Ⅳ・海洋王国と陰謀と3
水平線に陽が沈む頃。
海賊船は小さな無人島に停泊しました。
どうやらここは海賊の隠しアジトの一つのようで、島では海賊の飯炊き係りが釣りをしたり食事を作ったりし、他の者達は備蓄用の水や食料を船に詰め込んでいます。
海賊は無法者集団ですが、海賊団という集団の中では組織化されているのですね。怪我人以外はそれぞれの役目を真面目に果たしています。
私も食事が出来たと知らせを受けて、閉じ籠っていた客室から船外へ出ました。
ガシャン、ガシャン、ガシャン。歩く度に鉄の音がします。
擦れ違った海賊がギョッとして振り向き、私をじろじろ見る。その視線に負けまいと睨み返し、「なに見てるんですか?」とばかりに威嚇してやりました。
こうしながら浜辺で焚き火を囲っているアベルや他の海賊たちの所へ辿り着きます。
「…………てめぇ、何してんだよ」
アベルが私を見て盛大に表情を引き攣らせました。
その視線にムッとして睨みかえす。
「あなたが言ったんじゃないですか、見られている、と! だから私は暑苦しいのにわざわざっ!」
「いや、だからってそれは」
「なにか問題でも?!」
大きな声を出す度にガチャガチャと鉄が鳴り、声がこだまのように反響して煩いです。
でも仕方ありません、なぜなら今の私の防御力は鉄壁ですから。
そう、私は今、客室に飾ってあった甲冑を身に纏っていました。頭は鉄兜、体は甲冑、全身を鉄で覆っています。これはひと昔前の重々しい甲冑で、今ではアンティークの美術品。海賊らしくどこかで奪ってきた宝物の一つでしょうね。
「……問題だらけだろっ。何してんだよ、馬鹿かよ!!」
「馬鹿とはなんですか! 私だって好きでこんな格好してるわけじゃありません!! 間違いを起こされたら困るんですよ、絶対!!!!」
船上で劣情を誘うとまで言われれば、さすがに警戒だってします。私はハウスト以外に絶対抱かれたくありません。ハウスト以外にそういう目で見られるのも嫌です。もし万が一のことがあれば、刺し違えてでも相手を殺すでしょう。
ならば最初から間違いなど起こさせなければよいのです。全身が鉄の甲冑に覆われていれば、いくら無法者の海賊だってそう易々と手出しは出来ませんし、甲冑に劣情を誘われる男もいないですよね。ここまで気を使った私にむしろ感謝してほしいくらいです。
「……やべぇな、すげぇムカつく」
「実は船長、俺もだ」
「俺も。なんだこれ、ムカつく……」
船長の感想を皮切りに、他の海賊たちまで次々に言ってくれました。
その馬鹿にした反応に私の拳がワナワナ震えます。
「なんですかその態度は! 私はあなた方の為にわざわざっ」
「うるせぇっ、自意識過剰!! それはそれでムカつくんだよ!!」
「私がじ、じじ、じ自意識過剰?! もういいですっ、やってられません!!」
ガチャガチャと甲冑を脱ぎ捨て、えいっ! と浜辺に投げつけました。
私は怒っているというのに、海賊たちは笑っていて、そっちの方がムカつきます。
ようやく身軽になった私にアベルと海賊たちも緊張を解き、夕食の時間が始まりました。
焚き火を囲むようにして魚の串焼きが突き刺さっています。
「これは?」
「見て分かるだろ、魚の串焼きだ。好きなだけ食えよ」
「魚の串焼き……」
私が困惑していると、さっき私をムカつくと言った海賊の男が串焼きを一本取ってくれました。
「ほら、これが丁度良い焼け具合だ」
躊躇いつつも受け取り、どうやって食べていいのか分からずに海賊たちを見回します。でも食べ方なんてないようで、皆は思い思いに魚に齧り付いていました。
「い、いただきますっ……。――――あ、おいしいですっ」
こんがり焼けた魚に齧りつき、その香ばしさと味わいに目を丸めます。
思わず口をついて出た感想に、周りの海賊たちがニヤニヤし始めました。
「な、なんですかっ」
「怒んなよ。寵姫様のお口に合って安心してんだよ、こんな串焼きとか初めてだろ? いつもは豪勢なもんばっか食ってんだから」
からかうような言い方に、「馬鹿にしてるんですか?」とじろりと睨みつけました。
でも実際初めて食べた海魚の串焼きは、今まで食べた魚料理と同じくらい美味しかったです。
……美味しいものって不思議ですね。警戒とか緊張とか、そういう張り詰めたものをふっと解いてくれるのです。
「…………魚の串焼きが初めてなのは、私が山育ちだからですよ」
ふと漏らした私の生い立ちに、アベルや海賊たちもおやと雰囲気を変えました。
それに苦笑して、「もう一匹ください」と魚の串焼きのおかわりを要求しました。だってこれ本当に美味しいんです。
「……認めるのは悔しいですが、これ本当においしいです。イスラとハウストにも食べさせてあげたい」
二人の名前を口に出し、じわりと視界がぼやけてきました。
しかし海賊たちにとってハウストの名前は地雷だったようで、アベルは盛大に顔を顰めてしまいます。
「バカか、ガキはともかく、魔王がこんなもん食うわけねぇだろ」
「そんなことありません。ハウストはあなたが思っているような方ではありませんよ。優しくて、朗らかで、包容力もあって、あなたと違って大人で、落ち着いていて、とても素敵な方です」
「……おいてめぇ、なにさり気なく俺を貶してんだ」
「さあ、そうでしたか? でも、ハウストはあなたが思うよりずっと素敵な方ですよ。ハウストと私は生まれも育ちも何もかも違いますが、彼は決して私を否定しないんです」
初めて出会った時からそうでした。
今思うと、よく三界の王の一人である魔王に、粗末な料理しか用意できない狭い山小屋で生活させたものだと思います。でも彼はなに一つ否定することなく、私と一緒にいてくれました。
もちろん今の関係になる前なのでハウストとはいろいろありましたが、そういうところは最初から変わっていません。
「だからハウストも絶対おいしいと言って喜んでくれます」
「マジかよ……。俺は今日、殺されかけたぞ」
相変わらずアベルは胡散臭そうな顔をしますが、私には間違いなくそうだと思えるのです。
「もう一匹おかわりください」
「三匹目かよ、少しは遠慮しろ」
「さっき好きなだけ食べろと言ったじゃないですか。それにこうやって魚にかぶりついて、野生みたいな食べ方は久しぶりです」
「野生……。もっと別の言い方しろよな」
私の軽口にアベルは苦笑しながらも、三匹目の魚の串焼きを渡してくれました。
さっそく齧りつき、今度の魚は骨が多めですねと小骨ごともぐもぐ食べます。城で食べる魚は事前に小骨すら取ってもらっていましたが、魚って本当は骨ごといただけるのですね。小骨くらいなら余裕ですよ。
「……さっき言いましたが私は山育ちで、あなたが思うような身分の人間ではありませんよ」
「だろうな。魚を骨ごとバリバリ食べる貴族なんていねぇよ」
「…………あなた、本当に生意気ですね」
ムッとしながらも三匹目ももぐもぐ食べました。
魚の絶妙な塩加減は海の潮でしょうか。だとしたらこの魚の味付けは海味ということですよね。山の幸もいいですが海の幸もおいしいです。
お陰さまでお腹いっぱいになりましたよ。
「ごちそうさまでした。食べさせてくれてありがとうございました。こんなふうに何かを食べてほっとするのは久しぶりでした」
海賊船に乗った時からずっと緊張状態で、体も顔もひどく強張っていました。でも今、おいしいものをおいしいと味わう余裕もできています。
この寛いだ感覚は懐かしささえありました。そう、魔界の城へあがる前の、山小屋暮らしの時の懐かしさです。貧しい生活でしたが、とても気が楽でしたから。
「ふふふ、ここでこんなふうに食事をしていると魔界の城で暮らす前の生活を思い出してしまいました。さっきは煩くしてしまいましたが、馬鹿みたいなことを大声で言い合えて、少しスッキリした気もします。感謝しますよ」
そう話すと、無意識に顔が綻んでいました。体から力が抜けた気がします。
改めて城での生活が自分にとってどんなものかを知れた気がしました。
「……合わねぇんじゃねぇの? 城暮らし。疲れてるみたいだし」
「そうですね、正直だいぶ疲れます。食事の時間すら気を抜けなくて、フォークとナイフを持つと緊張して、失敗したらどうしようと怖くなります。ハウストと私は身分が違いすぎますから」
これは誰にも話したことがない本音です。
きっとアベルが貴族や王族と縁遠い海賊の船長だから話せるのかもしれませんね。きっと理解してもらえると。
「それなら寵姫なんて辞めればいいだろ。まあ、そんな簡単に辞めれるとは思ってねぇけど、もし逃げたいっていうなら協力してやってもいいぜ。俺なら自由にしてやれる」
アベルが私を見つめて言いました。
口調はからかうようなそれなのに、私を見つめる眼差しは真っすぐです。冗談半分、本気半分、といったところでしょうか。自由を愛する海賊らしい言葉でした。
海賊は嫌いですが、こうやって生きている者もいるのだと思うと、世界を広く感じて小さな悩みなんてどこかに飛んでいってしまいますね。
「どうして逃げなければならないのですか。こんなにハウストを愛しているのに」
そう答えてアベルに笑いかけました。
アベルにはアベルの生き方があるように、私には私の生き方があるのです。
「ああ? でも疲れるって言ったじゃねぇか」
「馬鹿ですね、疲れるのは当然じゃないですか。おんぼろの山小屋で暮らしていた私が、いきなり魔界のお城暮らしですよ? 疲れない方がおかしいです」
あっさり答えた私にアベルが顔を引き攣らせました。
さっきまでとても真剣に私を見つめていたのに、今は目を逸らして子供みたいに拗ねた顔をしています。
そういうところが子どもっぽくて、どんなに荒れくれ者の船長をしていても年下なんだと思い出させます。拗ねた顔はイスラみたいで少しだけ可愛いと思ってしまいますよ。
「ハウストと私は生まれも育ちも違うんです。そんな私たちが一緒にいようと思ったら苦労するに決まってます。あなただって、海賊を始めたばかりの頃は苦労も多かったでしょう。でも海賊を続けたいから我慢できたんですよね? 新しい場所で努力して疲れるのは当然のことです。でもきっと慣れますよ、それまではガマンするしかないんです。誰だってそうですよ」
「慣れか……」
「そうです、慣れます。疲れることはあっても、孤独でないなら嫌になることはありません」
「そうか……」
アベルはどこか遠い目をしました。
でもそれは見間違いかと思うほど僅かな間で、次にはニヤリとした笑みを浮かべます。
「んだよ、人がせっかく逃がしてやろうって気になってたのに」
「大きなお世話ですよ。ハウストの側にいられるだけで幸せなんですから」
それは嘘偽りない私の気持ちです。
ハウストの側にいられるだけで幸せ。それに嘘はありません。たとえたくさんの寵姫の中の一人になったとしても。
「おーい、船長ー! でっけぇのが引っ掛かったぜー!!」
ふと、釣りをしていた海賊たちが魚網を引きずって戻ってきました。
一人では引きずれないほど大量のようで、威勢のいい掛け声を上げて皆で海から引きずりあげています。
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