十二ノ環・墜落の麗人7

「ゼロス様、人間界侵攻おめでとうございます」

「お前たちか。呼んでないぞ」

「そうおっしゃらないでください。三界侵攻のご報告がありましたので参じました」


 宥めるラマダにゼロスはひどく残念そうにしながらも頷いた。


「分かった。早く済ませてくれ」


 ゼロスはそう言うと私の腕を掴んで玉座に向かっていく。

 引っ張られるようにして連れられて、慌てて抵抗しました。


「は、離してくださいっ」


 ゼロスの手を振り解こうとするも、ヘルメスが見ていることに気付いて肩が跳ねる。

 あの男は駄目です。怖いです。

 ゼロスは怯える私の腕を掴んだまま玉座のある壇上にあがりました。

 そして私を側に立たせたまま玉座に座ります。


「三界の侵攻はどうなっている。シュラプネルの塔は墜ちたか?」

「トロールの攻勢により陥落も間近でしたが、魔界の軍に包囲されて全滅しました」

「やはり時間稼ぎにもならなかったか。まあいい、このまま侵攻を続けろ。まずは人間界が欲しい」

「畏まりました。私にお任せください」

「ではその先陣を切るのは、この砂漠の戦士にお任せください。戦士団を率いて冥界の栄光を切り開いて御覧に入れましょう!」


 私は目の前で交わされる会話に震えが止まりませんでした。

 シュラプネルの塔にはたくさんの難民がいるのです。魔界の軍隊により窮地は脱したようですが、戦いが終わったわけではないのです。それどころか人間界に侵攻するという。これは紛れもなく戦争でした。


「ま、待ってください。あなた、さっきから何をっ」


 考えたくありません。

 でも今、三界で戦争が始まろうとしているのです。


「駄目です、やめてください! 侵攻ってなんですかっ、そんな事してはいけません!」


 玉座のゼロスに訴えました。

 ゼロスは私の手を握ったまま、何故だと私に問います。


「人間界が欲しい。そこでブレイラと二人で暮らすんだ。約束しただろう?」

「それはっ……」


 約束。たしかに流れ星の下で一緒にいようと約束しました。

 でもそれはゼロのことで、まさかゼロが冥王ゼロスとは思わなかったのです。

 ――――バタンッ!!

 突然、扉が開きました。

 そこに立っていた人物に驚愕する。


「ダビド王っ……」


 そう、ダビドでした。

 ダビドはふらふらした足取りで一歩一歩近づいてきます。今にも倒れてしまいそうな姿に胸が痛くなる。

 瞳は空虚を見つめたまま、口は意味のない呻き声を発しています。


「ダビド王、どうしてここに!」


 側へ行こうとしましたがゼロスに手を掴まれたままで阻まれてしまう。

 そうしている間にも、ダビドはゆっくり、でもたしかにヘルメスへと近づいていく。


「どうしました、王よ。寝惚けておいでのようですが」


 ヘルメスは恭しく一礼して言いました。

 しかしその顔も声も嘲りに満ちたもので、忠誠を誓う相手に向けるものではない。

 そんな侮蔑と嘲笑のなかでもダビドはヘルメスへ向かって歩き、手を伸ばせば届くほどの距離までくる。


「うー……、ああ……あー……」

「なにを言っているのかさっぱりだ。王よ、寝言は寝ながら言うものです。はっきり喋っていただかないと困りますなあ」


 明瞭に話せないと知っていて嘲笑する。

 不快な光景です。我慢できずに不敬を叱りつけようとしましたが。


「あぅー……あ、あ、……ゴル……ゴス、アイオナ……っ」


 呻き声のなかに混じった名前。

 微かに聞こえた名前にはっとした、次の瞬間。


「――――ヘルメスぅぅうううう!!!!」

「っ、貴様、死ねえええ!!」


 夥しい血飛沫が上がる。

 それは一瞬の出来事でした。

 ゴルゴスとアイオナの名を口にした時、ダビドの瞳に正気の光が戻ったのです。刹那、ダビドは短剣を振り上げてヘルメスに切りかかりました。

 しかしヘルメスの反応の方が早く、剣で切り返されたのです。

 ダビドの痩せ細った体が崩れ落ちる。大量の血液を流したままぴくりとも動かない。

 ヘルメスはダビドを見下ろし、足で転がして吐き捨てる。


「フンッ、大人しくしていれば夢を見たまま死ねたものを」

「あら、殺したのね」


 ラマダが薄い笑みを浮かべ、呆気なく絶命したダビドを一瞥しました。


「正式に侵攻が開始した今、王の役目は終わったではありませんか。それとも未練がおありで?」

「口を慎みなさい」

「これは失礼しました」


 ラマダとヘルメスが淡々と軽口を交わしています。

 でもその二人の足元には、かつて王位を冠した男。


「ダビド王!!」


 ゼロスに握られていた手を振り解き、ダビドの元に駆け寄りました。


「しっかりしてください! お願いですから、目を開けてっ……! っ、ダビド王!!」


 名を叫び、ダビドの血塗れの体を抱きしめます。

 硬く閉じられた瞳、呼吸を止めた唇。あっけなく絶命した姿に涙が止まりませんでした。

 でも最期の時、たしかに耳に届きました。ゴルゴス、アイオナ、二人を呼ぶ声が。

 最期に正気を取り戻したのですね。最期は王として逝ったのですね。


「……おやすみなさい、ダビド王……っ。おやすみなさい……」


 ダビドのだらんと垂れた両手をとる。

 祈りとともに胸の前で手を重ねます。どうか安らかにと。

 それは一国の終焉。ダビド王の死で、六ノ国は本当の意味で消滅したのです。


「っ、……あなたは何ということをっ! あなたの王ではありませんか!」


 ヘルメスを強く睨みつけました。

 王を守るべき戦士が国を裏切り、王を殺したのです。それはあってはならない事でした。

 しかしヘルメスはこの道理を嘲笑う。


「フハハハハッ! このような哀れな男がどうして王と思えるのか! 一つ忠告しよう、あなたも冥王には逆らわない方がいい。せっかく寵愛を賜っているのだから、黙って受け入れるが肝要。さもなくば、あなたも意味のない死を迎えることになる。この王のように」

「やめなさい!」


 ヘルメスが足蹴にしようとし、咄嗟にダビドを庇いました。

 ヘルメスは舌打ちして私ごと蹴ろうとしましたが、寸前で足を止める。

 ゼロスの殺気がヘルメスを射抜いたのです。


「フンッ、馬鹿馬鹿しい」


 踵を返して離れていくヘルメスに安堵し、ダビドを見つめます。

 意味のない死。それはこの世に数えきれないほどある死の形。ダビドは王の矜持を守って死にました。でも、大切な人には間に合わなかったのです。

 それは悲しく哀れなことだけれど、この世に数えきれないほどある別れの形の一つ。


「あなたを人間界に連れ戻します。せめて、アイオナやゴルゴスと同じ世界で眠りましょう」


 せめてという気持ちでダビドに語り掛けました。

 こうしてダビドの側にいると、ゼロスがゆっくりと近づいてきました。

 私の背後に立ち、困惑とともに言葉を発する。


「どうしてそんな約束をする。僕と約束したのに」


 苛立ち混じりの言葉。

 思い通りにならなくて子どもが拗ねているような、そんな口調ですね。

 私は振り返らないまま言葉を返します。


「約束は一つでなくてもいいのです」

「他の約束を叶えたら、僕との約束は叶わない」

「それは我儘というものですよ」


 そう言って、ゆっくりと背後のゼロスを振り返りました。

 視界が涙で滲んでいて、彼がよく見えません。

 でも、あなた、とても怖いのに、まるで駄々を捏ねる子どものような顔をしています。


「お願いです。どうか、私とダビド王を元の世界に帰してください。私は、ハウストとイスラに、会いたいっ……」

「……なんでだ。どうして、魔王と勇者ばかりっ……」


 ゼロスが拳を握りしめました。

 ぶるぶる震える拳。それがどこに八つ当たりするのか恐ろしい。

 でも、これが私の偽りない心。

 私はハウストを愛しています。イスラの為なら自分のすべてを引き換えにしても構いません。私にとって大切なのはそれだけです。


「ブレイラ……」


 ゼロスが私の名前を口にしました。

 私を見つめたまま泣きそうな顔で口を開く。


「どうして? それじゃあ、僕だけのブレイラにならない。二人でいられない」

「二人ではいられません。あの夜も、そう言った筈です」


 あの夜、どうしてゼロスがゼロとなって私の元へ現われたのか分かりません。

 でも、私と一緒にいたいと約束したのは紛れもなくゼロスなのですね。ならば私もあの時から気持ちは一つも変わっていません。

 二人でいることは出来ないのです。私はハウストとイスラに会いたい。


「あなたと二人というのは出来ません。分かってください」

「分からないっ。そんなのは嫌だ! でないと、僕は、またっ……!」


 ゼロスは激昂して声を荒げました。

 感情を激しく昂ぶらせたゼロスに驚いて一歩後ずさってしまいます。

 するとギロリと睨まれ、手をむんずと掴まれる。


「逃げるな!! 僕から逃げるな逃げるな逃げるな逃げるな!!!!」

「えっ、ちょっと、あなたっ……」


 明らかな異変に手を振り払おうとした時。

 ゼロスが私だけを見つめて言ったのです。


「行こう! 魔王と勇者のいない世界に行こう!! 僕とブレイラだけの世界だ!!」


 瞬間、視界が眩い光に包まれました。

 強い光です。咄嗟に目を閉じましたが、瞼を射して光が目の奥へ、体内へ、頭の中へ入ってくる。頭が真っ白になっていく。

 まるで私自身が白く塗り潰されていくような、塗り替えられていくような、そんな錯覚。

 そして最後は意識すら光に塗り潰されていきました――――。






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