Ⅴ・魔王の怒りと軟禁と5

「……ハウストはいつ戻りますか?」

「魔王様は夜会に出席されていますので遅くなるかと」

「そうですか……」


 夜会とは舞踏会のようなものでしょうか。

 そこまで考えて、関係無いことと思考を散らす。ハウストは私がそういう場へ出ることを望んでいないのです。


「ブレイラ様、お食事をどうぞ。食欲はないようですが、少しでもお召し上がりください」

「……わかりました」


 食べたくありません。でも、少しでも食べなければ世話係りの侍女たちが叱られてしまうこともあります。

 フォークとナイフを両手に持って一人ぼっちの食事を始めました。

 側にはエルマリスも給仕の侍女もいるのに、まるで独り取り残された気持ちです。

 しばらくして部屋の扉がノックされました。

 返事をしようとした私は制止され、侍女が部屋を出て対応します。

 扉が開かれ、そこにはジェノキスが立っていました。


「よお、ブレイラ」

「ジェノキス、どうぞ入ってください」


 見知った男の姿に少しだけ気持ちが明るくなりました。

 ジェノキスを迎え入れようと立ち上がります。

 しかし、ジェノキスが部屋に入ってくる様子はありません。

 不思議に思って近づこうとすると、またしてもエルマリスに制止されました。


「お待ちください。支度いたします」


 エルマリスはそう言うと侍女に目配せする。

 すると部屋の入口にドレープ状の衝立を立てられ、私とジェノキスの間を隔てられました。すぐそこにいるのに姿を隠されたのです。


「……これは、いったいなんの真似です? どうしてジェノキスは部屋に入ってこないのですか? それに、この衝立もっ」


 声が微かに震えました。

 私のその声にジェノキスが苦笑したのが気配で分かります。


「入ってこないんじゃなくて、入れないんだよ。その衝立が魔王の逆鱗ラインだからな」

「なにをバカなっ……」

「これを越えたら魔王の逆鱗に触れる。これを越える許可が下りているのは、今のとこあんたの世話係りだけだ」

「なんですか、それはっ」


 あまりのことに怒りがこみあげ、衝立を退けようとしました。

 しかしそれは寸前でエルマリスに制止されます。


「おやめください、魔王様のお怒りに触れます。ご自覚ください」

「っ……」


 唇を噛み締める。今ここで衝立を壊せばエルマリスや侍女たちが咎められるのです。

 震える指先を握り締め、衝立を退けようとした手を下ろしました。


「……すみません。もう大丈夫です」


 そう言うと、侍女たちがほっと安堵します。

 あからさまなそれに苦笑しようとするも、失敗してなぜか泣いてしまいそうになりました。


「おい、そんな悲しそうな顔するな」

「……見えていないでしょう」

「見えなくても、なんとなく分かる」


 ジェノキスはそこで言葉を切ると、ふと真剣な雰囲気になる。

 衝立で隠されているので顔は分かりませんが、衝立越しの彼がじっと私を見ているのが分かります。

 でも伝わる真剣さとは裏腹な軽い口調で言葉を紡がれます。


「あんたが望むなら、これ壊してやろうか?」

「意味が分かりません」

「あんたが本気で俺のものになってくれるなら。死ぬ覚悟で俺とどこまでも逃げてくれるなら。三界の王の一人、魔王ハウストを敵に回してもいいって言ってんだよ」


 冗談のような口調で言われました。

 私の顔が少しだけ綻びます。

 彼の表情は見えていません。でも、だからこそ分かります。

 伝わる真剣さとは裏腹な軽い口調。それが彼らしいです。あなた、とても良い人ですからね。


「では、衝立はこのままにしておきましょう」

「……ああうん、分かってた。そういう奴だよな、ブレイラは。……あんたの欠点って、どう考えても男の趣味の悪さだぜ」

「ふふ、失礼ですね」

「ほんとの事だろ」


 互いに笑いあいました。

 この城に来て初めて笑ったような気がします。

 気の知れた相手と語らえるというのは心が落ち着きますね。

 でも不意にジェノキスの口調が改まる。


「でもな、これだけは忘れるな。あんたが惚れた魔王ってのは、そういう立場の男だ。三界の王に愛されるってのは、こういうことだ」


 真剣な口調で告げられました。

 改めて言われた内容に返す言葉がありません。

 彼の言葉は正しいのです。三界の王とは、この世で最も尊い三人なのですから。

 黙りこんだ私に、少ししてジェノキスが軽く声を掛けてくれます。


「というわけで、結構面倒だろ? 乗り換える気になったらいつでも言えよ」


 途端に明るく振る舞ってくれる彼に、「そんな日は来ませんよ」と私も明るい口調で答えました。優しいジェノキスの気遣いに感謝しています。


「お気遣いありがとうございます。でもこればかりは自分でもどうすることも出来ません。自分のことなのに不思議ですよね、止められないんです……」


 玩具のように扱われ、乱暴に抱かれたというのに、それでも私はハウストを愛しています。たとえ、こんな軟禁のような目に遭っても。

 視線が落ちましたが、今はいつまでも悩んでいる場合ではありません。どうしても彼に聞きたいことがあります。


「ジェノキス、教えて欲しいことがあります」

「分かってる、イスラのことだよな」

「そうです! あなたは何か知りませんか? どんな事でも構いません! 今どうなっているのですか? イスラのことは何か分かりましたか?!」


 思わず椅子から腰を浮かせました。

 エルマリスの冷ややかな視線に気付いて椅子に座り直すも、衝立をじっと見つめてジェノキスの返事を待ちます。


「イスラの安否はまだ分からない。だがイスラは三界の王の一人だ。勇者がこんなことで死ぬとは考えられない。クラーケンの手掛かりも掴めつつある。だから」


 ジェノキスはそこで言葉を切ると、躊躇いながらも真剣な声色で言葉を続けました。


「ブレイラ、お前はもう関わるな」

「え?」


 告げられた言葉に息を飲みました。

 でも衝立越しにジェノキスが淡々と続けます。


「イスラのことは魔王がなんとかする。精霊界も今回の勇者行方不明とクラーケンの一件は他人事だと思っていない。精霊王も全面的にクラーケン討伐に乗りだしている」

「……だから私は大人しくしていろ、と?」

「ああ、そうだ」

「い、嫌ですっ。どうしてそんなこと言うのですか! イスラは私の子どもです! それにアベルだってっ」

「海賊の話はするなっ」


 突然咎められてびくりっと肩が跳ねました。

 驚いた私に「……悪い。でも」とジェノキスが困った声で続けます。私の聞きたくない言葉を。


「海賊どものことは諦めろ。海賊ってだけでも重罪なのに、あいつらは魔王のものに手を出したんだ。処刑されて当然だろ」

「ち、違いますっ。誤解なんです! 私は彼らに誘拐されたわけではありません! イスラを取り戻したくて、私が自分から船に乗っただけなんです! それに、アベルは私をクラーケンから守ってくれました!!」


 必死で訴えました。

 この訴えが届かなければ海賊たちは絞首刑になるのです。そんなのは耐えられません。

 しかしジェノキスがため息をついたのが衝立越しに分かりました。


「……なら、尚更だ。これ以上事態を悪化させたくなかったら、ブレイラはもう何も関わるな。お前はここで待っていればいい」

「待つ? そ、それは、海賊を見捨てろということですか……?」

「そうだ、見捨てろ。お前が関われば魔王が動く。魔王が動く影響力は計り知れない。言っただろう、それが三界の王に愛されるってことだ」

「…………」

「ましてやお前は勇者の母親だ。結構面倒臭い立ち位置にいるんだぞ? 自覚してるか?」

「…………」

「とにかく、ブレイラはここでイスラが帰ってくるのを待ってればいい。魔王の側で大人しくしてろ。いいな?」


 黙りこんだままの私にジェノキスも黙りこむ。

 突き付けられた言葉は現実で、正しいものでした。

 重い沈黙が落ちる中、ふと空気が変わりました。

 エルマリスと侍女たちに緊張が走る。ハウストが戻って来たのです。

 衝立の向こうでジェノキスが「お疲れさん」とハウストを出迎えている。

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