Ⅵ・船長と幼馴染と1
翌朝、目が覚めると直ぐに専属侍女たちに朝の身支度を手伝われました。
早朝の空のような水色のローブに着替え、エルマリスや侍女たちに見張られながら一人きりの朝食を食べます。
ハウストは……知りません。
あれから彼は部屋に戻り、一人で寝たのでしょうか。それとも別の誰かを呼んだのでしょうか。
彼の頬を打った手の平が痛いです。まだジンジンした感触を残しているような気がするのです。そんな筈ないのに、おかしいですね。
でも、私は絶対に謝りません。あの言葉を彼が訂正してくれるまで絶対に許しません。
「ごちそうさまでした」
ナイフとフォークを置くと侍女が手早く片付けてくれました。
椅子から立ち上がり、窓から外を眺めます。
朝の空は澄み切っていて美しく、港には何隻もの大きな貿易船が停泊しています。遠目にもたくさんの荷物が行き交っているのが分かりました。
忙しない朝の光景に、漏れたのはため息。
私には何もすることがありません。なんの役目もありません。
昨夜、ハウストはベッドで待っていろと言いました。ジェノキスはハウストの側で大人しくしていろと、エルマリスは私がハウストに抱かれるのは勤めだと、そう言いました。
それは寵姫でいろということなのでしょう。
第三者から見れば今の私は間違いなく寵姫という立場です。私だってそれくらい分かっています。
ぼんやり外を眺めていると、ふと、街の中心にある広場で何やら作業しているのが見えました。職人が材木を運びこんで舞台のようなものを造っています。
「お祭りでもあるのですか? …………どうしました?」
何気なく聞いただけなのに、一瞬、エルマリスの顔が強張った気がしました。
しかし心配した私を無視してエルマリスが淡々と答えます。
「いいえ、あれはお祭りの準備ではありません。処刑の準備です。広場の中央に造られている舞台は処刑台です」
「処刑台っ?!」
「はい、もちろん海賊の処刑台です。二日後の正午、船長のアベル、並びに捕まった海賊は全員処刑されることが決まっていますから」
「そんなっ……」
唇を強く噛みしめました。
あの場所でアベルたちが絞首刑になるのだと思うと居ても立ってもいられません。
そんな私をエルマリスが嘲笑します。
「ブレイラ様がお気になさることではありません。海賊のことなどお忘れください」
エルマリスは素っ気なく言うと、侍女に何ごとかを命じました。
するとしばらくして部屋に煌びやかで華やかな衣装や包みがたくさん運び込まれてきました。突然のことに目を丸めてしまう。
「こ、これは何ですか?」
「これはモルカナ王妃とモルカナの執政官からの贈り物です。目録もございますので、ご確認ください」
「困ります、こんなの受け取れませんっ! それに受け取る理由もないじゃないですかっ」
「ブレイラ様に受け取る理由がなくても、王妃様方には贈る理由があるのです。対面が叶わないのですから、王妃様方のお気持ちもお察しください」
「…………」
この国は現在、王妃の後ろ盾を持つ執政官によって治められていると聞いています。
しかし私は二人と対面したことはありません。二人が私に挨拶を願い出ているようですがハウストが許していないのです。
「目録を見せてください。今からお礼のお手紙を書きますので紙とペンもお願いします」
対面して礼を言えないなら、せめてお手紙で伝えなければなりません。
でもエルマリスが困った様子を見せながらも、呆れたように確認してくる。
「用意しろと命令されるのでしたらご用意しますが、そのお手紙は魔王様もご存知のものでしょうか」
「え、こんな事にもハウストの許可がいるんですか?」
「当たり前ではないですか。寵姫様は魔王様に直接お言葉を伝えられる数少ない立場の一人です。たとえ礼状でも影響力はありますし、何より手紙を交わしたことでご縁ができます。寵姫様とご縁を持ちたいと考える者は、きっと世界に数多くいますから」
呆然とする私にエルマリスは嘲るような苦笑を浮かべて言葉を続けました。
「お手紙をしたためるなら、送った後のことも十分考えてください。見たところ、ブレイラ様はそういったことに精通しているようには見えませんので、もう少し気を付けていただいた方がいいかもしれません。そうでなければ魔王様もご苦労されるでしょう」
「ハウストが……」
何も言い返せませんでした。
エルマリスの言う通り、ハウストは私が舞踏会など公の場にでることを嫌がるのです。……それはきっと、私が上手く出来ないからですね。
「……そうですね、ではお手紙はやめておきます。王妃様には感謝していたと伝えてください」
「畏まりました」
「申し訳ありませんが、私を一人にしていただいていいですか?」
「では扉の外に控えておりますので、何かありましたら何なりとお申し付けください」
エルマリスはそう言うと侍女たちを従えて部屋を出て行きました。
ようやく一人になって全身からほっと力が抜けます。
いえ、一人といっても自由ではありませんね。
私は今、この扉を開けて外へ出て行くこともままなりません。ハウストの許しがなければ何も出来ないのです。
…………複雑でした。
今、私は満たされてなければなりません。だって三界の王の一人である魔王に愛されることは光栄なことで、今の生活は粗末な山小屋暮らしとは違い、とても恵まれたものですから。
でも部屋に残されたたくさんの贈り物にため息が漏れました。
本当は喜ばなければならないと分かっていても、気持ちが追いつかないのです。
もし私が王族や貴族の家に生まれていたら、こんな気持ちにならずに済んだでしょう。ハウストの寵姫という立場に躊躇いも持たず、光栄なことだと受け入れることが出来たはずです。夜会などではハウストの望むような振る舞いだって出来ていたことでしょう。でも現実に、私はそうじゃない。ハウストが望むことをうまく出来ない。
ハウストへの想いが実を結ぶ前、私はハウストに愛されるために必死でした。
もしあの時、こうなることを知っていたらハウストを諦めたでしょうか。いいえ、諦めません。やはり私はハウストを愛しています。
愛しているだけでは……ダメなのでしょうか。
その晩。
ハウストが部屋に戻って来たのは遅い時間でした。いつもなら寝ている時間です。
部屋で本を読んでいた私にハウストは少し驚いたように目を丸めます。
「起きていたのか……」
「…………眠れなかったので。それよりお仕事お疲れさまでした」
いつものように出迎えると、ハウストは少し躊躇いながらも私をそっと抱き寄せ、ただいまの口付けをする。
大人しく口付けを受けた私に彼が少しほっとしたように見えたのは、きっと気の所為ではありませんね。
だって互いにぎくしゃくしています。
昨夜喧嘩してから初めて会ったので、どんな顔をしていいか分かりません。
困惑する気持ちと、この部屋に戻ってきてくれたことにほっとする気持ち、それが混ざり合っているのです。
「……お前は、怒っていると思っていた」
「怒っていますよ」
即答した私にハウストが一瞬動きを止めました。
反応を示してくれたことに内心安堵します。
良かった。私はまだ嫌われていない。
「……もしかしたら、悲しいといった方が近いのかもしれません。だってあなた、訂正してくれていません」
「それは……」
何かを言いかけ、口籠る。ハウストにしては珍しい反応です。
ちらりとハウストを見上げると、目が合いました。でも彼は困ったように逸らしてしまう。
しかし部屋の様子に気付いてまた私を見下ろしました。
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