第三章・あなたが教えてくれました。 私の目に映る世界は色鮮やかで美しいと。9

 朝になりました。

 窓から差し込む陽射しが眩しいです。

 体には昨夜の疲労が残っています。でも気怠いのに心は満たされていて、なんだか不思議な心地です。


「ハウスト、おはよ……、ハウスト?」


 ベッドにいたのは私一人でした。

 私を抱き締めて眠っているはずのハウストがいません。

 ……どこへ行ったんでしょうか。

 何げなくイスラが眠っているはずのベッドを見て、ぐっと心臓が縮みました。

 イスラが、いないのです。


「ハウスト、イスラ、どこですか?」


 昨夜の夢を思い出し、全身から血の気が引いていく。


『さよならだ、ブレイラ』


 夢の中でハウストが言っていました。

 ……いえ大丈夫、あれはただの悪い夢です。

 だって、ハウストは言いました。私に感謝していると。

 そして優しく抱いてくれました。

 初めてだった私を気遣い、気持ち良くなるようにと優しく抱いてくれたんです。

 私がハウストを想っているように、ハウストも私を想ってくれているはずです。

 だって、私を好きだから抱いたんでしょう?

 だから大丈夫です。あれは悪夢で、きっと今頃は朝の鍛錬に行っているんでしょう。

 イスラは狙われていますから、即急に強くならなければなりません。

 いつもとても真剣に鍛錬をしているんです。だから今日も朝から鍛錬です。そうに決まっています。

 二人が戻ってくる前に、いつものように朝食の準備をしましょう。

 イスラの好きなカボチャの甘いスープとふわふわのパンを焼きましょう。




 太陽の位置が空の真上になりました。

 昼になってもハウストとイスラは帰ってきませんでした。

 テーブルには朝食に作ったカボチャのスープとふわふわのパンが並んでいます。

 カボチャの甘いスープはすっかり冷めて、ふわふわだったパンも硬くなってしまいました。イスラはふわふわのパンが好きなのに、これでは台無しです。

 でも、二人はきっと鍛錬に夢中になっているんでしょう。

 イスラは強くならなければならないから、だから二人は時間を忘れて真剣に鍛錬しているだけです。

 そんな二人を差し置いて先に食事をするわけにはいきませんよね。




 陽が沈んで夜になりました。

 月が輝きを増し、夜空一面に星が瞬いている。

 月明かりがあっても外は真っ暗です。でも、ハウストとイスラは帰ってきません。

 そろそろ眠る時間になってしまいますが、テーブルには朝食のパンとスープがそのままです。

 だって、鍛錬に夢中になっている二人はきっととても疲れて帰ってくるはずです。お腹も空かせていることでしょう。

 私は二人を出迎えたいのです。

 おかえりなさい。そう言って出迎えて、スープを温め直しましょう。

 焼きたてじゃなくなったパンは硬くなってしまいました。

 イスラは少しだけ不満そうな顔をするかもしれませんが、その時は「明日、もう一度ふわふわのパンを焼いてあげますよ」と慰めてあげましょう。

 そうすればイスラは喜んでくれるはずですから。




 窓から明るい朝陽が差しました。朝です。

 ずっと起きていたからでしょうか。いつもより眩しい気がします。

 外からは小鳥のさえずりが聞こえ、森の木々が穏やかな風に揺れています。それはそれは平穏な朝でした。

 でも、私は一人です。

 ハウストもイスラも帰ってきませんでした。

 テーブルには昨日の朝食に作ったカボチャの甘いスープとパンが並んだままです。

 私、ずっと待っていたんです。

 ハウストとイスラが帰ってきたら、スープを温めてパンと一緒に食べようと思っていたんです。


 でも、もう……認めなければいけませんね。


 私はテーブルのパンに手を伸ばしました。

 パンを手に取り、千切って口に入れます。咀嚼して、飲み込む。硬いパンが鉛のようでした。

 おいしくありません。やっぱり焼きたてじゃないからでしょうか。

 良かった。こんなおいしくないもの、きっとイスラは喜びませんね。

 次は冷たくなったスープをスプーンで掬い、一口飲みました。

 おかしいです。甘いスープのはずなのに、甘くありません。それどころか微かにしょっぱい味がするんです。

 スープの水面を見つめ、ぽたぽたとしょっぱい水滴が落ちていることに気が付きました。

 視界が滲み、スープもパンもぼやけて見えます。

 ぽたぽたとテーブルに水滴が落ちます。

 でも、食事をやめたりしませんでした。

 だって、これからもずっと一人で食べていかなければならないものです。ハウストとイスラは帰ってこないのですから。


「食材が無駄になってしまいましたね。勿体ないことをしてしまいました」


 悔しくて強がってみました。

 しかし微かに声が震えて失敗です。

 次はぎゅっと唇を引き結びました。

 そうしていないと嗚咽が漏れてしまいそうだったからです。

 嗚咽を飲み込むのは苦しかったです。でも飲み込みました。

 だって、大きな声で泣いて喚いても、ハウストには届かないでしょう。

 いえ、きっと最初から何も届いていなかったのでしょうね。

 私は勘違いしていたんです。ハウストがとても優しくしてくれたので、きっと彼も私に恋をしていると勘違いしてしまったんです。

 ハウストやイスラと一緒に過ごすことがとても楽しくて、私はもう独りじゃないんだと思いあがってしまったんです。

 ごめんなさい、私、きっと浮かれていたんですね。

 初めての恋だったので、よく分からなかったんです。

 でもようやくいつもの私に戻れます。私は最初から独りだったと思いだしたので。




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