね」


 私は足元に抱き着いているゼロスに両手を差し出しました。

 すると嬉しそうにゼロスは手を伸ばしてきて、その幼い体を抱き上げます。


「ふふふ、重くなりましたね。今度、薬を売った帰りに街で買い出しをしてきましょう。ミルクも買ってこないと」

「ぼくもいく」

「手伝ってくれるんですか?」


 こくりと頷くゼロスに笑みを返しました。


「ありがとうございます。一緒に行きましょうか」

「いく」

「では今から昼食にしましょう。井戸で手を洗ってきてください」


 ゼロスはこくりと頷いて素直に井戸へ行きました。

 その幼い後ろ姿に目を細めます。

「ずっといっしょがいい」そう言ってくれる健気な言葉が愛おしい。

 抱き着いてくる幼い手はいたいけで、ゼロスと二人の生活はとても幸せでした。

 私は孤児なので親というものがどういうものか知りません。でも、ゼロスにとって善き親でありたいと思うのです。





◆◆◆◆◆◆


「冥王様はいつ箱庭からこちらにお戻りで?」

「ゼロス様のお気持ち次第。そのお気持ちが叶うまで、自分の役目は分かっているわね?」

「もちろん、お任せを」


 ヘルメスは恭しく一礼すると歩いていった。

 気配が遠ざかり、一人になったラマダは城の窓から眼下に広がる森を見つめる。

 この森の奥には、今、箱庭がある。

 冥王ゼロスがたった一人の為に創った箱庭。その小さな世界の住人は二人だけ。

 箱庭は冥王ゼロスによって厳重な結界で囲まれ、腹心であるラマダでさえ近づくことは許されていない。


「ようやく三界に復讐する機会だというのに……」


 本当は閉じこもっている時間も惜しい。

 だが、ラマダにはゼロスを咎める気はなかった。

 すべてはゼロスの思いのままに、ゼロスの願いはすべて叶える。それだけが望みだ。

 ゼロスが箱庭で永遠にブレイラと暮らしたいというなら、それが叶えばいい。

 せっかく冥界を人間界に繋げることに成功したが、ゼロスが箱庭で生きていくことを選択するなら、冥界はブレイラだけを連れ去ってまた沈黙の世界に戻るだけのことだ。

 今、箱庭では偽りの親子ごっこが繰り広げられている。

 以前、ブレイラは人間界で勇者イスラと二人で暮らしていたが、箱庭では勇者イスラの位置にゼロスが置き換わっているのだ。

 そう、ブレイラの記憶を置き換えた。そして新たに塗り替えていくことで、やがて偽りも真実になるだろう。


「すべてがゼロス様をお慰めするものであればいい」


 そう口にすると、ラマダは箱庭に背を向ける。

 自分の役目はゼロスの為の箱庭を守ること。

 可哀想な王を慰め、見守ること。


◆◆◆◆◆◆





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