Ⅵ・船長と幼馴染と2

「これはどうした」

「王妃様や執政官の方が贈ってくださいました。気遣わせてしまっているようで……。お礼のお手紙を書いた方がいいですよね」

「いや、しなくていい」

「でも」

「お前は何もしなくていい。礼なら俺が伝えておく」

「……それは関わらなくていいと、そういうことですか?」

「そういうことだ」


 はっきりと肯定されました。

 やはりハウストは私に関わってほしくなかったのです。

 ……私が上手く出来ないからですね。

 こういった外交が上手く出来ないと自分でも分かっていましたが、まさかハウストからはっきり告げられるとは思っていませんでした。

 彼が恥ずかしくないようにと頑張っていたつもりですが、彼と私の間には、どんなに努力しても埋めがたい溝があるのでしょう。それはきっと価値観や経験という名前の。

 視線が落ちて、震えそうになる指先を握りしめます。


「では、私はあなたの側でなにをすればいいですか?」

「何もしなくていい。俺を愛していてくれ、それだけでいい」


 そう言ってハウストは私を抱きしめました。

 私は彼の鍛えられた胸板に両手を置き、身を寄せて目を閉じる。私の腰を抱いている彼の腕はやんわりと優しく、とても力強くて温かい。

 愛されている。そして私も彼を愛している。

 それなのに、なぜでしょうね、心が晴れないのです。

 そして彼がそれに気付き、苦々しい顔になってしまう。

 抱きしめる腕を解き、「なぜだっ」と私の肩を掴んできました。


「俺は、お前に嫌われてしまったか? そんな顔をさせてしまうくらいにっ」

「いいえ、愛しています。ずっと、あなたが好きです」

「それじゃあっ」


 ハウストは何かを言いかけ、口を閉じる。

 そしてスッと双眸を眇めました。


「…………やはり海賊か? 奴らの処刑がそんなに気に入らないか!」


 苛立った口調で問われました。

 怒ったあなたが怖くて一歩後ずさりそうになります。

 このまま怒らせて、あなたに嫌われてしまうのではないかと思うと怖いです。

 でも今、人の命がかかっています。

 それは決して譲ってはいけないもののはずです。


「はい、海賊の処刑は納得いきませんっ。お願いします、処刑は考え直してください!」


 ハウストを真っすぐに見つめて訴えました。

 そんな私にハウストは眉間に皺を刻む。

 しばらく睨みあうように見つめ合っていましたが、ふと扉がノックされました。


「魔王様、ジェノキス様が例の件でお話があるとのことです」

「……分かった。すぐに行く」


 呼びに来た侍女にハウストが答えました。

 こんな時間だというのに、まだ休めないようです。


「……あなたもジェノキスもまだお仕事を?」

「急いでいる案件があるからな。お前はもう休め」


 ハウストはそう答えると、私の肩から手を降ろしました。

 扉に向かっていく後ろ姿を追いかけます。

 喧嘩中とはいえ忙しくしている彼の姿に心配になります。昨夜、喧嘩して部屋を出た後も仕事をしていたのかもしれません。


「……せっかく戻って来たのに、少しくらい休めないんですか?」


 心配した私をハウストが振り返りました。

 互いにぎくしゃくしたままですが、少しだけハウストの表情が和らいで私の頬をひと撫でする。


「ここへはお前の顔を見に来ただけだ」

「ハウスト……」

「先に休め」


 ハウストはそう言って私の頬に口付けると部屋を出て行きました。

 時計を見ると、日付けが変わったばかりの時刻です。

 こんな時間まで詰めなければならないなんて、何か起きているのでしょうか。

 少し気になりましたがハウスト自身に確かめることができませんでした。

 関わるなと言われて、教えてもらえないかもしれないと思うと、少しだけ怖いのです。

 ハウストは何もするなと言いました。何もせず、ただ側にいてくれればいいと。愛してくれてさえいればいいと。

 そんなに私を想ってくれるなんて嬉しいことです。

 でも今、ひどく物悲しく耳に残っていました。私も、ハウストも、互いに悲しいと。なぜでしょうね、そう思ってしまいました。

 私はハウストの何になりたかったのでしょうか。寵姫になりたかったのでしょうか。部屋を出ることすらままならない存在になりたかったのでしょうか。

 …………違います。そう思ったことなんて、一度もありません。

 そもそも、ハウストに一方的に想いを寄せていた時、結ばれた後のことなんて考えたこともありません。どうなるかなんて想像もしませんでした。

 そう、無知だったのです。

 ただ単純に、優しくされれば嬉しくて、擦れ違えば悲しくなりました。想いを諦めた時は胸が千切れそうになって、想いが叶った時は喜びで胸が一杯になりました。

 その時の切なさも喜びも昨日のことのように覚えています。

 たしかにハウストと結ばれた今、私の立場は寵姫というものなのでしょう。私がどれだけ否定しても第三者はそう思います。

 でも、やはり違う。私は寵姫ではいられません。

 だって、もしハウストが私以外を寵姫として側に召し抱えたら、私は今までのように側にいられなくなってしまいます。たくさんの寵姫の中の一人になりたくないのです。

 それだけじゃありません。世継ぎの為とはいえ正妃を娶っても、私はハウストの側にいられなくなります。

 私はいつからこんなに贅沢になったのでしょうね。結ばれる前は、側にいられるだけで満足だったのに。

 身勝手な自分に自嘲が浮かぶ。

 以前、彼は言いました。お前は面倒な性格をしている、と。

 静かに目を閉じ、そして決意とともにゆっくりと瞳を開く。


 そうでした、思い出しました。私、面倒な性格でしたね。








 翌朝。

 目が覚めて最初にしたことは、窓のカーテンを開けること。

 明るい朝の陽射しが部屋に差し込み、目を眇める。

 朝の空気は澄みきって、水色の空はどこまでも続き、見渡す海は宝石のようにキラキラと輝いています。

 遠くの広場に処刑台が見えました。

 そこは明日の正午、船長アベルとその仲間の海賊たちが処刑される場所です。

 広場の処刑台を静かに見据えていると、扉がノックされました。


「おはようございます。ブレイラ様、お目覚めでしょうか?」


 エルマリスです。いつものように侍女を従えて朝の支度にきてくれました。

 でも、今日は少しだけ趣向を変えてみましょう。私は面倒な性格をしているので。


「どうぞ」


 入室を許可すると、エルマリスと侍女たちが部屋に入ってきます。

 パタン。扉の閉まる音がして、私はゆっくりとエルマリスと侍女たちを振り返りました。

 侍女は五人。侍女たちはエルマリスの指示に従って朝の支度をする為に準備を始めています。その動きに無駄はなく、ハウストから聞いているとおり城内で優秀な侍女たちなのでしょう。

 私は侍女たちをゆっくり流し見て、そして。


「遅かったですね。何をしていたのですか?」


 尊大な口調で言いました。

 室内が一瞬で凍りついたのが分かりました。エルマリスと侍女たちが驚いたように私を凝視します。

 当然ですよね。昨日までの私はただ事態に流され、さぞ頼りなげで心細そうに見えていたことでしょう。エルマリスや侍女たちのするままお世話されていましたから。


「私が目覚めたら、すぐに来てもらわなければ困ります」


 呆れた口調で言うと、「も、申し訳ありませんでした!」と侍女たちはハッとして深々と頭を下げました。

 エルマリスも事態に気付き、慌てて謝罪してきます。


「申し訳ありませんでした。頃合いを見計らったつもりでしたが」

「言い訳は結構ですよ。それより朝の支度を」

「はい……」


 エルマリスが私に見えないように気を付けながら悔しげに拳を握り締めたのに気付きました。

 これはなかなか良い気味ですね。彼、初めて会った時から私に敵がい心を隠さなくて、チクチク嫌味を言ってきましたから。私、そういうの忘れないんです。

 私はチェアに深々と腰掛け、侍女たちの働く姿をゆったりと眺める。

 朝の目覚めのハーブティーが運ばれてきました。


「どうぞ」

「ありがとう。柑橘系のハーブティーですね、良い香りです」


 ハーブティーを一口飲み、その味わいに内心満足です。とても美味しくてお替わりしたいくらいでした。でも今は我慢ですね。まずは一人目の侍女から。


「このハーブティーもとても美味しいですが、昼食の紅茶は深くて濃い味わいのものがいいですね。何か用意できますか?」

「もちろんでございます。幾つか種類がありますので、後で」

「ああ、違いますよ。この城にある紅茶に興味はありません。貿易船で輸入されてくる異国の茶葉を幾つか見繕ってください。私の満足のいくものを選んできてくださいね」

「え、あの」

「今から昼食までに探して持ってくるように。頼みましたよ?」

「い、今からでございますか? ですが」

「探しに行っていただいても構いません。ここには他の侍女もいるのですから」


 有無を言わせぬ口調で命じました。

 まさか魔王の寵姫である私に逆らうわけないですよね? という威圧的な態度も忘れません。

 侍女はエルマリスをちらりと見て確認する。当然エルマリスは「ご命令に従うように」と指示してくれました。


「畏まりました。お望みのものを探して参ります」

「はい、楽しみに待っていますから」


 こうして一人目の侍女が退室してくれました。では、次は二人目ですね。

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