Ⅳ・海洋王国と陰謀と4

「おっ、ご苦労だったな」


 アベルが波打ち際まで歩いていきます。

 私も後に付いていき、初めて見る魚網漁に感心しました。

 すごいです、本当に大漁です。網の中で数えきれないほどの小魚や大きな魚がビチビチ元気に跳ねています。その中に特に大きな魚がいました。人間の大人くらいの大きさで、鋭い眼光はアベルみたいですね。


「すごく大きいのがいますね、これなんていう名前の魚なんです?」

「おい、あんま近づくな。食われるぞ?」

「えっ、食べる?!」


 驚いて飛び退くと、アベルが笑いながら説明してくれます。


「そいつはサメだ。人間だろうがなんだろうが何でも食う肉食だぜ?」

「サメ?! 図鑑で見たことがあります! 海にすむ生物の中でも凶暴な魚だって書いてありましたっ。これがサメ……」

「凶暴な種類ってだけで、全部のサメが凶暴なわけじゃねぇよ。こいつは攻撃的だけどな」

「なるほど」


 遠くからサメを見学していると、サメだけ網に残したまま、サメ以外の魚を食料担当の海賊たちが引き上げていきます。

 大漁だ大漁だと持っていく魚はきっと保存食として使われるのでしょうが、サメを引き上げようとする様子はなく、広げた魚網の中で生け捕りにしたままです。


「サメはどうするのですか? こんなに大きいんですから、たくさん食べられますよ?」

「いや、サメはあんまりうまくねぇんだ。だから俺たちは食べねぇよ。でも、そんなサメを喜んで食う奴がいる」


 アベルはそう言うと、浜辺から夜の暗い海を見据えました。

 その鋭い眼差しは獲物を狙うそれで、私もはっとします。


「まさか、クラーケンっ……」

「正解だ。このサメはクラーケンをおびきだす餌だ。この近海にクラーケンがいる情報が確かなら、今夜はこの島の入り江付近を寝床にする可能性が高い」


 アベルはそう言うと仲間の海賊たちとサメの配置場所や島の入り江の形状を確認したりし始めました。

 着々とクラーケンとの接触が近づき、私の緊張も高まっていく。やはり海賊たちについてきて正解でした。

 でもふと、疑問が浮かんでアベルを見つめます。

 彼は、この近海にクラーケンがいるという情報をどうやって手に入れたのでしょうか。

 仲間たちとの話し合いが終わったのを見計らい、アベルに話しかけます。


「アベル、少しいいですか?」

「なんだよ」

「一つどうしても気になるんですが、あなたはどこから情報を手に入れているんですか?」

「……またその話かよ」

「最初は腕利きの情報屋でも雇っているのかと思っていました。でも、クラーケンの行動まで予測できるような情報って、なかなかないですよね? どんなに腕利きの情報屋でも扱える種類のものではありませんから」


 言葉にすればするほど違和感が確かなものになっていきます。

 やはり船長アベルは何かを隠しています。重大な何かを。

 黙りこんだアベルをじっと見つめました。


「それが話せないものなら話さなくても構いません。でも、どうしてもクラーケンの情報だけは欲しいのです。イスラがクラーケンを追っていた時、少し様子が変だったんです」

「……あの勇者のガキが?」

「はい、イスラは暗示にでもかかっているみたいに、クラーケンを倒すことばかり考えていたんです」


 あの洞窟の隠しアジトで私を海に引き摺りこんだのはクラーケンで間違いないでしょう。それから助けてくれたのはアベルです。

 そして、その時からイスラは何か悩んでいるようでした。最初は何らかの隠しごとかと思っていましたが、そうではなく、イスラはその時からクラーケンを倒すことしか考えていなかったのかもしれません。

 そのことを話すと、アベルは渋い顔で舌打ちしました。


「……あのガキ、俺との約束なんて最初からなんとも思ってなかったってことかよ。ほんと可愛げねぇガキだな」

「あなたとの約束?」

「ああ、クラーケンが出たことは誰にも言うなって約束させたんだよ。まあ、海賊狩り中にあんなに派手に出現した所為で意味はなくなったけどな。お陰で目撃者だらけだ」

「どうしてクラーケンのことを黙っていようと思ったんです?」

「それは」


「――――船長! クラーケンだ、餌を狙ってやがる!!」


 突然あがった見張り番の声に、アベルと私もはっとします。

 海賊たちとともに入り江へ駆けだしました。


「思っていたより早く引っかかりましたね。そんなにお腹が空いていたんでしょうか」


 まさかこんなに早くクラーケンと接触できるなんて願ってもない幸運です。

 アベルたちとクラーケンがいるはずの入り江に立ち入ります。

 そこは静かな夜の海の光景が広がっていて、とても巨大なクラーケンが出現したようには見えませんでした。


「全員配置につけ! 油断するな、夜の闇に紛れて襲ってくるぞ!!」


 入り江がぴりぴりした緊張感に包まれます。

 私には分かりませんが、海で生きている海賊たちは僅かな異変も見逃さず、クラーケンが近くに潜んでいることを察知しているようです。

 いざという時の為に短剣を握り締めました。

 警戒する中、ビュッと空を裂く音がしたと同時に怒号があがりました。


「来たぞっ、気を付けろ!!」


 クラーケンの巨大な足が鞭のように襲ってきたのです。

 ガンッ! ドンッ! ガシャン!!

 入り江の岩が粉砕され、人間が人形のように弾き飛ばされました。

 圧倒的な力の前に恐怖で体が竦みそうになります。でも今、恐怖以上に怒りが込みあげる。


「よくもイスラをっ! イスラを返しなさい!!」


 巨大な足に向かって短剣を振りかざします。

 夢中でクラーケンに向かっていく私にアベルがはっとする。


「しゃがめっ、上だ!!」

「えっ?!」


 ハッとして上を向くと、別の足が私に向かって振り上げられていました。

 突然のことに逃げる間もなく、勢いよく振り下ろされたその時。

 ――――ドンドンドンドン!!

 激しい砲撃音が海から響きました。

 砲弾がクラーケンに命中し、巨大な怪物は慌てて海へ逃げていく。


『そこまでだ! 我々は海洋王国モルカナの海軍である! 魔王の要請により、我が国に海賊拿捕の命令が正式に下された! 海賊は大人しく投降せよ! さもなくば命の保証はない!』


 拡声器を通して警告されました。

 見れば無人島の沖に隊列を組んだ戦艦が幾つも見えます。

 戦艦にある全ての砲身が無人島にいる海賊に向けられていました。


「モルカナが出てきたか」

「モルカナ?」

「ああ、この第三国に接している人間界側の国だ。まさか魔王が人間に接触するとは意外だったぜ。人間嫌いってのは嘘かよ」


 海を見渡すと無人島をぐるりと包囲して戦艦が隊列を組んでいます。

 逃げる隙間もない包囲網に海賊たちの間に動揺が走りました。


「船長、どうする? モルカナの海軍は厄介だぜ」

「ああ、この辺の海を知り尽くしてる」

「正面からやり合うのは無茶だっ」


 逃亡も難しく、また戦うことは無謀に近い。そんな状況でした。

 しかしアベルが好戦的な目を曇らせることはありません。


「黙って捕まるわけねぇだろ!! 急げ、包囲網を突破する!! ありったけの砲弾を使え!!」

「「「オオオオオオオ!!!!」」」


 船長の命令に海賊たちが勇ましく拳を振り上げました。

 もちろん私もお手伝いします。せっかくここまで来たのに、ここでモルカナに捕まるわけにはいかないのです。

 しかし諦めない海賊を嘲笑うように拡声器の声が響いてきました。


『抵抗することは許さん! さもなくば、貴様らの仲間は今ここで銃殺刑とする!!』


「どういうことだ?!」

「た、大変だ!! 入り江の見張り番が一人戻ってねぇ!! そういやクラーケンと戦ってた時もいなかった!!」

「なんだと?!」


 アベルが双眼鏡で沖の戦艦を見ました。

 双眼鏡を覗きながら、その顔が苦渋に歪んでいきます。


「まさか、船長……」

「ああ、戦艦の甲板で貼りつけにされてやがる」

「畜生っ、あいつら!」


 アベルは激昂する仲間たちを見回し、静かに目を閉じました。

 でも少ししてゆっくり目を開き、真剣な顔で決断を口にします。


「……投降する」


 そのたった一言に、騒がしかった甲板がシンッと静まり返りました。

 皆が固唾を飲んで船長を見つめます。


「投降した後の命の保証はない。逃げたい奴は逃げろ、この逃亡は裏切り扱いしねぇから安心しろ」


 そう言ってアベルがニヤリと笑いました。

 なにが安心しろ、ですか。笑っている場合ではないというのに、余裕と自信に満ちたそれに胸が締め付けられました。

 アベルは死を覚悟したのです。

 仲間たちが堪らずに泣きだして、それをアベルがじっと見つめています。


「アベル、本当に投降するのですか?」

「当たり前だ。俺は絶対に仲間を見捨てねぇ」

「私を人質にすればいいじゃないですか! 私なら人質になるって言ったのはあなたでしょう?!」


 そう言った私にアベルは一瞬驚いた顔をしたかと思うと、呆れた顔で苦笑しました。

 そして生意気にも言うのです。


「馬鹿か。自意識過剰もいい加減にしろ」




 こうして海賊の船長アベルは、最後まで同行すると決意した約半数の仲間たちとともにモルカナの海軍に投降しました。

 私は海賊に誘拐されていた被害者として保護され、モルカナの城で魔界からの迎えを待つことになるのでした。





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