Ⅴ・魔王の怒りと軟禁と6

「お前がなぜここにいる。精霊王の代理はそんなに暇なのか?」

「精霊王の代理だから来たんだよ。勇者の御母上様に挨拶もないなんて不敬ってもんだろ?」

「ご苦労だったな。だがもう広間に戻るといい、夜会でお前にご執心のご婦人を見かけたぞ」

「それはどうも。ブレイラ以上の美人がいてくれるといいんだけど」


 ジェノキスはそう言うと、「それでは魔王様、失礼いたしました」と慇懃な礼儀とともに立ち去っていきました。

 私は衝立の向こうで交わされた会話を静かに聞いていました。

「食えない男だ」とハウストは吐き捨てると、部屋に入ってきます。


「ブレイラ、今戻った」

「おかえりなさい」


 椅子から立ち上がり、ハウストを迎えます。

 ハウストは私を抱き寄せて唇に口付けると、エルマリスと侍女たちを振り返る。


「ご苦労だった。今夜はもう下がれ」

「畏まりました」


 私の側に控えていた侍女たちがお辞儀して立ち去っていく。「それでは、おやすみなさいませ」と最後にエルマリスが出て行きました。

 こうして部屋に二人きりになると、ハウストはまた私に口付けて今後のことを話しだす。


「この国にいる間、お前の専属世話係りとしてエルマリスとあの侍女たちが仕えることになった。よく出来た侍女たちだと聞いている、何かあれば好きに使うといい。特にエルマリスはここの執政官の嫡男だ。本人も優秀な執政補佐官らしい」

「……彼は執政補佐官でしたか。そんなお役目がある方を世話係りにするのは申し訳ないですね」


 今日初めてエルマリスに会いましたが、彼は私に嫌悪感や苛立ちを隠し切れていませんでした。でもこれで納得です。執政補佐官という役職がある者を世話係りにしては不興も買うでしょう。理知的で賢そうでしたがとてもプライドが高そうでしたから。


「気にしなくていい、お前がここに滞在する間だけだ。それに執政官の息子ならば都合がいいことも多いだろう。不自由があれば何でも言うといい。この国は執政官に仕切られている国だからな」

「そうなんですか?」

「人間の治める国ではよくあることだ」


 ハウストは興味なさげに言うと、不意に私を抱き上げました。

「わああっ」私は間抜けな悲鳴をあげてしまう。いきなり視界が高くなって驚いたのです。


「ハ、ハウストっ、降ろしてください!」


 突然ことに身じろぎましたが、ハウストの腕が緩むことはありません。

 それどころかベッドに放り投げられ、その上から覆い被さってきます。


「ま、待ってくださいっ。そんないきなり!」

「夜会中もずっとお前のことを考えていた。お前はちゃんと部屋にいてくれるだろうか、またどこかへ行ってないだろうか、とな」

「ハウスト……」

「これからも、こうしてベッドで出迎えてほしいものだ」


 ハウストはそう言うと私に強引な口付けをしました。

 呼吸すら奪うような口付けをされながらベッドに押し倒されます。

 そして獣のような乱暴な手付きで真珠色のローブをたくし上げられていく。


「あ、ん……っ」


 太腿の内側を撫でられて背筋に甘い痺れが走りました。

 先ほど体を清められて落ち着いたと思ったのに、体の奥にいとも簡単に熱が灯される。

 しかも私に触れる彼の手は性急とすら思えるもので、一方的に高められる熱に困惑しました。


「まって、まってくださいっ!」


 太腿を撫でていたハウストの大きな手を掴みました。

 途中で中断された彼は邪魔そうに掴まれた手を見ましたが、振り払うことまではしない。それに少しだけほっとします。


「少しだけ話しを聞かせてください」

「なんだ」

「イスラのことです。イスラのことで何か分かりましたか? 手掛かりになるような事とか、どんな些細なことでもいいんですっ。分かっていることを教えてください!」


 必死に訴えた私に、ハウストは掴まれていた手を逆に掴んで唇を寄せました。

 私の指先に口付け、誓うように言葉を紡ぐ。


「今も調査中だ。だがお前が悲しむような事は起きていない。安心していい」

「……イスラは死んでいない、ということですよね?」

「ああ」

「よかったっ……。ではイスラに会えますか?!」

「必ず会わせると約束する」

「それはいつです?! 明日ですか? 明後日ですか?! いつイスラは帰ってくるのですか?!」


 ハウストに矢継ぎ早に聞きました。

 縋るような私にハウストは目を眇め、宥めるように額に口付けを落としてくれます。


「近いうちに、必ず」

「そんな……っ」


 はっきりしない答えに唇を噛みしめます。

 まだ何か隠していますね。しかしハウストはこれ以上教えてくれる気はないようでした。

 でも、イスラは生きている。これだけは確かなのですね。


「……分かりました。その言葉を信じます。イスラは死んでいない、それが分かっただけで、わたしはっ、ぅっ」


 涙が込み上げてきました。

 イスラが生きているという言葉は、今まで悲しみの底にあった心に僅かながらも光を齎したのです。

 張り詰めていた緊張感と、追い詰められていた気持ち、何より絶望的な恐怖を、少しだけ、ほんの少しだけ和らげてくれます。

 良かった……目元を安堵に細めると、ハウストがそっと唇を寄せてくれました。

 私を慰める口付けは優しくて、今朝からの酷い行為が嘘のようです。

 でも不意に、優しかったハウストの目がスッと細められました。そして心を見透かすような眼差しで私を見つめている。


「イスラが無事だと分かったのに、まだ浮かない顔をしているな」

「っ……」


 表情が強張ってしまう。

 すると先ほどの優しい口付けか嘘のように、ハウストに乱暴に唇を塞がれました。


「うぅっ、んッ」


 歯列を強引に割られ、口内を思うまま蹂躙される。

 苦しさに喘いでなんとか顔を背けるも、顎を掴まれて強引に顔を正面に戻されました。


「あの海賊が気になるか?」


 低く囁かれた言葉。

 ぴくりと反応した私にハウストは冷笑しました。


「処刑は三日後ということになっていたが、そんなに気になるなら今すぐ処刑させるが」

「ハウストっ! あなたは、なんてことを言うのですか!」


 堪らずに声を上げました。

 いくらハウストでも許せません。

 それにハウストは誤解しているんです。アベルやその仲間はハウストが思っているような海賊ではありません。


「聞いてください、ハウスト。私は海賊に誘拐されたわけじゃないんですっ。イスラを助ける為に、私が勝手に海賊船に乗り込んだんです! アベルや海賊たちはたしかに荒っぽい無法者たちですが、私を客として船に乗せてくれて、魚の串焼きとかいう料理も食べさせてくれました! それにクラーケンから助けてくれたのもアベルですっ! だから、彼らはあなたが思うような海賊ではありません!! お願いです、海賊たちを助けてください!! 彼らを処刑しないでください、お願いしますっ……!!」


 必死で訴えました。

 ジェノキスからは海賊のことは口にするなと言われていますが、そんなの関係ありません。だって黙っていても処刑されるんですから。


「お前の願いはすべて叶えてやりたいと思っているが、これに関しては聞き入れることはできない。あの海賊どもは俺自身の手で始末したいくらいだ」

「なんでっ、どうしてそんな酷いことをいうのですか……。そんなの、あなたらしくないですっ……!」


 声を荒げましたが、ハウストは薄く笑うだけでした。

 こんなのいつものハウストではありません。いつも優しい色を宿している瞳は、爛々とした鈍い光を帯びている。


「俺らしいとはなんだ。それはお前が理想とする俺か? 俺はお前に嫌われてしまったか?」

「ハ、ハウスト……」

「お前は俺に愛していると告げた唇で、他の男の命乞いをする。三界の王を手玉に取るとは、さすが勇者の母君だ」


 嘲るように言われて息を飲む。

 しかしハウストは嘲笑を浮かべながら続けてしまう。


「それとも、あの男に惚れたか? それなら俺に媚びたらどうだ。もしかしたら俺の気が変わって、あの海賊どもを助けて」


 ――――パンッ!!


 カッとなってハウストの頬を打っていました。

 熱いです。痛いです。彼の左頬と私の手の平が赤くなる。

 彼の頬を叩いた手の平がジンジンします。


「ブレイラ……」


 ハウストは信じ難いものでも見るように私を見ます。

 思いきり睨み返してやりました。


「さっきの言葉、今すぐ訂正しなさい。いくらあなたでも、いいえ、あなただから許しません」


 彼の頬を打った手を握りしめ、強い口調で言い返しました。

 でもどれだけ気丈に振る舞おうと、情けないですね、視界が涙でじわじわと滲んでいくのです。

 私は誰からの侮辱も耐えられるけれど、ハウストだけは駄目なんです。だって、私を本当の意味で傷付けられるのは彼だけです。


「訂正、してくださいっ」


 震える声で、もう一度言いました。

 ハウストは表情を険しくして私を見据えます。

 怖い顔ですね。でも負けません。私が睨み返すと、少し困ったように目を逸らしました。


「興醒めだ」


 ハウストはそう言って私の上から起き上がりました。

 そして訂正してくれないままベッドから離れていく。


「旅の疲れもあるだろう。今夜は休むといい」


 淡々とした口調で言うと、部屋を出て行ってしまいました。

 一人で残された私は、彼が出て行った扉を睨みつける。

 結局、ハウストは訂正一つしてくれませんでした。

 私がハウスト以外に体を許し、愛するなんて有り得ないことです。大変な侮辱です。

 それなのに、ハウストからあんなことを言われるなんて、屈辱と悲しみに胸が張り裂けそうです。

 こんなに愛しているのにと、涙が次から次へと溢れてきました。

 想いを形にすることができればいいのに、見せることが出来ればいいのにっ。


「訂正くらい、していきなさいっ……!」


 扉に向かって涙声で怒鳴りつけます。

 信じてもらえない。それが悲しくて悲しくて仕方ありませんでした。





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