十二ノ環・墜落の麗人5


◆◆◆◆◆◆


 フォルネピア国の武力蜂起。フォルネピアが冥界と結託していたことは即座に魔界のハウストにも伝えられた。

 それは魔界だけでなく精霊界、特に人間界を激震させる情報である。

 魔王ハウストと精霊王フェルベオは冥界の侵攻を防ぐために人間界へ軍を送った。

 魔界と精霊界の軍を迎えることになった人間界は慄き、なかには反感を覚える王もいた。しかしそれを声高に訴える者はいない。冥界が出現した今、それは大事の前の小事。冥界の侵攻を食い止め、消滅させることが先決だった。


「王都シュラプネル包囲完了しています。伝令から陥落間近との知らせです」


 シュラプネルから戻ってきた伝令兵の報告をハウストは厳しい面差しで聞いていた。

 ブレイラが行方不明になったのとフォルネピアが冥界と武力蜂起したのは同時で、無関係とはいえない。

 すぐさま魔界からシュラプネルへ軍を送ったが、ブレイラの身の安全が確認されたという報告はない。


「分かった。不審な人間は全員捕らえろ。貴族や役人はもちろん、女や子どもも含めた全ての人間が対象だ。包囲網から誰も逃がすな」

「はっ、畏まりました」


 伝令兵が急いで戻っていった。

 ハウストは執務机から立ち上がる。

 執務室には宰相フェリクトール、四大公爵、側近の高官が揃っていたが、一瞥すらくれることなく扉へ向かっていく。

 今のハウストは怒りを顕わにすることはなく、荒だった雰囲気を漂わせてもいない。ただただ静謐な冷気を纏っていた。

 淡々として感情は伺えない。でもだからこそ抜身の刃のように近寄りがたい。これならまだ怒鳴り散らしてくれた方がマシだろう。

 四大公爵は言葉も掛けられずに見守っていたが、年長のエンベルトがハウストを制止する。


「待ちたまえ。何処へ行くつもりだ」

「ブレイラを迎えに行く」


 ハウストが当然のように答えた。

 その答えにエンベルトはあからさまに難色を示す。


「本気か? 君は少し冷静になるべきだ。魔界の為に」

「魔界の為、か」


 ハウストはスッと目を細め、エンベルトを見据えた。

 底知れぬ威圧を纏うハウストにエンベルト以外の四大公爵は息を飲み、フェリクトールはなんとも言えぬ顔で二人を見守る。

 エンベルトは怯むことなくハウストに進言を始めた。


「魔王よ、現状を考えろ。今、三界はかつてないほどの危機に見舞われている。そんな状況だというのに魔王が魔界から離れるとは……。あの人間を思う気持ちも分かるが、それは現場の指揮官に任せたらどうだ」

「それは本気で言っているのか、エンベルト」

「常に本気だ。常に本気で最悪の事態も考えている。冥界に囚われたのなら、あの人間に降りかかるであろう事態も」

「ほう、最悪の事態」

「そうだ。はたして、そんな人間が魔王の妃に相応しいのかと」

「それは総意か?」


 ハウストはエンベルト以外の四大公爵、ランディとランドルフ、リュシアン、グレゴリウスを見る。

 ランディはとんでもない! と首を横に振り、グレゴリウスは是は魔王にありと涼しげな面差しのままだ。

 しかしランドルフとリュシアンは複雑な顔で黙り込んでいる。そこにあるのは迷い。


「なるほど、やはりそういう事か」


 四大公爵たちの反応にハウストは淡々としたまま答えた。

 激昂するでもないハウストの様子に四大公爵たちは動揺する。

 憤怒するかと思ったのだ。魔王のブレイラに対する寵愛は深く、以前からハウストを知る者には一目瞭然のそれだから。

 だが今、魔王は憤怒してみせることもない。

 皆は安堵した。魔王はブレイラを諦めたのだと。やはり魔界の王、賢帝と称されるに相応しいと。

 リュシアンもエンベルトに並び、安堵とともにハウストを慰める。


「魔王様も、かの人間はお忘れください。また誰かを愛することもありましょう。今はお辛いでしょうが、いずれ」


 しかしリュシアンの言葉が途中で止まった。

 今のハウストからはなんの感情も窺えない。しかし、そこにある底知れぬ無に飲まれたのだ。


「―――いずれ、なんだ。続きを聞かせてみせろ」


 ハウストに促されるも、リュシアンは顔を強張らせる。

 魔王は納得したのではなかった。

 魔王は、ここに居並ぶ魔界の権威たちを睥睨する。そして。


「俺はお前たちに自由を許している。ならば、俺が独裁の王になることを選択するのも自由。独裁の王を望むか」


 紡がれたハウストの言葉に空気が一変した。

 四大公爵や高官たちに緊張が走り、青褪めて息を飲む。


「お前たちがブレイラに思うところがあるのは分かっていた。それぞれ思惑もあるだろう。それはいい、お前たちの好きにしろ」


 静まり返る中、ハウストの声だけが淡々と響く。


「だが、俺はブレイラを妃に迎えることを決めている。認めぬ者は排除したいくらいにな」

「本気か?」


 見据えるエンベルトをハウストが真っ向から見返す。

 対峙する二人に周囲の緊張感が高まっていく。

 ハウストの言葉には力がある。それを施行する力がある。同胞を愛する優しい男だが、三界の王・魔王だ。


「お前が常に本気だと語ったように、俺も常にそのつもりだ」


 放たれた言葉は最終通告。

 魔界の未来の選択を迫られていることを、ここにいる誰もが気付いていた。

 独裁の王を冠する魔界となるか、否か――――。


「…………当代は本当に可愛げがない」


 ふと、エンベルトの皮肉に張り詰めていた緊張の糸が緩む。ハウストは眉を上げ、つぎにクツクツと喉奥で笑う。


「できればそれはしたくない。ブレイラも望んでいないだろうからな。あれは善政を敷く俺を愛しているんだ。俺はブレイラに愛されていたい」

「相手はたかが人間だというのに」

「人間を愛したわけじゃない。ブレイラを愛してるんだ」


 ハウストは当然のように答えると、誰の言葉も待たずに執務室を出て行った。

 誰の意見も言葉も必要としないのだ。

 なぜなら、ハウストの意志が魔界の答え。

 三界の王とはそういう存在なのだから。

 残された四大公爵に沈黙が落ちる。

 心中は複雑なものだ。魔界の為を思えばブレイラを認めるわけにはいかない。


「無謀なことをするものだ。呆れたよ」


 フェリクトールが吐き捨てた。

 そんなフェリクトールをエンベルトがぎろりと睨む。


「無謀なことだと? 貴様はあの人間を認めているのか。魔界の宰相が嘆かわしいっ」

「認めるも認めないも、魔王が決めたことだ。当代は先代のような狂った男ではないが、それでも魔王だ。君も分かっているだろう」


 認めないと声高に訴える自由、それすらも許されたものだということ。

 しかし四大公爵にも先代の狂った時代に自領を守りきったという自負がある。それは魔界を守ったということ。


「魔王も皆の働きを認めている。君たちのブレイラへの思惑に口出ししなかったのも、君たちを信じてのものだろう。だが、それもすべてブレイラが側にいることが前提だ。まったく、魔王とは傲慢なものだ」


 フェリクトールはそう言うと、高官や士官たちに魔界の守りを固めるように命令した。

 魔王が人間界へ赴くことを止めることはできない。

 ならば魔王の帰還まで魔界を守るのが宰相フェリクトールの役目であった。


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