Ⅱ・行方不明事件と海賊と1
礼装から軽装に着替えた私とイスラは海へ繰りだしました。
強い陽射しの下で私はハウストから頂いたヴェールを頭から被っていますが、イスラは平気なようで元気に駆け回っています。
白砂の浜辺をイスラと散歩し、波打ち際で寄せては返す波を追いかけたり逃げたりして遊びました。
「ブレイラ、おみず、しょっぱい!」
イスラが濡れた手をペロッと舐めて驚いています。
初めての海水の味に瞳をキラキラさせるイスラに顔が綻びます。
広間で張り詰めていた緊張の糸が嘘のようにほぐれていくようでした。
「海の水って本当にしょっぱかったんですね。湖や川の水とは全然違います」
「ブレイラ、こっち! きれいなのある!」
「どれですか? あ、これは綺麗ですね」
イスラが浜辺で拾ったのは薄いピンク色の小さな貝殻でした。
イスラの小さな手の平にもすっぽり収まるくらいの小さな貝殻は、まるで貝の赤ちゃんのようですね。
「小さくて可愛いですね」
「ブレイラにあげる!」
「せっかく拾ったのに、いいんですか?」
「うん!」
「ありがとうございます。大切にしますね」
受け取った小さな貝殻を見つめ、またイスラに笑いかけました。
するとイスラは嬉しそうに大きく頷き、「もっとだ!」ともっとたくさん貝殻を拾おうとします。
でも、――――バシャン!!
「わああ!」
「イスラ、大丈夫ですか?!」
慌てて駆け寄りました。
波に足を取られて転んでしまったのです。
ケガはないようですが、イスラはびっくりした顔で起き上がりました。
「なみ、すごい……」
どうやら転んだことよりも波の力にびっくりしているようです。
ここは足の踝がつかるくらいの波打ち際ですが、それでも海の広大さと雄大さ、なにより途方もない力を感じるには充分です。
「そうですね、波ってすごいですね。海はとても大きな力を持ってるんですね」
怖いけれど優しい。それが海なのでしょう。
海ってすごいですね。こうしてイスラと海で遊んでいる間は、悩んでいる気持ちを忘れることができます。
「びしょびしょだ」
「着替えに戻りますか?」
「ううん、だいじょうぶ。さむくない」
「そうですか、まあいいでしょう。海の陽射しは強いですからきっと直ぐに乾きます」
しばらくイスラと遊んでいると、ふと島の漁師らしきお爺さんが浜辺を通りかかりました。
海の男らしく日に焼けたお爺さんは、私とイスラを見かけると相好を崩します。
「これは珍しい。この島に漁師以外の人間がいるなんて」
「こんにちは。ほらイスラも」
「こんにちは」
ぺこりと頭を下げたイスラにお爺さんはくしゃりと笑顔になりました。
「こんにちは。この島の客人かな?」
「はい。お爺さんはこの島の方でしたか?」
「いいや、さすがに第三国の島には住んでいないよ。儂は近くの島の漁師だ。この島は魚がよく獲れるんでな」
今日も大漁だったと、魚がたくさん入った網を掲げます。
「ここは良い島だが、最近この海域では行方不明になる者が多いと聞く、気を付けて遊びなさい」
お爺さんはそう言うと浜辺を歩いていきました。
お爺さんが見えなくなると、ちょんちょんと服を引っ張られる。イスラです。
「ゆくえふめい?」
「突然どこかにいなくなってしまう、という意味です」
「ブレイラ、どこかにいくのか?!」
焦りだしたイスラに思わず笑ってしまいました。
「どこにも行きませんよ。行方不明にはなりません」
「ほんとか?」
「はい。でも暗くなる前に帰りましょうね」
「うん! ……あっ、きのうのどうくつ! どうくつ、いきたい!」
「いいですよ。昨日の冒険ごっこの続きをしますか?」
「する!」
次の遊び場所が決まり、イスラと手を繋いで浜辺を歩きだしました。
海は穏やかに凪いで、とても良い天気です。
なんとなく背後の城を振り返り、なんともいえない気持ちになりました。だって、今あの城では魔界と精霊界の今後を左右する大事な会談が開かれています。
それなのに、私はいったい何をしているのでしょうね……。
あ、ハウストです。ハウストが窓辺に立っています。
こちらを見ているような気がして手を振ろうとしましたが、その前にハウストが窓辺から離れて行きました。
見ているような気がしたのは気の所為だったのでしょうか。
「ブレイラ、どうしたんだ?」
急に立ち止まった私をイスラが心配そうに見上げています。
「なんでもありませんよ……」と首を横に振りました。
城の会談は気になりますが、私が戻ったところで迷惑になるのは分かっています。
「さあ行きましょうか。昨日の冒険ごっこの続きです」
「どうくつ! どうくつ!」
イスラはすっかり洞窟に夢中のようで、はしゃぐ姿が微笑ましい。
私はイスラと一緒に入り江の洞窟へ向かうことにしました。
◆◆◆◆◆◆
イスラとブレイラが下がってからも、広間は変わらず和やかなままだった。
昼からの会談を前に、広間は挨拶から談笑の時間になっている。
断絶状態が長かった両界にとって、今は少しでも顔を合わせて言葉を交わし、慎重に親睦を深めていくことが大切だった。
それは分かっている。分かっているが肩がこるものだ。
ハウストは給仕から冷えた果実酒のグラスを受け取り、さり気なく窓辺に移動した。
幾人かが話し掛けたそうに見ていたが、もちろん一瞥すらすることはない。
そもそもハウストの今回の目的は、精霊王との関係を安定させること。その目的はこれからの会談次第だが、今のところ充分達成しているはずだ。
こういった催しには今まで嫌というほど出席していたが、楽しいと思ったことは一度もない。どちらかというと駆け引きは得意で政務も嫌いではないが、形式と作法が重んじられる場所は回りくどくて面倒臭い。
ここにブレイラがいればこの時間も楽しかっただろうが……。
冷たい果実酒を飲むも、気分展開にはほど遠い。
思い出すのは、先ほどの召使いから受けた伝言だ。ブレイラは『ご迷惑をおかけしました』と伝えるように言ったという。
もちろん迷惑などかけられていないが、先ほどのことを気にしているんじゃないかと思うと気が気ではない。
ふと窓の外に視線を向けると浜辺にブレイラとイスラが見えた。
波打ち際で遊んでいるイスラをブレイラが見守っている。
波を追いかけたり逃げたりするイスラを見てブレイラも笑っているようだった。
叶うならすぐに自分も行きたいが、今はこうして遠くから見ていることしか出来ないのが残念で仕方ない。
「おっ、ブレイラだ。相変わらず美人だな」
「……何しにきた」
ハウストは低い声で答えた。ジェノキスだった。
せっかく休んでいた所に、よりにもよってこの男が来るとは最悪だ。
ジェノキスはハウストの隣に立ち、浜辺のブレイラを上機嫌に眺めている。
ハウストはこれ以上気分が悪くなる前に戻ろうとしたが、ふと気が変わった。
「さっきはブレイラが世話になったな」
口元に笑みを浮かべて余裕とともに礼を言った。
これはちょっとした意趣返しが半分、本音が半分の礼だった。
やり方は気に入らなかったが、緊張していたブレイラの気持ちを和らげたのは間違いない。
「……礼なんて言うなよ、余裕なのが腹立つだけだ」
「わざとだ」
「ほんと嫌な魔王様だな。ブレイラの唯一の欠点はどう考えても男の趣味の悪さだろ」
ジェノキスは呆れていたが、ふと、「そういえば」と話が変わる。
「島にくる前に精霊王が面白い話をしてたぜ。この海域のどこかに、いにしえの時代の怪物が封印されてるらしい」
「なんだそれは」
「さあな、当時の精霊王が封印したって言ってたんだ。巨大タコだったかイカだったか……、ああクラーケンだった。でも千年以上前の話だし、封印されたまま死んだんじゃないかって言ってたぜ」
「……まあ、そう考えるのが妥当だな」
封印とは、あくまで閉じ込めるという事でしかない。
呪怨や遺恨などの無形物はともかく、どんなにしぶとい生き物でも寿命がある限り封印内でいずれ死んでいく。封印とはそういうものだ。ましてや千年以上経過しているならほぼ死滅していることだろう。
「もしブレイラがクラーケンと遭遇したら卒倒しそうだよな。ブレイラって度胸あるけどビビりだし。まあそこが可愛いけど。あ、イスラが転んだ」
窓の外を見ながらジェノキスが言った。
ハウストも浜辺を見ると、イスラが転んでブレイラが慌てている。
でも二人は困った様子になるでもなく、また遊びだす。しばらくすると地元の漁師が通りかかり、楽しそうに何ごとかを話していた。
そして漁師が歩いて行くと、二人も手を繋いで入り江の方へ歩きだした。きっと昨日の洞窟へ行くのだろう。
自分が教えた場所とはいえ、入り江に行ってしまうと城から姿が確認できなくなってしまう。いくらイスラが勇者でも海に不慣れな二人では危険だ。
「魔王様、今すげぇ過保護なこと考えてるだろ」
「何か問題でもあるか?」
「とんでもない、俺も賛成。なんなら俺が行くけど」
「貴様はここで仕事だろう。別の者を行かせる」
「遠慮するなよ、この精霊界最強が直々にって言いたいけど……、やっぱ無理みたいだな」
ジェノキスは部下に呼ばれて護衛長の顔に戻る。「それでは魔王様、失礼しました」と目上に対する敬礼とともに立ち去っていった。
ハウストもそろそろ戻らなければならない。ブレイラとイスラの護衛を近衛兵に命令し、政務を果たすべく窓辺から離れたのだった。
◆◆◆◆◆◆
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