Ⅴ・魔王の怒りと軟禁と1
◆◆◆◆◆◆
海洋王国モルカナ。
人間界にある国の一つで、海洋資源と貿易によって莫大な富を得ている国である。
しかしこの国に王は不在だった。
五年前に先代国王が病気で崩御し、その後、世継ぎだった嫡男も失踪したのである。それ以来、玉座は空席のまま現在に至っていた。
多くの不幸に見舞われた国だが、王妃の庇護を受けた執政官によって国政が執り行われている。そして失踪した嫡男が戻らなければ、現在七歳の第二王子が成人してから王位を継ぐことに決まっていた。
「……すげぇ分かりやすい御家騒動だよな」
移動中の戦艦で、資料を目にしたジェノキスが苦笑混じりに言った。
しかも嫡男の母親は産後の肥立ちが悪くて病死しており、第二王子の母親は後妻だった。
誰も口に出さないが誰もが暗黙のうちに分かってしまう。明らかに王家は執政官と王妃によって乗っ取られたのだと。
「人間界の一国が乗っ取られようとどうなろうと知ったことか」
「たしかにな。先代魔王に乗っ取られかけた精霊界の俺がいうのもなんだけど、こういうの本当に面倒だぜ。まあ、ブレイラを保護してくれたことは感謝するけど」
ジェノキスはそう言うと、ハウストをちらりと見てため息をつく。「あーあ、めちゃくちゃ怒ってる……」と顔を引き攣らせた。
要請していた海賊拿捕が成功し、モルカナからブレイラを無事に保護したと連絡が入った。
ブレイラ保護の一報はハウストを歓喜させたが、同時に怒りを起こさせるものだったのだ。
現在、魔王ハウスト自らがモルカナで保護されているブレイラを引き取りに行く途中である。そしてジェノキスは精霊王フェルベオの代理だ。
クラーケンの一件を調査するうちに、魔界と精霊界はモルカナが関与している可能性に行きついたのである。ジェノキスの同行はその調査を兼ねてのものだった。
「……あんまり怒るなよ? ブレイラはビビりなんだから」
「黙っていろ。貴様には関係ないことだ」
ハウストが苛立ったように吐き捨てる。
ブレイラが行方不明中、ハウストは気がおかしくなるような憂慮と恐れに見舞われた。そして無事に保護された今、それは反動して途方もない怒りとなっていたのだ。
「魔王様、ジェノキス様、間もなくモルカナ港に到着いたします。モルカナ王妃と第二王子、執政官が港で出迎えて歓待したいと申しておりますが如何致しますか?」
「遠慮させてもらう。それよりすぐに城に案内させろ」
「畏まりました」
伝令兵が去ると、また別の兵士が指令室に伝令に訪れる。
「ブレイラ様を誘拐した海賊の処遇について、モルカナが意見を求めたいとのことです。現在、海賊は船長アベルをはじめ投降した二十六人全員の絞首刑、並びに逃亡中の海賊も見つけ次第処刑を施行すると刑罰が決まりました。何かありましたでしょうか?」
「好きにしろ。絞首刑でも火刑でも、極刑ならなんでも構わん」
「畏まりました」
ハウストの言葉を伝えに伝令兵が駆け去っていく。
それを見送ったジェノキスは呆れた笑みを浮かべる。
「ハハッ、媚びまくってるな~。……でも王がいないってこういうことだよな、お気の毒さま」
自国で拿捕した海賊の処遇を他国の王に意見を求めるなど愚の骨頂である。
だが他国と渡り合えるはずの王が不在なのだ。執政官で代理が勤まる筈がなく、他国の王の位より一段下がった位置になるのは致し方ないともいえた。
そもそも三界の王である魔王と精霊王と勇者は、人間界にある諸国の王族たちよりも神聖な存在とされているのだ。ハウストと渡り合える人間は、人間の王である勇者のみである。
しかしだからこそ、執政官や後妻の王妃にとってはまたとない好機でもあった。今回、魔王の要請に応えて海賊を拿捕し、寵姫ブレイラを保護したことはモルカナにとって大変な功績になったのだ。
これを機に魔王の後ろ盾を得れば、御家騒動によって不安定だった地位が盤石になるのである。
もちろんハウストも執政官と王妃の狙いは分かっていたが、そんなものに興味はなかった。自分にとって都合の良い手駒になるなら好きにすればいいとすら思っている。人間界に数多くある王家の一つが乗っ取られようが潰えようが、ハウストにとってさしたる問題はないのだ。
しばらくしてモルカナ王国の港にハウストとジェノキスが乗った巨大戦艦が到着した。
魔王がモルカナを訪れるという情報に港は大変な騒ぎになっている。
ハウストは騒がしい人間たちに辟易するも、ブレイラが保護されている城へ急いだのだった。
◆◆◆◆◆◆
私は海洋王国モルカナの海軍に保護され、城の一室で魔界からの迎えを待つように言われました。
用意されていたサファイア色のローブは目にも鮮やかな衣装で、動く度に上質な生地で織られた長い裾がさらさらと広がって靡きます。それはこの国の海と空を閉じ込めたかのような美しい召し物でした。
でも今、どんなに美しいものを目にしても心が晴れることはありません。
小高い丘にある城からは空も海も一望できるのに、それを目にしても上の空でした。
「イスラ、アベル……」
目を閉じて最初に浮かぶのはイスラです。
未だにイスラの安否は分かりません。どこかで生きていると信じていますが、無人島でクラーケンと接触した時はなんの手掛かりも掴めなかったのです。
そして次に思うのはアベルや海賊たちのことでした。海軍に投降した彼らが投獄されたことは想像に難くありません。酷い拷問を受けているのではと思うと、彼らが海賊とはいえ気が気ではありませんでした。
海賊の前科はともかく、私は海賊に誘拐された訳ではありません。せめてその誤解だけは解かなければならないのです。
落ち着かずに部屋の中をうろうろしていると、ふと扉がノックされました。
「失礼します。ブレイラ様、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
入室を許可すると、栗色の髪の若い青年が入ってきました。
年齢はアベルと同じくらいでしょうか、でもアベルとは違って細身で理知的な美しさを持った青年でした。
「初めまして、執政補佐官のエルマリスと申します。以後お見知りおきを」
「初めまして、ブレイラと申します」
「ブレイラ様、海賊船では大変な思いをされたと思いますが、御心をお慰めできたでしょうか。ブレイラ様に不自由な思いをさせぬように仰せつかっております」
「充分です。それより教えてください、捕まった海賊はどうしていますか?」
「現在、海賊は地下牢に投獄されています。寵姫ブレイラ様を誘拐した咎により、三日後の正午、船長アベルをはじめ仲間の海賊たちの絞首刑が決定しました」
「絞首刑?!」
絞首刑。極刑の可能性を考えていなかったわけではありませんが、こうして突き付けられると重く伸し掛かりました。
声を上げた私にエルマリスが淡々と言葉を続けます。
「なにを驚かれているんですか。海賊なんですから当然の処遇です」
「で、でも、船長は私を助けてくれたこともあるんですっ。それに、私が勝手に海賊船に乗り込んだだけで、彼らに誘拐されたわけじゃありません!」
「そんなことを申されましても、今さら処刑が覆ることはありません」
「いえ、このまま何もしない訳にはいきません。せめて誘拐の誤解だけは解きますっ。上の方と話をさせてください、今すぐっ!」
そう言って私が部屋を出ようとした時、
「――――部屋から出ないでください!」
ぴしゃりと強く言われました。
驚いて振り向くと、エルマリスが底冷えするような目で私を睨んでいました。そして。
「あなたに憂慮などされては海賊も浮かばれませんね。海賊にとってさぞ屈辱でしょう。ご自覚ください、ご自分が招いたことだと」
静かな声色で紡がれたのは、自責の念を求めるものでした。
私を見据える目に憎悪が宿っているのは気の所為ではありません。
わけが分かりませんでした。なぜ彼が私をそんな目で見るのか……。
しかし困惑する私を無視し、エルマリスは淡々とした口調で用件を続けます。
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