Ⅳ・海洋王国と陰謀と2
海賊船に乗ってから、ずっと不躾な視線を感じています。
船長アベルの客人として扱われることになったのですから、表向きは敵意くらい隠してほしいものです。
視線の鬱陶しさに辟易しながらも、甲板に出て海をじっと睨む。
この海のどこかにイスラがいると思うと、居ても立ってもいられなくなる。初めて海を見た時はキラキラ輝いて見えたのに、今はイスラを飲み込んでしまった憎らしいものにしか見えません。
「今にも海に飛び込みそうな顔してるぜ?」
「飛び込んでイスラが戻ってくるなら、いくらでも飛び込んであげますよ」
「まさに母は強し、だな」
「たしかにイスラの親ですが、男の私を母とは呼ばないでください」
不快です、とアベルを睨みつける。
この男といいジェノキスといい失礼にもほどがあります。
「ふーん、その割には精霊界や魔界の連中は、あんたのことを勇者の母親だって思ってる奴らが多いみたいだぜ?」
「黙りなさいっ……」
否定できなくて内心舌打ちしました。
実際、精霊王フェルベオには普通に母君と呼ばれ、魔界や精霊界の要人や家臣にもそのような扱いを受けているのです。
でもふと違和感を覚えました。この男、どこでそんな情報を手に入れているのでしょうか。
まずアベルは『イスラ』という名前だけでイスラが勇者だと見抜きました。勇者が既に誕生していることは、人間界では一部の王族や権力者しか知らないことのはずです。そしてイスラを育てているのが私だということも、私が魔界や精霊界で勇者の母親だと思われていることも。これは一介の海賊が知るはずのない情報なのです。
腕利きの情報屋を雇っているにしても情報が正確で早すぎます。
「……あなた、どこでその情報を手に入れてるんです?」
「ああ? 海賊なんだから情報くらいどうにでもなるぜ」
「そうでしょうか」
「なんだよ……」
疑う私にアベルはなんとも嫌そうな顔をする。
やはり何か秘密があるようですね。粗暴なところはありますが、直情的で嘘のつけない男なのでしょう。
海賊の船長といっても年下の若い男です。生意気ですが、ハウストやジェノキスに比べれば可愛げもあるというもの。
「あなたの事なんてどうでもいいんですが、もしそれがクラーケンに関する情報なら話しなさい」
「……だからそれ聞く態度じゃねぇだろ」
「うるさいですね。クラーケンに関することでないなら話さなくていいですよ」
「それもそれで……。俺のこと知りたいと思わないのかよ」
「思いませんね」
きっぱり答え、これ以上話すことはないと海に視線を戻しました。
クラーケンについて話す気がないなら用はありません。とりあえずクラーケンのところまで連れて行ってもらえれば何でもいいです。
「……素っ気ねぇな。それで魔王様の寵姫が勤まってんのか?」
「その寵姫とかいう言い方はやめなさい。そういうものになった覚えはありません」
「ん? じゃあ愛人って呼ばれる方がいいわけだな」
ぎろりっとアベルを睨みつけます。
不快です。寵姫も愛人も許しません。たとえそのような立場であったとしても、認めたくありません。
「なんで怒るんだよ、意味わかんねぇな。だってそうだろ? なんてったって相手は魔王様なんだし」
アベルを睨んだまま黙りこみました。
そんな事は私が一番よく分かっています。
ハウストは三界の王の一人、魔王です。今、彼が愛しているのは私だけ。でも、いずれ彼は正妃を娶らなければならない。彼に相応しい身分の、子を成せる女性を娶ることは当然のことです。
その時、私は寵姫の一人になるのでしょうか。ハウストに侍るたくさんの寵姫の中の一人に。
「…………」
視線が無意識に落ちていきます。
今は私一人がハウストの側にいて、一番近い場所を独占しているけれど、いずれ一人、また一人と寵姫が増えていくのでしょう。
彼は優しいので、きっと正妃を娶った後も私を側においたままにしてくれる筈です。それは幸いなことだと思わなければなりませんよね。
「おい、大丈夫か?」
黙りこんでしまった私をアベルが心配そうに覗き込んできます。
慰めようとするなんて粗暴な海賊にしては気が利くんですね、と褒めようとして。
「船酔いか? 吐くなら海に吐けよ」
「…………ちょっと黙っててください」
見直そうとした私が馬鹿でした。
これ以上アベルと話していたら頭が痛くなりそうです。ため息をついて立ち去ろうとしましたが、「ちょっと待て」と引き止められました。
「なんです?」
「これ持っとけ」
そう言って渡されたのは短剣でした。
受け取りつつも首を傾げます。なぜ私に短剣を……。
「こんな物をどうして私に?」
「自分の身は自分で守れ、ここじゃそれが常識だ。あんたを守ってくれる勇者も魔王もここにはいないぜ?」
短剣をじっと見つめ、たしかにと納得しました。
これからクラーケンと戦ってイスラを取り戻すというのに丸腰ではあまりにも不利です。
「それもそうですね。でも、これでクラーケンに対抗するのはちょっと心許なさすぎませんか? もっとちゃんとした武器をください。できれば強力なのを」
手を差し出した私に、アベルが盛大なため息をつきました。
その失礼な反応にムッとしてしまいます。
「なんですか、私には武器も渡せないんですか? それとも私が武器を持って海賊たちを襲うとでも? 海賊って豪胆に見えて小心でケチなんですね」
「そうじゃねぇよっ」
アベルはそう言ってまたため息をつきました。
そして甲板にいる海賊たちを見回し、苦笑まじりの呆れ顔で私を見ます。
その様子に、「ああ」と合点がいきました。ここの海賊たちは海賊狩りに遭った挙句、私に人質にされかけた者たちです。たしかに恨みを買っていてもおかしくありません。
「分かりました。たしかにそうですよね、海賊の中には私を殺したいと思っている方もいることでしょう」
海賊船に乗った時から殺気の籠った視線を感じていました。
隠し切れない敵意は恨みの深さというところでしょうか。
しかしアベルは「ああもうっ」と苛立ったように頭をかく。
「だからそうじゃねぇって、まだ分かんねぇのかよっ。船上であんたの色気は毒なんだよ!」
「はあ?」
最初意味が分かりませんでした。
しかし次第に理解し、酷い侮辱に一瞬で顔が赤くなる。
「な、なななななんてこと言うんですか?! 信じられません!!」
「寵姫のくせに海賊船に単身乗り込んできて、そっちの方が信じられねぇよ!! 海賊舐めてんじゃねぇぞ、こっちは一度海に出たらずっと女日照りなんだ! そんな所に、そんなほっそい腰に夜な夜な魔王のイチモツぶち込まれてアンアンよがってる奴が紛れ込んで来たら、男なら誰だってやりたくなるだろ!!」
「は、破廉恥なことを言うのはやめなさい!! あなたみたいな恥知らず最低です!!」
「馬鹿か! 娯楽がねぇんだよ、分かれよ!!」
「こんな屈辱は初めてですっ! やはり海賊は海賊ですね!!」
ワナワナと拳を震わせた私に、アベルは迷惑そうに舌打ちしてきました。
忌々しげな様子ですが、私だって忌々しいです。
「あんま勘違いすんなっ、俺の船にそんな下衆な真似する男は乗り合わせてねぇよ。ただ見るくらいは許してやれよ? やらせろって言ってるわけじゃねぇんだからいいだろ。その短剣は念の為だ、念の為」
「迷惑ですっ」
たっぷりの軽蔑を籠めて言い返すと、さすがに船長も額に青筋を浮かばせてきました。
「ああ? 人が下手に出たら調子に乗りやがってっ。こっちだって迷惑なんだよ! ちょっと危ない目に遭わせただけで海賊狩りするような男に執心されてる奴を船に乗せてんだぞ、リスクがデカすぎんだよ! 事故に見せかけて海に突き落とされたくなかったら、部屋に籠って大人しくしてろ!!」
「わ、私がどこで何をしようと勝手です!!!!」
思いっきり怒鳴り返すと、踵を返して船内に戻りました。
そして用意されていた客用の部屋に籠ります。
これはアベルに言われたから籠っているわけではありません。外は騒々しくて落ち着かないので部屋に戻っただけです。
「あの男っ、許せません!」
お世話になっていると自覚はありますが、暴言は許せるものではありません。
ましてやあんな下品で破廉恥なっ!
私だってこんな海賊船に好きで乗っているわけじゃありません!
でも、この海賊船に頼るのがイスラへの一番の近道だということも分かっています。
あの船長、やはり何かを知っているようです。クラーケンに関わる何かを。
「イスラ、どこにいるんですか……」
小さく呟き、唇を噛み締めました。
目を閉じると、イスラが海に消えた光景が瞼の裏に浮かんできます。
大丈夫、イスラは大丈夫。必ずどこかで生きています。
何度も言い聞かせる。でないと、思い出すだけで気がおかしくなってしまいそうでした……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます