三ノ環・崖っぷちの父子4

「いい景色だな」

「……うん」

「海もいいが、山も悪くないと思わないか」

「……うん」

「……他にどこか行きたい所はあるか?」

「………………べつに、ない」


 いっそ滝つぼに飛び込んだ方が楽かもしれない。いや、間違いなく楽だ。魔王は滝つぼに飛び込んだくらいでは死なない。勇者も死なない。三界の王が頭を冷やすのに大瀑布は丁度良い。

 そんな馬鹿なことを考えながらハウストはイスラを見おろす。相変わらず目を合わせようとはしない。

 ブレイラと眺めていた時は嬉しそうだったのに今はぎこちない。本当はハウストと二人になるのも避けたかったくらいだろう。しかしブレイラを困らせるから嫌だとは言えなかったのだ。それくらい考えなくても分かる。

 だが、このままなのは困る。


「イスラ」

「……なに?」


 イスラはぽつりと返事をしたが、俯いたままでやはり目を合わせない。

 ハウストは息を吐き、膝をついてイスラと目線を合わせた。これはブレイラがよくしていることだ。

 イスラに絵本を読むとき、大切な話しをするとき、抱き締めるとき、ブレイラは必ずイスラと目線を合わせている。


「ハウスト……」


 イスラが驚いたように目を丸めた。

 当然だ。ハウストが膝をついて語りかけるのは初めてのことだ。

 でも今、理解されなくても、受け入れられなくても、伝えておかねばならない大切な事がある。


「知っていると思うが、俺はブレイラを妃に迎える。お前が親と慕うブレイラを、俺の伴侶にする」

「っ……」


 イスラが息を飲んだ。

 唇を噛みしめ、今にも泣きだしそうな顔をした。

 でもイスラは泣かずに、こくり……と頷く。


「……わかってる。ブレイラは、ハウストとけっこんするの、うれしそうだった……」

「そうか」

「うん。……だから、けっこんしろ」


 手放しで喜ぶことはできないが、それでもイスラは結婚を認めてくれているようだった。

 ならば、イスラが整理できていない部分は一つだ。

 ハウストはイスラを見つめて淡々と告げる。


「イスラ、俺もお前の親になる」

「…………」


 困ったようにイスラが目を逸らした。

 しかしハウストの方は目線を合わせて真正面からイスラを見据える。


「嫌なのか?」

「えっと……、その……」


 単刀直入なそれにイスラが動揺した。

 隠し切れていないそれにハウストは更に続ける。


「お前は俺を親にしたくない、と」

「えっと、えっとっ……」


 イスラが更にせわしなくきょろきょろ視線を彷徨わせる。

 誰が見ても肯定している反応に、ハウストは苦笑するしかない。


「親にしたくないんだな。反応を見れば分かる」

「ち、ちがうっ。ハウストはいやじゃないっ」

「俺は嫌じゃないのか?」

「うん……」


 イスラはこくりと頷くと、ぽつぽつと心の内を話しだす。


「ハウストは、いやじゃない。でも、オレは……ブレイラとふたりがいいんだ。ふたりが、たのしかったから。ふたりが、……うぅっ」


 イスラの大きな瞳が涙で潤む。

 誰にも言えなかった本音を口にし、涙腺が緩んでしまったのだ。


「ずっと我慢してたのか?」

「うん……。ブレイラ、かなしむから」

「そうか」

「ブレイラ、かなしむの、いやだからっ……」


 うっ、うっ、と嗚咽を漏らすイスラをハウストは黙って見おろす。

 イスラがこんなに感情的に泣くのは珍しいことだった。

 それほど深く悩んでいたということだ。

 小さな子どもの悩みに複雑な気持ちになる。これが他人の子どもなら適当に慰めて終わるが、相手はイスラ。ブレイラの子ども。そして自分の息子にしたい子ども。


「……分かった。だがもう泣くな。お前が泣けばブレイラが落ち着かなくなる」

「うん」


 イスラはごしごしと涙を拭いた。

 しかし鼻水が垂れてしまって困ったようにハウストを見あげる。


「……ハウスト、ハンカチかして」

「ほら」

「ありがと、……チーンッ!」


 ハウストがハンカチを貸すとイスラは上手に鼻をかんだ。

 いつもはブレイラが「チーンは?」と鼻をかませている。


「自分でできたのか?」

「うん。……でもほんとうはブレイラに、チーン、してほしい」


 本当は自分で出来たがブレイラに甘えていただけということだ。


「……ブレイラには、ないしょにしろ」

「いいだろう。それなら一つ約束しろ」


 ハウストはそう言うと、涙で真っ赤になっているイスラの瞳を見る。

 イスラも緊張した面持ちで小さな眉間に皺をつくった。


「俺はお前を息子と思うが、お前は俺を親と思わなくてもいい」

「えっ……」

「だが、それは隠せ。ブレイラを心配させたくないだろう。あれは気に病むぞ?」

「それはやだっ」


 ブレイラを困らせることを嫌がるイスラに、ハウストは少しだけ口元を綻ばせる。


「ならば隠せ。ブレイラの前でだけでいい。ブレイラの前でだけ俺たちは親子の振りをする。そうでない時は魔王と勇者だ」


 これがハウストの妥協案だった。

 そしてイスラもこの妥協案を飲まざるを得ない。なぜなら、イスラの最優先はブレイラを悲しませないことだけだからだ。


「……ハウスト、いいの?」

「構わん。いつかは親と思わせたいが、それは強制するものではないだろう。気長に待つことにする」


 ハウストはそう言うと、心配そうにこちらを見ているブレイラに気付く。

 振り返って目が合うと、「ハウスト! イスラ! 崖っぷちはそんなに楽しいですかー?!」と大きく声をかけられた。


「そろそろ戻るぞ。ブレイラが気にしてしまう」

「うん」


 こうして二人はブレイラの元へ戻ったのだった。


◆◆◆◆◆◆




 ハウストとイスラが崖っぷちで大瀑布見学をしている間、私とランディは少し離れた場所にいました。

 声は聞こえませんが二人はなにか話しているようです。あんな大迫力の崖っぷちで何を話しているのか……。怖くないのでしょうか。

 私は大瀑布を望める広場で二人を待つことにしました。私にとっては長居したい場所ではなかったですが二人は楽しんでいるのでしょうね。

 何げなく広場を見渡すと観光客向けに小さな露店が幾つか並んでいました。

 現在、この展望台は関係者以外近づけないように規制されていますが、露店は景観の一部として店はそのままでも許されたのです。


「ちょっと見てきてもいいですか?」


 ランディに声をかけると、「案内します」と付いて来てくれる。

 ハウストとイスラを視界に入れながらランディとともに露店へ足を向けました。

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