第七章・バカですね。こういう時は「愛している」と言って、私に口付けるものですよ?5

「これ以上はやめてください。ジェノキスも、あなたも」

「なぜ止める。なぜその男を庇う。退け、その男は目障りだ」

「どきません。これ以上は戦わせません」


 ジェノキスを庇い続ける私に、ハウストが一瞬傷付いたように目を眇めます。

 その目に私の胸が苦しくなりました。

 そんな泣きそうな顔をしないでください。そんな迷子の子どものような目をしないでください。


「もう止めてください。見たくないんです」

「だが、そいつを始末しなければ、お前は帰ってこないだろう」


 苛々したような、癇癪を起こした子どものような声です。

 あなたでもこんな声を出すことがあるんですね。知りませんでした。


「……ブレイラ、教えてほしい。苛々するんだ。どうしてこんなに、俺は……っ」


 苛々すると言っている癖に、今にも泣きだしそうな顔をしています。

 誰よりも強い力を持っているのに、私を見つめる瞳も、言葉も、まるで縋っているように見えるのです。

 私は目を伏せて唇を噛み締める。泣いてしまいそうでした。

 彼の言葉に、瞳に、胸が締め付けられる。

 諦めたはずの恋心が、彼へと手を伸ばしたがっている。


「……どうか怒らないでください。苛々するのも無しです」


 優しく言い聞かせるように言って、ハウストの傷だらけになった拳を両手で包む。

 硬い拳ですね。まるで鋼鉄です。この拳の破壊力は怖いくらいでした。

 でも今、私の手に包まれた拳はされるがままで、愛おしさがこみあげる。


「あなた、結構武闘派だったんですね。こんなに無茶をする人だなんて知りませんでしたよ?」

「…………」

「もう少し冷静な人だと思っていたんですが」

「……嫌いになったか?」


 ハウストが不安気に聞きながら、もう片方の手を私へと伸ばしました。

 そっと頬に触れられ、親指が唇をなぞる。

 口付けられるのでしょうか。でもハウストは躊躇うように頬を撫でたままです。

 いつも強引なのにと不思議に思い、ああ……あなたは……、理由に気付いてため息をつきました。

 今、あなたも怖いのですね。私があなたを怖れたように、あなたも私を怖れている。

 ……涙が、溢れてきました。

 どうしようもなく愛おしくなって、私は泣きながら笑いかける。


「……バカですね。こういう時は、私に愛していると言って、口付けるものですよ?」

「ブレイラ……」


 私の答えにハウストがこれ以上ないほど嬉しそうに破顔します。

 あなたの目に涙が滲んでいるのは、きっと気の所為ではありませんね。


「ブレイラ、愛してるんだ。心から」


 唇が塞がれました。

 彼の腕に痛いほど抱き締められ、唇を深く重ねられる。僅かな隙間も作らないほど、何度も何度も唇と唇が重なる。


「ハウスト……」


 こんなに激しく求められる口付けは初めてでした。

 漏れる呼吸すら惜しいとばかりに唇を塞がれて、息苦しさに彼の唇に指をあてる。


「もう、これ以上は……くるし」

「足りない」


 そう言ってハウストが私の指に口付け、そのまま手の甲へと唇を寄せられます。

 まるで宝物のように大切に扱われて、堪らずに彼に抱きつきました。


「うっ、ハウスト……っ。うぅ」


 やっと、やっと手に入れたのだと、涙が溢れて止まりませんでした。

 もう忘れなければいけないと諦めていた恋心が実を結び、どうしようもない歓喜に胸が震える。想いは届き、願いは叶い、ずっと渇いていた心が満たされていく。


「ハウスト……」


 見上げると目が合い、見つめ合ったまま口付けが落とされます。

 優しく心地良いそれに表情が緩み、口元が笑みの形に綻んでいく。

 こんなに幸せな口付けは初めてでした。


「ひどい怪我です。痛いですか?」


 殴り合いをしたせいで顔には青痣や切り傷がある。薄っすらと血が付着して痛そうです。

 傷にそっと触れると、その手が掴まれてまた唇が寄せられました。


「汚れるだろ」

「構いません」


 私は笑んで、傷だらけのハウストを見つめました。

 魔王が敵対する精霊界に来ることが、どれだけリスクが高いことか分かっています。

 でも、それでも彼は来てくれました。


「ハウスト、あなたは私を迎えにきてくれたんですよね。ありがとうございます」

「帰ってきてくれるな?」

「はい」


 返事をすると、「良かった……っ」とハウストが力強く私を抱き竦めます。

 踵が浮いてしまうほど思いきり抱き締められ、苦しいですよと笑いかけた。


「――――ブレイラ!!」


 不意に、イスラの声がしました。

 振り向くとずっと探していたイスラが立っています。


「イスラ!!」


 その姿に安堵するも、すぐに異変に気付く。

 イスラは悲壮と怒りを混ぜたような顔をしていたのです。


「ブレイラ、なにしてるんだ!」

「イスラ、どうしました……?」

「ブレイラ!」


 イスラは転がるように駆け寄ってくると、「どけ!」と私とハウストの間に割りこみました。

 私を背中に庇うようにして立ち、ハウストを睨み上げます。


「ブレイラはハウストのところにはかえらない! オレとずっといっしょにいるっていった!!」

「イ、イスラ……」

「ひとりでかえれ! ブレイラはかえらない!」


 イスラがハウストに向かって声を荒げました。

 怒りで興奮するイスラをなんとか落ち着かせたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る