第五章・私は愛されたかったのです。たとえ娼婦のような真似をしても。5
翌朝、私は城にある広い厨房の片隅を借りて朝食を作っていました。
イスラの大好きなカボチャの甘いスープと焼きたてのふわふわパンです。
正直なところ、体は昨夜の情事の名残りを引きずっていて不調です。昨夜はハウストとの情事を終えるとイスラの部屋に戻って眠りました。ハウストは朝まで休んでいけばいいと労わってくれましたが、イスラを一人にしておけなかったのです。
しかも今日はイスラに朝食を作る約束をしていたので結局あまり眠れませんでした。
でも、私の側でスープとパンが出来るのをワクワクしながら待っているイスラの期待を裏切るわけにはいきません。
朝食が出来たら起こしますよと言ったのに、待ち切れないからと厨房まで付いて来たのですから。
「イスラ、もう直ぐできますからね」
「ふかふかのパンとかぼちゃのスープだな!」
「そうですよ。後からお菓子も作ってあげますね」
「けーきみたいなのたべたい。これくらいの」
小さな手で「これくらい!」と丸い形をつくる。
その姿が可愛くて思わず笑ってしまいました。
「ケーキもクッキーも作ってあげますよ」
「うん!」
イスラが足に抱き付いてきました。
甘えられてくすぐったい気持ちになりますが、今はちょっと邪魔で困ってしまいます。
「イスラ、ミルクを頂いてきてもらえますか?」
「おてつだい?」
「そうです。おてつだいしてください」
「わかった!」
イスラは大きく頷くと、厨房で忙しなく働いているコックの魔族に声を掛けに行きました。
ミルクを持って戻ってきたイスラを褒めると、ミルクを渡してくれたコックと目が合う。「ありがとうございます」とお辞儀しましたが、コックはすっと目を逸らして自分の仕事に戻ってしまいました。
……目が合ったと思ったんですが、気が付かなかったんでしょうか。
首を傾げましたが、「ブレイラ、はやく!」とイスラに急かされて朝食作りに戻りました。
完成したカボチャのスープとふわふわのパンはキッチンワゴンに乗せて食堂に運びます。
これから魔界の城で食事をする時は、私もハウストやイスラ、そしてハウストの妹だというメルディナと食堂でテーブルを囲むように言われました。
イスラは私が来る前からハウスト達と食事をしていて、それに私が加われることになったのです。
「ブレイラのスープとパン、たのしみだ」
「ふふふ、たくさん作りましたから、たくさん食べてくださいね」
「うん!」
嬉しそうなイスラに頬が緩みます。
考えてみればイスラの為に手料理を作ったのは久しぶりでした。
今回はイスラだけでなくハウストやメルディナも一緒なので、四人分のスープとパンです。
「ブレイラ、こっちだ!」
イスラに食堂まで案内され、大きな両扉が開く。
食堂の大きな窓から朝陽が差し込み、広々とした空間を明るく照らしています。
食堂の真ん中には楕円形の大きなテーブルがあり、そこにハウストとメルディナが先に着席している。その周りには給仕の召使いが整列していました。
「お、おはようございます」
優雅な雰囲気に圧倒されて少したじろいでしまいます。
そんな私の横をイスラが駆けていき、「ブレイラ、はやく!」とテーブルに呼んでくれました。
「ブレイラ、おはよう」
「おはようございます。ハウスト」
声をかけられて仄かに頬が熱くなる。
昨夜のことをどうにも思い出してしまうのです。ハウストは普段通りだというのに恥ずかしい。
「おはようございますわ。ブレイラ」
「おはようございます」
メルディナから声をかけられました。
彼女の紹介は魔界へ来た時にされましたが、私は少しだけ苦手です。
メルディナの容貌はまるでアンティークの人形のように愛らしく、魔王の妹姫らしく優美で気品に溢れています。ですが、初めて会った時から敵意のようなものを向けてくるのです。話しかけてくる口調に棘を隠そうとしないのですから分かりやすいくらいです。
「随分と遅かったですわね。お兄様をお待たせするなんてどういうつもりかしら」
「すみません、これを作っていたんです」
そう言ってキッチンワゴンをハウストとメルディナの前に押しました。
今日のパンとスープもなかなか上手く出来ました。自慢ではありませんが料理の腕は少し自信があります。
しかしそれを見たメルディナが目を丸め、「ああ、だからなのね」と呆れた溜息をつく。
「朝からコックが困っていましたわよ? 勝手なことをされては迷惑だと」
「え?」
「まだ分かりませんの? この城で働く者達はそれぞれ役目や仕事がありますわ。誰一人役目がない者なんていませんの。食事を作るコックの仕事を取らないでくださいませ」
「あ……」
言い返す言葉がありませんでした。
それは正論だったのです。コックにはコックの、給仕には給仕の、召使いには召使いの、それぞれ仕事があり、それを行なうからここにいるのです。
ハウストをちらりと見ると、彼も困ったように苦笑していました。
……彼も困っていたようです。でもそれは当然で、彼こそがこの城の主人です。主人の為にたくさんの魔族が仕えているのですから。
そしてテーブルを見ると、焼きたてのパンはもちろん、新鮮なフルーツやチーズや野菜など、豊富な種類の料理が並んでいました。
目にも鮮やかな料理はコックが皆のためによく考えて作ってくれたものです。
「……そうですね。すみません、うっかりしていました」
ここは一人で暮らしていた家ではないのです。
私は自分勝手なことをしてしまったようです。
せっかくパンとスープを作りましたが、これを食べたらせっかくコックが作ってくれた料理が無駄になってしまいます。
片付けようとキッチンワゴンを押すと、足元にイスラが抱きついてきました。
「いやだ。オレはブレイラのがいい」
「イスラ……」
「ブレイラのがいい」
ぎゅっと足元に抱き付いて、じっと私を見上げてくる大きな瞳。
私の胸もぎゅっとしました。
でもイスラの肩に手を置き、膝をついて目線を合わせる。
「ありがとうございます。でも今日はここの朝食を食べましょう」
「いやだ。オレは」
「イスラ」
イスラの言葉を遮りました。
食べたいと言ってくれるイスラの気持ちが嬉しかったです。それだけで充分でした。
「イスラ、ごめんなさい。でもせっかく作ってもらったんですから、こちらを食べましょう。ね?」
イスラを見つめ、宥めるように笑いかけました。
ごめんなさい、イスラには悪いことをしてしまいました。軽い気持ちで約束して期待だけさせてしまったんですから。
宥める私をイスラがじっと見つめます。
何か言いたげに口を開きかけましたが、少しして拗ねたように唇を尖らせる。そしてぽつりと言いました。
「……わかった。だから、そんなかお、するな」
そう言うとイスラが急に私に抱き付いてきました。
突然の甘えに少し驚きましたが、「だっこ」とぎゅっとしがみ付いてくる。
よく分かりませんが、とりあえずイスラが納得してくれたようなので良かったです。
「急に甘えてどうしたんですか?」
「あまえてない」
「そうですか? ふふ、そういう事にしておきます」
よしよしと背中をポンポン叩く。
抱っこしろなんて明らかに甘えていますが、今は小さな手でぎゅっと抱き締められると何故か安心します。
私はイスラを抱っこし、ハウストとメルディナのいるテーブルに着席しました。
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