十五ノ環・環の婚礼3
その後、家に帰ってもゼロスはいませんでした。
二人分の夕食の支度をしながら、先ほどのことを思い出して頬が熱くなります。
口付けた相手は名前も知らない男です。
でも口付けに胸が苦しいほど一杯になりました。苦しいのに心地よくて、安心できて、いつまでも触れ合っていたくなるような。
また思い出して、口元を手で覆いました。
口付けの感触をまだ覚えています。恥ずかしいのに、胸が温かくなります。
私、知っています。書物で読みました。
これは恋というものですよね。私、名前も知らない男に恋をしてしまったのですね。
複雑ですが、男のことを思うと体がふわふわと浮いてしまうような心地がします。
ゼロスに紹介したいです。
ゼロスはきっと驚くでしょうが認めてくれるように話しましょう。
「ブレイラ、ただいま」
「あ、おかえりなさい」
丁度ゼロスが帰ってきました。
出迎えようと振り返り、ゼロスの姿に目を丸めます。
「あなた、怪我してるじゃないですか! どうしたんですか?!」
駆け寄って怪我をした腕を手に取ります。
他にも顔に擦り傷があって、足には青痣まであるじゃないですか。
「ころんだんだ」
「ほんとうですか? 転んでこんな怪我をするなんて、いったいどうやって転んだんです」
どう見ても転んだくらいで出来る怪我ではありません。
訝しむとゼロスが少し目を逸らす。
「ばたんって、ころんだ」
「ばたんって……。……わかりました、とりあえず怪我を見せてください。酷いようでしたら、明日は街へ行って医者に診てもらいましょう」
「いらない」
「ダメです。治らなかったらどうするんですか」
私は自分で作った薬を持ってくるとゼロスの怪我を確認します
軽度とはいえ火傷まであるじゃないですか。やはりどう見ても転んでできる怪我ではありません。
切り傷や火傷に丁寧に薬を塗っていく。今晩は痛むかもしれないので、後で薬草を煎じた痛み止めも飲ませましょう。
「……怪我の原因、話してくれないんですか?」
「だいじょうぶ、もうすぐおわる」
「おわるって、いったい何が終わるんですか」
「…………」
問いかけましたがゼロスが答えてくれる様子はありませんでした。
困ったように黙り込んで、私から目を逸らしてしまうのです。
「……分かりました、話したくないのですね。でもいつかは話してくれますか? その、終わった時にでも」
「わかった」
「では待ちましょう。その時を」
「ブレイラ!」
ゼロスがぎゅっと抱き着いてきました。
甘えるように擦り寄ってきた小さな体を抱きしめる。
「どうしたんですか? やっぱり痛いんですか?」
「ううん。いたくない」
そう言って私の肩口に顔埋めてきました。
擦り寄る仕草が可愛くて、背中をぽんぽんと軽く叩いてあげます。
「では抱っこですか?」
「うん。だっこだ」
「ふふ、いいですよ」
幼いゼロスを抱き上げました。
ゼロスが全身で抱き着いてきて、その甘い重みと窮屈さに小さく笑う。
紹介したい相手がいることを話すなら今が良いかもしれませんね。出会ったばかりの名前も知らない男ですが、私が恋をした相手です。
「ゼロス、聞いてください。あなたにお話しがあるんです」
「はなし?」
難しそうな顔をしたゼロスに苦笑します。
「難しい話しではありませんよ。その、あなたに、紹介したい人がいるんです」
「しょうかい……」
「はい。会わせたい人という意味です」
私はゼロスを抱っこしたまま深呼吸する。
改めて話すとなると恥ずかしいものですね。
「実は、私も出会ったばかりなんですが、背の高い、黒髪の男の人です。名前は、……分かりません。呼ぼうとすると不思議と抜け落ちてしまって……。でもとても優しい方で、……ゼロス?」
男の説明をしましたが、ゼロスの様子がおかしい事に気が付きました。
話しの途中からみるみる顔を強張らせていったのです。そして。
「ダメだ!! ぜったいダメだ!!!!」
「え、わあっ!」
ドンッ! ゼロスが勢いよく私を押して腕の中から飛び降りました。
私は思わず尻もちをついてしまう。
「ゼロス?!」
「なんでだ! ふたりっていったのに!!」
「は、話しを聞いてくださいっ」
「きかない! ぼくとブレイラのふたりでいいんだ!!」
「ゼロス!」
強く名を呼ぶと、ゼロスがぐっと唇を噛みしめました。
でも泣きそうな顔で私を睨みつける。そして。
「……もう、またない。きめた」
「きめた……?」
「ブレイラは、ここからでれなくなればいい!!」
ゼロスは叫ぶように怒鳴ると家から飛び出していきました。
「待ちなさいゼロス!」慌てて私も外に出ましたが、ゼロスは夜の山に入って行ってしまう。
「ゼロス……」
いったいゼロスはどうしてしまったのでしょうか。
ここから出れなくなればいいとは、いったいどういう意味なんでしょうか。
困惑しましたが、ふと一陣の風が吹き抜けました。
山の草木がざわざわと揺れて、なんとなく夜空を見上げます。
「っ、これは……」
驚愕に目を見開く。
頭上に広がる光景に絶句しました。
なぜなら、星空が渦を巻いているのです。
渦の中心へ星空が吸い込まれていく。それはまるで星空の崩壊でした――――。
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