五ノ環・魔王と勇者の冒険か、それとも父と子の冒険か。7
「急ぐぞ。そこにブレイラがいるかもしれない」
「うん」
二人はまた歩きだす。
最初は普通に、でも次第に大股になって、早足になり、気が付けばハウストとイスラは走っていた。突風のような凄まじい速さで。
疾走する二人の前には森の木々が壁のように聳えている。しかしハウストとイスラの桁違いの力を前に、森の木々の方が避けて勝手に道が開けていく。
こうして二人は何時間も速度を落とさず走っていたが、不意に。
「止まれ」
「わわっ!」
急停止したハウストにイスラも慌てて立ち止まる。
風より早く走っていたところの緊急停止だ。イスラの小さな体が振り切れそうになるが、ぐっと耐えた。ハウストの前で弱さを見せたくない意地である。
しかし、どういうつもりだとイスラはハウストを睨む。
「きゅうにとまるな」
「見ろ。崖だ」
「……たかい」
足元を見ると地面がなかった。
イスラは不覚だったと憮然となる。気が付かなかった。あと半歩でも進んでいたら断崖絶壁から真っ逆さまだった。
遥か下にある森の木々が蟻のように小さく見える。
それはまるで雲上から地上を見下ろすような途方もない高さ。
行き止まりだ。でも、この崖下に広がる森にブレイラがいる。
ブレイラがいるならここは行き止まりではない。足を止める理由にはならない。
「行くぞ」
ハウストが躊躇わずに進もうとする。
イスラもそれに続こうとしたが。
ビュオオオッ!!
崖下から突風が吹き上げる。
突風が竜巻のように小さな体を煽り、イスラはムムッと眉間に皺を刻んだ。
足が、竦む。
今まで高所から飛び降りることを怖いと思ったことはない。むしろ楽しかったくらいだ。
しかし目の前の断崖絶壁は高所などという次元を超えている。
「どうした。行かないのか?」
はっとして見上げると、ハウストが立ち止まったイスラを見下ろしていた。
しかもハウストはイスラの足が竦んでいることに気付くと手を差し伸べる。掴まれということだ。抱っこして飛び降りてくれるというのである。
ハウストに含みはなく、ただ純粋に子どもの為に向けられたもの。
でもイスラは素直に手を握り返せない。勇者として握り返したくない。
「……いらない」
「この高さだ。恥じることはない」
意地を張るなと言わんばかりのハウストにイスラは更にムムッとする。
「いらない」
「……分かった」
ハウストはため息とともに言うと、イスラと並んで足元の絶壁を見下ろした。
普通の人間ならば死ぬ高さ。いや、たとえ魔族や精霊族でもこの高さから飛び降りれば無事で済まない。きっと肉体は肉片となりえるだろう。まるで天からの落下。
だが二人に足を止めるという選択肢はない。一分一秒が惜しい今、迂回するのも無しだ。
「行くぞ」
「うん……っ」
ハウストが空へと一歩踏み出して落ちていく。
イスラはごくりっと息を飲み、ハウストに続いてぴょんっと飛び降りた。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!
凄まじい急落下。あまりの落下加速度に頬の肉が上に向かって波打つ。
「あぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶっ!!!!」
奥歯を噛み締めているのに風圧に負けて唇が閉じられない。
イスラの口からはなんとも情けない声が漏れている。
意識が遠のきそうになりながらもイスラはハウストをちらりと見た。
「っ?!」
ハウストは腕を組んで仁王立ちのまま落下していたのだ。しかも平然として、眉一つ動かしていない。
ムムムムッ。おもしろくない。イスラは風圧に負けていた口をぐぐっと結びだす。
ハウストみたいな、ああいうのがいい。ブレイラを助けに行くなら、かっこいいのがいい。子ども心である。
それに、このままではハウストに負けた気がしておもしろくない。
「うぐぐぐぐぐぐぐッ……!!!!」
イスラはぐっと唇を引き結んだ。
そして凄まじい重力と戦いながらじりじりと腕を組み、胸を張り、気合いで仁王立ちの体勢になる。
こうしてハウストとイスラは二人揃って断崖絶壁を落下する。腕を組んだ仁王立ちで。
◆◆◆◆◆◆
「ブレイラ様、こちらです! お急ぎください!」
「分かりましたっ。クウヤ、お願いします! エンキは援護を!」
アイオナの先導に私を乗せたクウヤが森を駆ける。
行く手を阻む森の木々をエンキが追い払い、それを掻い潜ってきた木々はクウヤの鋭い牙によって砕かれました。
ガウッ!! ガアアアアアッ!!!!
魔狼の荒い息と枝を噛み砕く音が森に響く。
木々の断末魔が森に響き渡り、行く手を阻もうとしていた森の木々たちが逃げるように道を開けだします。
背後から追ってくる巨木は五本。都を襲っていた巨木を誘導することは成功しました。あとは都に影響が及ばない離れた場所で始末するだけです。
「この辺でいいでしょう。クウヤ、エンキ、お願いします」
そう言ってクウヤの背中から降りると、二頭の魔狼はさっそくとばかりに巨木に襲いかかりました。
巨木の蔦や枝が二頭を襲いますが、クウヤとエンキは見事な連携で追い込んでいきます。さすが兄弟ですね。
「ブレイラ様、ご無事ですか?!」
「大丈夫です。あなたも無事のようですね」
松明を持ったアイオナが側に来てくれました。
アイオナの愛馬にも松明が括りつけられていて、そのお陰で森の木々は近づいてきません。予備の松明も持ってきてくれています。
巨木の怪物も植物です。弱点はやはり炎ですね。
「これを貸してください、一気に燃やしてしまいましょう! クウヤ、エンキ、これを使ってください!」
予備の松明に炎を灯してクウヤとエンキに向かって投げました。
二頭は口で受け止めると、松明を咥えて巨木に向かって駆けていく。
「上手ですね、お願いします!」
さすがハウストの魔狼です。投げた松明を上手に受け止めて巨木の枝や蔦に火を点していく。
小さな火はあっという間に燃え広がり、巨木全体に広がっていきます。
ギャアアアアアアアアアアア!!!!
不気味な断末魔があがりました。
背筋がぶるりと震える金切り声です。
こうして都を襲った巨木は高温の炎で燃え尽きて黒炭になりました。
「よしよし、いい子ですね。ありがとうございます。あなた達のお陰で助かりました」
擦り寄ってきたクウヤとエンキを撫でてあげます。この二頭は本当によく頑張ってくれました。
「ひとまず安心ですね。でも、この森はまたいつ襲ってくるか分かりません。都は無事だといいのですが」
「都を襲っていた巨木の誘導は成功していますし、砂漠の戦士が守っています。きっと大丈夫です」
「そうですね、今は信じましょう……」
都を襲っていた巨木を倒しても森の木々はざわめいたままです。
森の木々は炎を恐れて大人しくしていますが、これだっていつ巨木のように牙を剥いてくるか分かりません。
「ブレイラ様、少し休みましょう」
「はい」
素直に頷きました。
直ぐに都に戻るのは危険です。私が戻ったことでまたおびき寄せてしまうかもしれませんから。
森の木陰に手頃な石を見つけ、そこに腰を下ろして小休憩です。
「ブレイラ様、お水です」
「ありがとうございます」
差し出された水筒を受け取って喉を潤しました。
ほうっと一息つくと、側にいたクウヤとエンキが鼻を寄せてきてくすぐったいです。
「ふふふ、くすぐったいじゃないですか。ほら、クウヤ、エンキ、あなた達もどうぞ。アイオナ、あなたの愛馬にも飲ませてあげてくださいね」
「はい」
お世話になった魔狼と馬に水を飲ませていると、アイオナが都のある方角を気にしているのに気が付きました。
先ほど『砂漠の民は勇者の為なら死を恐れない』とまで言っていたというのに、やはり心配なのかもしれません。ゴルゴスもアイオナは都を大切に思っていると言っていました。
彼女のことはよく分かりません。
勇者の為に都を突き放したと思えば、今、都がある方角を見つめる眼差しは憂いを帯びたものなのです。
「都は砂漠の戦士が守っているんですから、大丈夫なんでしょう?」
「ブレイラ様……」
はっとしてアイオナが振り返ります。
彼女はすぐに表情を取り繕ってしまいましたが、私は見逃していませんよ。
「あなたでもそんな顔ができるのですね」
「勇者様の御母上様に見苦しいところをお見せしました」
「見苦しいなんて誰も言っていません」
むしろ安心したくらいで、少しだけ口元が綻びました。
アイオナは勇者と契約した血族の末裔で、代々勇者の宝を守ってきたのでしょう。彼女にとって勇者の為に生きることは誇り。
でも首長としての重責も果たさなければならないもののはずです。
「砂漠の都アロカサルはとても豊かで美しい都だと聞きました。砂漠の花のようだと。アロカサルはどんな都なんです? 聞かせてください。私はこの不気味な森にあるアロカサルしか知らないので」
訊ねた私にアイオナは躊躇いの顔になります。
でも少しして諦めたようなため息を一つ。ついで私を見つめ、厳しかった雰囲気を少しだけ緩めました。
「……それは惜しくございます。アロカサルは砂漠の都、森にあっては美しさが伝わりません」
「そうですね。建物は変わった形状をして、土壁や煉瓦はとても趣きがありました。砂地を潤す水路には鮮やかな花も咲いていて、とても美しかった。あれは近くのオアシスから引いているんですか?」
「はい。都の近隣はオアシスに恵まれておりますから」
「そうですか、それならやはり砂漠のアロカサルを見てみたいです。六ノ国の方々にとってアロカサルは特別な都なんでしょうね」
「はい。ダビド王もアロカサルの美しさを誇りに思ってくださっています」
ダビド王。さり気なく紡がれた王の名。
アイオナの夫にして、六ノ国の王。
一瞬、アイオナの声が詰まった気がしたのは気の所為でしょうか。
眇められた眼差しに湛えられたのは、切ないほどの愛おしさと、未練なのではないかと。気丈に離縁を受けとめているように見えますが、彼女自身からは愛情が消えたわけではないと。
「ダビド王とは本当にこのまま別れるつもりですか?」
「えっ……」
「あ」
はっとして口元を押さえました。
思わず言葉がついて出ていましたが、これは失礼な質問でしたね。
「すみません、忘れてください。私が立ち入っていいことではありませんね」
「……いえ、お気になさらず。ご心配ありがとうございます」
王と妃とはいえ夫婦の問題に第三者が気安く立ち入るべきではありません。私としたことが不覚です。
アイオナは許してくれましたが奇妙な沈黙が落ちました。
居心地悪さに困ってしまいましたが、不意にアイオナの顔が険しくなる。
「……どうして、この香りが」
「香り? ……あ、ほんとです。香りがしますね」
鼻腔を微かな芳香がくすぐる。
花の香りでしょうか。とても甘ったるい香りです。でもずっと嗅いでいたくなるような、不思議な芳香でした。
人間界で薬師をしていましたが、こんな花の匂いは嗅いだことがありません。
アイオナを見ると、彼女はこの香りを知っているようでした。
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