五ノ環・魔王と勇者の冒険か、それとも父と子の冒険か。8

「アイオナ、この香りを知っているのですか?」

「……はい、覚えのある香りです。こちらから香っているようですね」

「行ってみましょう」


 香りに誘われるように私とアイオナは歩きだしました。

 そして茂みを掻き分けた先に広がっていたのは一面の花畑。


「わあっ、森にこんな場所があったなんて!」


 一面の赤、青、黄色、白、黒、紫。

 そこに咲いていた花々は今まで見たこともないものでした。

 手のひらほどの花弁を広げ、蜜よりも甘い芳香を放っている。やはり薬師の私でも知らない花です。もしかしたら人間界の花ではないのかもしれません。

 徐々に香りが濃くなっているような気がします。とても良い香りのはずなのに気分が悪い。


「アイオナ、ここを離れましょう。きっと人間界の花ではありません」

「そうですね」


 この場から立ち去ろうとしましたが、一緒にいたクウヤとエンキの動きが鈍くなっていることに気付きました。


「どうしました? 気分でも悪いのですか?」


 柔らかな毛並を撫でながら聞くと、二頭は頭を重そうに擡げて擦り寄ってくる。

 やはりどこか調子が悪いようです。ゆっくり休ませてあげたい。


「アイオナ、二頭をどこかで休ませたいのですが」

「分かりました。ではこち、――――危ない!!」

「うわぁ!」


 突然、アイオナに突き飛ばされました。

 したたかにお尻を打ちつけて驚きましたが、今まで自分がいた場所を見て息を飲む。


「こ、これはっ……」


 地面が酸のような液体で溶けていたのです。

 酸からは花の芳香。まさかこれが花の蜜だとでもいうのでしょうか。

 そして花畑に魔法陣が出現し、それが闇色の沼になる。

 見覚えのあるそれに青褪めました。


「ここにもオークが? ……ち、ちがうっ、あの木がどうして?!」


 そこから出現したのは森の木々より更に巨大な巨木の化け物。都を襲った巨木と同じ化け物です。やはり巨木の化け物は冥界の怪物だったのです。


「アイオナ、火を! 早く!!」

「はいっ!」


 出現した巨木の怪物に松明の炎を向けます。

 しかし巨木が恐れた様子はなく、蔦を鞭のように振り回して襲いかかってきました。


「わあっ、ちょっとは恐がりなさい!」

「ブレイラ様、逃げましょう! あれは火を恐れていません!」


 炎を恐れない個体があると聞いていましたが、それは冥界の影響を受けたものだったのですね。そして冥界からも怪物が転移されている。

 クウヤが私の前に踊りでて背中に乗せてくれます。

 馬に跨ったアイオナとともに怪物から急いで逃げました。

 しかし逃げても距離が開きません。巨木は森の木々をへし折りながら猛烈な勢いで追いかけてくる。背後からの攻撃に避けるのが精一杯で、こうして逃げているのもやっとの状態です。

 なにより、やはりクウヤとエンキの動きが鈍くなっている。先ほどより明らかに失速しています。

 なんとか森を駆け抜け、草木の茂みを掻き分ける。

 そして森を抜けた先にあったのは――――絶壁の壁。


「そんなっ……」


 絶望の光景に目の前が真っ暗になりました。

 森の先には雲より高い絶壁がありました。垂直に天高く聳える絶望の壁。

 絶壁の頂上は遥か高く、視界に映すことすらできません。

 そして背後には冥界の怪物。

 絶体絶命でした。


「ブレイラ様、お下がりください!」

「何しようとしてるんです! 普通に戦って勝てるような相手ではありません!」


 アイオナは私を庇うように立ち、護身用の剣を抜きました。

 巨大な冥界の怪物と戦おうというのです。無謀すぎます。


「駄目です、逃げましょう! 逃げるのが無理なら隠れるんです!」

「この絶壁を前に逃げ場所も隠れる場所もありません! ここで戦わねば砂漠の戦士の名折れ! ブレイラ様は勇者様の御母上様です! 勇者と契約した血族の末裔として、命に代えても必ずお守りいたします!」


 アイオナが気丈に言い放ちました。

 こんな切羽詰った状況で砂漠の戦士とか勇者の契約者とか、なんとかかんとか煩いですがどうでもいいです。

 しかしそうしている間にも、森の木々をへし折りながら巨木の怪物が姿を現わしました。

 クウヤとエンキは私を庇うように前にくると、低く呻って巨木を威嚇する。

 アイオナも剣を構えて巨木を睨みつけました。


「やめてくださいっ、戦ってはいけません!」


 この状態で戦って勝てるわけないじゃないですか。

 時には戦うことも必要だと分かっていますが、戦いを回避することも諦めたくありません。


「無謀です! 逃げましょう!」

「私は死ぬことを怖れていません! ここで逃げるのは恥でございます!」

「馬鹿ですか!!」


 カッとして怒鳴りました。

 心の底から馬鹿だと思いました。


「あなたがどういうつもりか知りませんし、あなたのこともよく知りませんが、あなたは勇者と契約した血族の末裔なんですよね?! だったら死なれては困るんですよ!!」

「ブ、ブレイラ様……?」


 私の剣幕にアイオナが目を丸めます。

 でもそんなの気にしてあげません。だって、


「契約とか血族とかよく分かりませんが、でもそれってイスラの味方ってことなんですよね! 人間界にいるイスラの味方が死ぬのは困ります!!」


 これはイスラの為です。

 イスラは人間界で生まれましたが、私がハウストの恋人になってから魔界で暮らしています。

 このまま私がハウストと挙式して正式な夫婦になれば、私の子どもであるイスラも魔界で暮らすことになるでしょう。そうすると魔界育ちの勇者という前代未聞の勇者になるわけです。勇者は人間の王であるというのに。

 でも、それゆえにゴルゴスやアイオナのような、勇者を大切に思い、契約した末裔たちがいるのだと知って嬉しかったんです。それはイスラが人間界で孤独になることはないということですから。

 だから勇者の為に死ぬことは許せません。イスラの為に生きてもらわねば。


「隙をついて逃げましょう! 相手は巨体ですっ、きっと逃げる隙くらいあるはずです! クウヤ、エンキ、アイオナの馬も逃げますよ!!」


 反論は許しません。私はアイオナの手を強引に掴み、巨木に向かって駆けだしました。

 蔦の動きは鞭のように鋭いですが、一発目の攻撃さえ避けられれば次の動作まで隙ができるはず。


「右上から来ました!! みんな飛んでください!!」


 山育ちの優秀な視力で蔦の攻撃を読む。タイミングを合わせて――――ぴょん! 左横に飛び退きました。私、アイオナ、二頭の魔狼と馬がいっせいにジャンプです。


「いいですね、上手いじゃないですか! 走りますよ!!」

「は、はい!」


 アイオナが困惑しながらも返事をしてくれました。

 このまま一気に巨木の背後に回り込もうとしましたが。


「ブレイラ様!!!!」


 アイオナから悲鳴のような声があがる。

 はっとして顔をあげると巨木の怪物がもう一本いたのです。しかも私たちを狙って蔦を振り下ろす。

 咄嗟のことに避けることもできずに硬直した、次の瞬間。



 ――――ズドオオオオオオオオオン!!!!!!!!

 ――――ズドオオオオオオオン!!!!


「うわあああっ!!」

「ブ、ブレイラ様!」


 凄まじい衝突音。吹き飛ばされそうな衝撃波。

 空から隕石が降ってきました! それも二つも!!

 この異界の空は隕石も降らすのかと驚き、顔をあげて息を飲む。

 だって降ってきたのは隕石ではなく、そこにはっ。


「ハウストっ、イスラまで!!」


 そう、ハウストとイスラが腕を組んだ仁王立ちで立っていたのです。

 私の声にハウストとイスラが振り返る。

 私を見つけたイスラの大きな瞳がみるみる涙で滲んでいきます。


「うっ、うぅ、ブレイラ~~~~!!」


 イスラが感極まったようにぴゅーっと走ってきます。

 私は堪らずに両手を広げました。

 そして勢いよく飛びついてきたイスラを抱きとめ、そのまま強く抱きしめます。

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