六ノ環・冥界の息吹き5

「他に何か方法はないんですか?! ここの人々を見殺しにはできませんっ!」

「で、ですが……」

「考えるんですっ、あなたはアロカサルの首長でしょう! 都の人々はあなたを信じています!!」

「っ……」


 ゴルゴスは息を飲み、重く頷く。

 決意したような姿に私も頷きました。

 そして、ついさっきゴルゴスが妙なことを言っていたのを思い出しました。


「……あなた、さっき毒は花の香りと言いましたよね? それはどんな香りでしたか?」

「甘ったるい香りです。いつまでも嗅いでいたくなるような……」

「…………」


 私も覚えがないわけではありませんでした。

 同じものか不明ですが、私もさっき森で花の香りを嗅いだばかりです。そしてアイオナはその香りを知っていると言っていました。


「ゴルゴス、思い出してください。あなたは、その香りを知っているんじゃないですか?」

「えっ。……それは、いったいどういう」

「アイオナが覚えのある香りだと言っていたんです。ですから、あなたも知っているのでは?」

「姉上が?」

「はい。香りは冥界と関係するものだと思います。それをアイオナは知っていたのです」


 ゴルゴスは考え込み、はっとして顔をあげました。


「……ダビド王ですっ。そういえば、ダビド王に謁見した時に嗅いだ香りでした! でも待ってくださいっ。信じたくありませんっ!」


 違うと否定しながらも、明らかに狼狽しています。

 認めたくないと思いながらも、その答えに至ってしまう節があるのですね。


「あなた方は、勇者の宝を守る為に異界へ転移したと言いましたよね。いったいなにから逃げてきたんですか? それは、ダビド王ではないのですか?」

「っ…………」


 ゴルゴスが息を飲みました。

 図星だったようです。

 ゴルゴスはしばらく黙っていましたが諦めたように告白します。


「……確信はないんです。でも、ダビド王の命令で勇者の宝が狙われた可能性があります……」


 ゴルゴスが語りました。今まで目を逸らしていた可能性を、香りによって容赦なく突き付けられたのです。

 でも、それでもゴルゴスはダビド王を信じようとします。


「ダビド王は勇者の宝を狙うような王ではないのですっ。とても優しく、聡明な王です。……それなのにっ、なにかの間違いであってほしいっ」


 ゴルゴスは嘆きました。

 ダビド王を信じているのですね。アイオナも離縁が近いと言いながらも王を愛したままです。

 この二人が嘘をついているとは思えません。

 でも冥界の魔の手がダビド王を飲み込もうとしていたら?

 全身からみるみる血の気が引いていく。


「アイオナが危険です! アイオナはダビド王の所へ行ったんです!」


 アイオナは香りについて何か分かるかもしれないと言っていました。この香りがダビド王のものなら、ダビド王が既に冥界に飲み込まれていたら……。


「ハウスト、人間界へ戻りましょうっ! 数人の転移なら大丈夫だと言っていましたよね? それにダビド王なら毒もなんとか出来るんじゃありませんか?!」


 もしダビド王が原因ならこの毒もなんとか出来る筈です。王が冥界に飲み込まれているかどうかは定かではありません。でも勇者の宝を狙っていたというなら……。

 思い出すのは、モルカナ国でのこと。冥界と接触した王妃と前執政は悲惨な最期を迎えました。


「そうだな。ここの残り時間は……」


 ハウストが避難する人々を見回す。

 老人や子どもたちの顔色が悪くなり、なかにはぐったりしている者もいます。


「半日ほどか」

「半日……、それだけしか時間は残っていないのですか?」

「ああ。成人はともかく体が小さい子どもは半日が限界だろう。濃度の高い香りを吸ってしまった者は、大人でも半日を切るかもしれない」

「……分かりました。ならば急ぎましょう!」


 残り時間は半日。

 半日以内にこの毒をなんとかしなければなりません。


「イスラ、行きましょう」


 イスラを呼び、ハウストとともに人間界に戻ることにしました。

 でもイスラが困ったように首を横に振ります。

 そして。


「…………いかない」

「え?」


 予想外の言葉に驚きました。

 イスラが行かないと言うのです。

 驚く私にイスラがおずおずと言葉を続けます。


「オ、オレ、……ここにいる」


 そう言って後ろをちらちらと見ています。

 そこには集められた子どもたちがいました。なかには先ほど泣いていた赤ん坊もいます。

 イスラが複雑な顔で私を見ながら、後ろの子どもたちを気にしている。いつも私から離れないのに、一緒にいたい筈なのに、それでも子どもたちを放っておけずに残ると言う。

 もう、決めているのですね。

 少しだけ寂しいです。でも、イスラの子どもたちへの優しさが誇らしくもあります。


「子どもたちが心配なんですか?」

「……うん。オレ、おにいさんだから」

「そうですね。上手にいい子いい子していましたね」

「うん。あかちゃん、わらったんだ」

「はい。とても可愛かったです」


 私は膝をつき、床に着いたローブの長い裾を整える。

 イスラと目線を合わせて笑いかけました。


「皆を守ってあげてください」

「い、いいの?」

「いいですよ。私とハウストが戻ってくるまで子どもたちを宜しくお願いします。できますか?」

「うん! オレはつよいから、だいじょうぶだ!」


 イスラは力強く頷きました。

 そして子どもたちを見つめ、瞳に強い光を宿す。それは勇者の瞳。

 私はその勇者の瞳があまり好きではありません。

 でも、その瞳は私を救ってくれた瞳です。


「いってくる!」

「はい、いってらっしゃい。くれぐれも危ないことをしないように」

「うん!」


 イスラは頷いて、子どもたちのところへ駆けていきました。

 それを見送る私の側にはハウストがいてくれます。


「いいのか?」

「はい。イスラが自分の意思で私から離れるのは初めてなんです。だから引き止められませんでした。……これも成長というものですよね、少し寂しいですが」


 情けないですね。

 ハウストだけしか聞いていないと思うと弱音を吐いてしまう。


「大丈夫だ。イスラは日に日に強くなっている。力の制御はまだ上手くできないが、その気になれば都を襲っている怪物も一掃できる」

「……あまり早く強くならないでほしいです」


 完全に泣きごとです。私のワガママです。分かっています、自覚しています。


「ごめんなさい。……ワガママを言っていますね」

「謝るな。お前はそれでいい」

「ハウスト……」


 ハウストを見ると少しだけ困った顔をしながらも、優しい面差しで私を見つめていました。

 彼も三界の王の一人、同じ三界の王として勇者に望んでいることは重い。

 でも、私と同じ親としての立場でもいようとしてくれる。


「ありがとうございます。すみませんでした」

「だから謝るなと言っただろう。それより人間界へ戻るぞ」

「はい、そうですね。今は急がなければ。ハウスト、さっき半日と言いましたが」

「分かっている。半日も時間をかけるつもりはない」

「はい!」


 私も強く頷く。

 そしてハウストに手を差し出され、それを握り締めました。


「では人間界へ戻ります。毒はなんとかしますから最後まで諦めないでください」

「分かりました」


 ゴルゴスが頷きます。

 私は最後にイスラを見つめました。

 子どもたちに混じって、なにやら楽しそうにお話ししています。

 なんの話しをしているのでしょうか。次に会ったら聞かせて欲しい。


「イスラ……」


 小さく呟く。

 この呟きは聞こえていません。

 でも構いませんでした。成長とはそういうものでしょう。

 こうして私は、ハウストの魔力に包まれて彼とともに人間界へ転移しました。




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