Ⅲ・海戦と怪物と1


 朝、目が覚めたのはいつもよりゆっくりした時間でした。

 昼までには目覚めることが出来ましたが、やはりいつもより疲れていたみたいです。

 当然ながら隣にハウストの姿はありません。現在精霊王と会談中の彼に暇な時間などなく、今日の政務は既に始まっているのです。

 そして私はというと、今日は一日病人扱いされることになりました。

 何かと世話をしてくれようとする召使いたちに恐縮し、重病人ではないのだからと説得しようとしましたが、どうやらハウストが厳重に指示をしたらしく聞いてもらえませんでした。


「……ようやく落ち着きましたね」


 医師の診察と治療を終えるとひと心地つきました。

 体調もほとんど回復し、頬の傷も塞がってきています。

 療養中は退屈で仕方ありませんが、ハウストを心配させたくないので今日は大人しく部屋で過ごしましょう。

 でもせめて潮風を感じようと、窓を開けてバルコニーに出る。


「え?」


 海を一望し、飛び込んできた光景に驚愕しました。


「……ど、どうして戦艦がこんなにたくさんっ」


 海に物々しい装甲の巨大戦艦が幾隻も見えるのです。

 昨日は戦艦なんて一隻もない穏やかな海だったのに、一夜にして様変わりしてしまっています。いったい何が起きているんでしょうか。

 まるで今にも海戦が始まりそうな物々しさに驚いていると、「ブレイラ、起きているか?」とノックとともにハウストが入ってきました。


「ハウスト、大変です! 海にたくさん戦艦が!」


 そう言って私はハウストをバルコニーに引っ張ってきました。

 そして昨日はなかったはずの戦艦を一隻ずつ指差してみせます。


「あそこにもあそこにも、ほらこっちにも! ああ、あんな所にもいます!」

「俺の海軍だ」

「そう、あなたのっ、……え?!」


 ギョッとしてハウストを振り向きました。

 しかしハウストは淡々とした様子で海に浮かぶ戦艦を眺めています。


「昨日、お前を発見してからすぐにこの海域一帯を封鎖した」

「ど、どうしてそんなことを……」

「決まっているだろう、海賊狩りだ」

「海賊狩り……」


 思考がついていきません。

 一夜にして海が戦艦だらけになったのは、昨日の海賊を捕らえる為だけだというのです。


「俺は今回のことを些末なことだと思っていない。海賊には過ちの代償を払ってもらう。奴らにとって良い学びの機会になるだろう」


 最悪な形で学べと、そういうことなんですね。

 どうしましょう。驚きすぎてどうしていいか分かりません。

 悩んでいると、戦艦を眺めていたハウストが私を見つめます。

 その眼差しはひどく優しい色を帯びて、戦艦を見ていた時のような淡々としたものとはまったく違うものです。


「体調はどうだ?」

「大丈夫です。医師も回復しているとおっしゃってくださいました」

「そうか、なら良かった。精霊王がお前を見舞いたいと言っていた。見舞いの品も幾つか贈られている。後で目録に目を通しておいてくれ」

「余計な気を使わせてしまいましたね。申し訳ないことをしてしまいました……」

「気にするな。もし気になるなら、今夜の晩餐会で礼を言うといい。といってもお前の体調次第だ」

「今夜、晩餐会があるんですか?」

「ああ、だが無理しなくてもいいぞ。出たくないなら出なくてもいいんだ」


 気遣ってくれるハウストの気持ちは嬉しかったですが、首を横に振りました。見舞いの品を頂いたのに礼をしないままなんて失礼です。


「いいえ、出席します。お土産を頂いているのに、お見舞いまで頂いてしまって……。直接お礼を言わせてください」

「分かった。だが気分が悪くなったら直ぐに言ってくれ、気にせず下がってくれて構わない」

「ありがとうございます。ご心配おかけしてすみません」

「心配するのは当然のことだ」


 そう言ってハウストが私の肩を抱きよせ、唇に口付けてくれました。

 突然の口付けに頬が熱くなります。でも「ダメですよ?」とやんわり注意しました。

 口付けられるのは嬉しいですが、ここは海に面しているとはいえ明るい陽射しが差すバルコニー。誰が見ているか分からないのです。

 でもハウストは不満だったようで眉間に皺を刻む。


「そんな顔しないでください」


 指で眉間の皺に優しく触れると、ハウストは驚いたように目を瞬き、ふっと笑ってくれました。

 そして眉間に触れていた私の手を取ってそっと唇を寄せる。手の平から手首へ口付けながらじっと私を見つめてきます。


「やめさせたいのか誘っているのか、どっちだ?」

「そ、そんなつもりはっ」

「お前は人をその気にさせるのが上手い」


 ハウストはそう言うと口付けていた私の手を引き、また唇に口付けようと覆い被さってきました。しかし。


「魔王様、お時間です」


 コンコン。ノックとともに扉の向こうから侍従官が声を掛けてきました。

 口付けを遮られたハウストはまた眉間に皺を寄せましたが、今回は仕方ないですよね。


「ハウスト」

「ああ、分かっている」


 ハウストは諦めたように苦笑すると、私の唇に触れるだけの口付けを落としました。

 そして残念そうにしながらも私の肩から手を下ろす。

 ですが政務に戻る前に私の肩に薄手のカーディガンを羽織らせてくれました。


「外の風にあたるのもいいが、体を労わることも忘れないでくれ」

「ありがとうございます」


 微笑むとハウストは目元に口付けてくれます。


「後で目録を持ってこさせる」

「分かりました。晩餐会までに目を通しておきます」

「ああ、頼む」


 そう会話しながらハウストと手を繋いだまま扉へ向かう。

 ハウストが扉の前で立ち止まり、繋いでいる手に口付けられました。


「一人にしてしまうが、今はゆっくり休んでくれ。側にいてやれなくてすまない」

「大丈夫ですよ。それより会談は上手くいってますか?」

「もちろん順調だ。では行ってくる」

「はい、いってらっしゃい」


 今度は私からハウストの頬に口付けました。

 いってらっしゃいの口付けにハウストは一笑し、彼もまた口付けを返してくれます。

 こうしてハウストは政務に戻っていきました。

 また部屋に一人残されましたが、間をおかずに、――――コンコン。小さなノックの音がしました。

 控えめな音に首を傾げ、「どうぞ」と声をかける。

 するとカチャリと扉が開き、イスラがおずおずと顔を覗かせました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る