六ノ環・冥界の息吹き7

「……怒っていますよね?」

「怒らないと思うか?」

「あ、あの時はそうするしかなかったんです……。クウヤとエンキもいてくれたので、大丈夫だと思って」

「そういう問題ではない」


 ぴしゃりと言われて縮こまってしまいます。

 少し怖いです。

 でもそれは本気で心配してくれたということ。


「ごめんなさい。あなたが怒るのも当然です……」


 視線が落ちそうになります。

 でも、ここで落ち込んでしまうのは卑怯な気がしました。

 私は、謝って落ち込んで、同情を引いて誤魔化してしまいたいわけではありません。

 なぜなら、もしまたあの時と同じ状況に陥ったら同じ選択をします。

 私はハウストを真っ直ぐに見つめました。


「でも、それしか方法がない時、きっとまた同じ選択をします。ごめんなさい」


 許してくださいなんて言えません。

 もしハウストやイスラが同じことをすれば、きっと私も怒るでしょう。胸が張り裂けそうになって、なぜそんな選択をと責めてしまうかもしれません。

 だからハウストの怒りの意味も分かります。


「ごめんなさい。何度でも謝ります」

「謝罪はするがまた繰り返すということか?」

「はい。きっと繰り返します」


 迷いなく答えた私にハウストがため息をつきました。

 呆れさせてしまったかもしれません。でも彼に嘘はつきたくありません。

 そして、ハウストはため息のあとに口を開きます。


「もういい」


 淡々とした彼の口調。突き放したそれ。

 唇をぐっと噛み締める。だめですね、自分で招いたことなのに気を抜くと視界が滲みそうです。


「ごめんなさ」

「謝るな」


 謝罪すら遮られました。

 謝っても無駄だということでしょうか。

 今度こそ視線が落ちてしまいそうになる。でもふと、頬に大きな手が添えられました。


「顔をあげていろ。俺はお前の気持ちを否定しない」

「ハウストっ……」

「だから、そんな泣きそうな顔をするな」


 ハウストが困ったような、呆れたような、でも優しい顔で言いました。

 私は堪らなくなって、ハウストにぎゅっと抱きつく。

 彼の温もりと力強さに擦り寄って、離れたくありません。


「なんだ、甘えているのか?」

「あなたが私を甘やかすからです」


 あなたの所為です。絶対あなたの所為です。

 なんだか悔しくなって、恨みがましく睨んでみる。

 目が合うと笑われてしまいました。


「お前の面倒臭いところも頑固なところもよく知っている」

「……けんか売ってますか?」


 拗ねてみせるとハウストは苦笑し、私を見つめたまま言葉を続けます。


「お前の選択が変わらないなら、俺はその選択が迫られるような状況を作らせないでいよう。選択肢自体を排除してしまえばいい」

「そんな運命を変えるようなことができるのですか?」

「お前が望むなら」

「ふふ、ありがとうございます」


 そんなことが出来たらどれだけ素敵でしょうか。

 いくら三界の王でも夢物語。

 でも、ありがとうございます。慰めでもあなたの気持ちが嬉しいです。



 この時、私はまだ知りませんでした。

 運命を変えてしまいたい、それは夢物語のような望み。でもそれを心から願いたくなるような事態が、刻一刻と近づいていたのです……。








◆◆◆◆◆◆


 ――――時は少し遡る。

 先に異界から人間界に戻っていたアイオナは王都へ入っていた。

 離縁前提に暇を出され、王都を出たのが半年ほど前。その時に比べて王都が寂れているのは気の所為ではない。

 大通りを行き交う人々も少なく、活気に満ちていた市場も今は疎らに店が並んでいるだけである。

 アイオナが向かったのはダビド王の王宮ではなかった。王宮とは別にある宮殿で、現在、そこはダビド王の寵愛を一身に受けている寵姫が住んでいる。寵姫の名はラマダ。

 ダビド王は自分の別宅だった宮殿をラマダの気を引きたいが為だけに与えてしまったのである。

 もちろん与えたのは宮殿だけではない。六ノ国にある幾つかの都も、オアシスにある水源の所有権も、美しい宝石も、輝くような絹の召し物も、ラマダが望むものが贈られたのだ。

 宮殿に到着したアイオナはラマダに仕える侍従長に出迎えられると応接間に通される。

 本来ここもダビド王の宮殿だったというのに、アイオナを出迎える侍従長も侍女たちもひどく余所余所しい。

 皆、ダビド王と離縁が近いアイオナとどう接していいか分からないのだ。

 惨めさに体が震えそうになったがアイオナは気丈に顔を上げていた。ここで嘆けば本当に惨めになるからだ。

 応接間で待っていると間もなくしてラマダが姿を見せた。

 妖しい雰囲気を纏った美しい女だ。砂漠の照り付ける太陽光を浴びても素肌は奇妙なほど青白いままで、少し垂れた目尻に色気がある女である。


「お待たせしました、アイオナ様」

「久しぶりです、ラマダ」

「はい。アイオナ様の御姿を王宮でお見かけしなくなって心配していましたの」


 ラマダは白々しいほどの笑顔を浮かべた。

 それは嘲笑というもので、アイオナはスッと目を細める。

 今、目の前にいる女が憎くて仕方なかった。この女さえ現われなければダビド王の心が離れることはなかったのだから。

 しかし王が決めたことには従わなければならない。王が離縁を望むなら離縁を受け入れねばならなかった。

 でももし、もし王の心が離れるべくして離れたのでないのなら。何らかの目的の為に意図的に離されたのなら。


「ラマダ、あなたに確かめたいことがあります」


 アイオナはゆっくりとした足取りでラマダに近づいた。

 手を伸ばせば触れるほどの距離。アイオナの眼光に確信の光が宿る。


「あなたが纏っている花の香り、これは香水かしら?」

「それがどうしました?」

「この香りに覚えがあります」

「まあ、それは素敵な偶然」


 ラマダはにこりと微笑む。

 無邪気さを装う微笑にアイオナは苛立ちを抑えきれなくなる。

 でも同時に脳内で警鐘が鳴っていた。冷静でなければならないと。早まった行動をしてはならないと。

 でも、流される。私情に。

 勇者の為というのは建前で、この女さえいなければという憎悪の私情が激流のように心を攫う。

 愛しているのだ、ダビド王を。ダビド王の心が離れたとしても、ずっと愛している。


「あなたのこの香り、これは――――冥界の花ですね」


 アイオナはラマダを見据えて確信をついた。

 もう後に引くことはできない。

 王の愛する寵姫を糾弾するということは、自分の命を賭けるということ。

 もし間違いがあれば自らの命で償わなければならないということ。


「冥界とはなんのことでしょう」

「惚けても無駄です。この香りは確かに冥界の花、貴方が冥界に関与していることは明白!」

「冥界なんて初めて聞きましたわ。アイオナ様はご乱心なされたとみえます」

「そのまま惚けるならそれで結構。しかしこの香りが冥界の花の香りであることは、魔王様も勇者様の御母上様も、異界にて確かめられました。たかが小国の寵姫が惚けたところで、この御二方の御言葉の前では無意味。あなたのことはダビド王に直接伝えます。覚悟なさい」


 アイオナは強い口調で言い放った。

 しかしラマダはにこにこと微笑んだままで動揺した様子はない。

 そのことをアイオナは僅かばかり訝しむが、纏う花の香りが冥界の花であることに変わりはないのである。

 アイオナは言い聞かす。大丈夫、この女の正体をダビド王に暴けば、この六ノ国も、王と自分の関係も、何もかもが良い方向へ動きだすはずだと。この女に出会って変わってしまった王も昔のような聡明な王に戻るはずだと。


「あなたはここで待っていなさい。すぐに王の裁きがあるでしょう」

 アイオナはそう言うと毅然としたまま応接間を後にした。

 残されたラマダはにこにこと微笑んだままアイオナが出ていった扉を見つめる。

 そして、淡々と言葉を発した。


「ああ、とても怖かったわ。きっとアイオナ様はダビド王に暇を出されて乱心されてしまったのね。お可哀想に」

「――――如何いたしますか?」


 不意に、ラマダに声がかけられた。

 応接間の扉が僅かに開き、その隙間から見えるのは六ノ国戦士団団長ヘルメス。


「あらヘルメス、あなたもアイオナ様が心配になったのね。アイオナ様は王宮に向かいましたが、心配だわ……、今の乱心したアイオナ様が無事に辿りつけるかしら。最近の王都は暴漢が出没してとても危険なの。ヘルメス、アイオナ様を護衛してあげてくれないかしら」

「畏まりました」


 ヘルメスが口元に歪んだ笑みを刻む。

 そして静かに扉が閉じ、ヘルメスが立ち去っていく。

 ラマダはそれを見送ってから応接間を出た。

 選ばれた従者しか立ち入ることを許していない宮殿の奥へと足を進ませる。

 輝くような金銀の装飾が施された回廊、その先にある豪奢な扉。


「ふふふ、ヘルメスは女にだらしないのが玉に瑕だけれど、それは人間の性というもの」


 ラマダはそこで言葉を切ると、バタンッ、豪奢な扉を開く。


「ねぇ、ダビド王?」


 ラマダは微笑とともに呼びかけた。

 そこには豪奢な椅子に腰かけた王が一人。

 王は恍惚の表情でラマダだけを見つめる。

 ラマダもにこりと笑いかけ、一歩、また一歩と近づき、王の目の前でするりと衣装を脱いだ。

 瞬間、むわりっ。噎せ返るような花の香りが部屋に広がって充満した。

 ラマダから発せられる香りが王に纏わりつく。

 ラマダは両手を伸ばし、王の頭を抱いて豊満な乳房へと抱き寄せた。


「ふふふ、アイオナ様は王宮に向かって誰と会うのかしら。王はここにいるというのに」


 砂漠の王の褐色の手がラマダの青白い素肌を這い、飢えを満たすように腰を抱き、乳房にむしゃぶりつく。

 あまりにも愛らしくて、哀れさすら覚える姿。ラマダは高らかに笑う。


「フフ、アハハハハハッ! あなたの愛した女が、もうすぐ無意味な死を迎える。でもどうぞ安心なさって、私が慰めて差し上げますから」


 ラマダは艶めいた笑みを浮かべ、王を取り込むように抱き締めた。

 そしてひどくうっとりした表情で続ける。


「ああっ、とうとう訪れるっ。待ち侘びた瞬間がっ! 人間の希望たる勇者が、人間を絶望に陥れる瞬間が!!」


 悲願が叶う時は近い。ラマダは恍惚の表情で笑ったのだった。



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