第一章・勇者誕生。勇者のママは今日から魔王様と4

 驚くべきことに甘い期待は直ぐに叶いました。

 生まれたばかりの赤ん坊をつれて自宅の山小屋に帰ると、そこにハウストがいたのです。


「ハウスト……っ」


 その姿に大きく目を見開く。

 十年振りに再会した彼は、初めて出会った時と変わらない姿でした。

 いえ、初めて出会った時とは違って貴族のような格好をしている。やはりどこか高貴な身分の方だったのでしょう。

 ずっと会いたいと思っていた相手にこんなにあっさり会えるなんて、まるで夢のようで胸が一杯になる。

 そんな私にハウストが優しく笑いかけてくれます。


「久しぶりだな、ブレイラ。覚えていてくれて嬉しいぞ」

「わ、忘れるはずがありません! あなたも、覚えていてくださったんですねっ」

「当たり前だ、あの嵐の夜を忘れるはずがない」

「ハウスト……」


 ハウストの言葉にじわりと涙が浮かぶ。

 私がずっと彼を忘れられなかったように、彼も私を覚えていてくれた。

 それが嬉しくて、胸が温かなもので満たされていく。こんな感覚はハウストと初めて出会った子どもの時以来です。


「あなたから渡された卵から勇者が生まれました。本当に赤ちゃんが生まれてくるなんて驚きましたよ」

「ああ、まさか誕生させるとは……。お前は本当に素晴らしいな」

「ありがとうございます」


 ハウストに褒められてくすぐったい気持ちになる。

 やはり勇者の卵がハウストと私を繋げていた。今まで大事にしてきて本当に良かったです。


「勇者を抱かせてくれ」

「はい、どうぞ」


 抱いていた赤ん坊を渡すと、ハウストは優しい手付きで抱く。


「小さいな、壊してしまいそうだ」

「ふふ、大丈夫ですよ。それにこの子は勇者なんでしょう? それなら強い子どもです」

「ああ、そうだ。勇者は強くなくては困る」


 ハウストはそう言うと私に笑いかけてくれる。


「ありがとう。この勇者はお前のお陰で誕生できたんだ」

「私は何もしていません。ずっと持ち歩いていただけです」

「それでもだ。誰でも良かったわけじゃない、きっとお前でなければ勇者は誕生しなかっただろう」

「そうなんですか?」

「勇者は人間だが普通の人間じゃないからな」

「そういうものですか」


 よく分からないけれど、ハウストに喜んでもらえて良かった。私だからと特別に思ってもらえるのは嬉しいことです。


「勇者の名前は決まっているのか?」

「いいえ、さっき生まれたばかりなので」

「そうか、ではイスラと名付けようと思う。構わないか?」

「素敵な名前ですね。この子も喜びます」


 イスラと名付けられた赤ん坊を見つめる。

 どこにでもいる普通の赤ん坊に見えますが、イスラは本当に勇者なんですね。

 ハウストはとても大切そうに赤ん坊を抱いている。さっき襲ってきた精霊族の男もそうでした。


「ハウスト、教えてほしいのですが勇者とはなんですか? さっきジェノキスと名乗る精霊族の男に卵を奪われそうになったんです」

「ジェノキスだと?」

「知ってるんですか?」

「奴は精霊族最強といわれている精霊王直属の護衛長だ。よくイスラを守ってくれた、ありがとう」

「か、感謝なんていりませんっ。当然のことですよ!」


 改めて感謝されて照れてしまう。

 思わず熱くなる頬を両手で押さえましたが、そんな私とは反対にハウストからは深刻な雰囲気が漂う。


「精霊族に勇者誕生を知られたか、厄介だな」


 ハウストはそう言うとイスラを抱いたまま小屋の出口へ向かう。

 私は慌てて呼び止めました。


「ハ、ハウスト? どこへ行くんですか!?」

「勇者を安全な場所に連れていく。お前には世話になったな」

「えっ、ええ!?」


 いきなり過ぎて訳が分からない。

 とてもあっさり告げられたけど、それは別れの挨拶。

 思わずハウストの腕を掴んで引き止めました。


「ま、待ってくださいっ。イスラをどこに連れて行くんですか? あなたも行ってしまうんですか!?」

「ああ、イスラを保護しなければならないからな」

「そんな……」


 やっと再会できたと思ったのに、呆気ないほど簡単にさよならを告げられました。

 立ち去ろうとするハウストに焦ってしまう。

 行ってほしくない。ここで別れたら次はいつ会えるか分からない。いえ、きっともう会えないでしょう。だって今までハウストと私を繋いでいた卵は孵化したのだから。


「あの、私、あの……っ」


 どうしよう、行ってほしくないです。

 引き止めたいのに引き止める理由がない。


「どうした?」

「いえ、その、……帰るんですか?」

「ああ。お前とはこれまでになるが、元気でいてくれ」


 そう言ってハウストがなんの未練もなく歩いていく。

 縋ってでも引き止めたいのに何も出来ない。


「びええええええええん!!!!」


 けたたましい泣き声があがりました。イスラです。

 誕生した時以上の大きな泣き声にびっくりしてしまう。

 ハウストも突然泣きだしたイスラに驚いて立ち止まりました。


「……さっきまで大人しかったんだが」


 泣きわめくイスラにハウストが途方に暮れる。

 ハウストに抱かれたイスラが泣きながら私に手を伸ばしていました。

 私を求めてくれるイスラに胸が一杯になる。だって、これは私にとって願ってもないこと。


「イスラ、どうしました? お腹が空いたんですか?」


 ハウストからイスラを受け取ると声を掛けてあやす。

 するとイスラは安心したように泣きやみ、嬉しそうに私の服を掴んでくれました。

 そんなイスラの様子にハウストは少し驚いたようですが、諦めたように小さく笑う。


「イスラはブレイラと離れたくないようだ。親だと思っているんだろう」

「わ、私もイスラを大事に思っていますっ。自分の子どものようだと……!」


 本当は親の気持ちなんて分からない。自分の子どもという感覚も分からない。

 だって私は孤児です。そんなもの分かるはずがありません。

 でも今、一縷の望みに縋りました。

 だってハウストはイスラを大切に思っている。でもイスラは私を必要としている。ならばこれが引き止める理由になるはずです。


「イスラ、お腹が空いたならミルクを用意しましょう。ミルクを飲んだらお昼寝の時間ですよ?」


 優しくあやすようにイスラに話しかける。

 イスラは相変わらず無愛想なままですが、「あぶー」と声をあげて私の服を離さない。

 その小さな手を優しく手の平で包み、ゆっくりとハウストを振り返る。


「ハウスト、せめてイスラがもう少し大きくなるまで一緒にいてはいけませんか? お願いします」

「しかし……」

「お願いします!」


 必死にお願いしました。

 イスラが手元にいるかぎりハウストとの繋がりは途絶えない。イスラを絶対手放したくありません。

 こんな気持ちで子どもを育てるなんてきっと間違っている。こんな自分勝手な思いに子どもを巻き込むなんて許されることじゃない。分かっています。でも分かっていても、どうしてもハウストとの繋がりを手放すのが嫌でした。


「お願いします、ハウスト」


 縋るようにお願いする私にハウストは思案気な顔をする。

 しばらく何ごとかを考えていましたが、仕方ないと諦めたように苦笑しました。

「……わかった。だがお前とイスラを二人にしておくことはできない。俺も一緒に住まわせてもらうことになるが、構わないか?」

「も、もちろんです!」


 勢いよく頷きました。

 望んでいた以上の提案までされて思わずイスラを抱く手に力がこもる。

 こんな夢みたいなことがあるでしょうか。


「では、しばらくイスラとともに世話になる」

「はい! こちらこそよろしくお願いします!」


 どうしよう。嘘みたいです。夢みたいです。

 だって、これからハウストとイスラと私、三人の生活が始まるんです。

 まさかこんな夢みたいなことが現実になるなんて信じられません。

 顔を上げると優しい面差しをしたハウストと目が合いました。

 顔が熱くなって、どうにもくすぐったい気持ちが込み上げる。

 私、知っています。本で読んだことがあります。

 これは恋っていうんですよね。私は彼に恋をしている。

 この想いが実を結んだらどれだけ幸せでしょう。

 私がハウストを想うように、いつかハウストも想ってくれればいいのに。そうなってほしい。そうなればいい。

 恋なんて初めてで、それを叶える為にどうすればいいのかよく分かりません。

 でもハウストが望むことを叶えていけば、きっといつか私の想いが届くかもしれない。

 恋とは不思議なものですね。

 何でも出来そうな気持ちになります。

 自分の中にこんな熱く胸が滾るような激情があるなんて知りませんでした。


「あー、あー」

「どうしました? おしっこですか?」


 抱っこしているイスラに笑い掛けました。

 ハウストの為にまずこの赤ん坊を立派に育てましょう。そう、ハウストの望む子どもになるように。




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