八ノ環・勇者は私の腕のなか3
早朝、私は魔界の城の城門で振り返る。
ハウストがなんともいえない複雑な顔で私を見ていました。
心配させているのです。そう、今から私は人間界へ行くのですから。
「そんな顔、あなたには似合いませんよ」
「ならば考え直せばどうだ」
「考え直すと思いますか?」
「……無理だろうな」
渋面で答えたハウストに私は笑いかけます。
すると彼が面白くなさそうな顔をしました。
「いっそ閉じ込めておこうか」
「あなたがその気になれば私は抗えないでしょうね。でも、あなたはそれをしないでしょう?」
「……可愛くないことを言う」
「可愛くなくても愛していてくださいね?」
「当たり前だ」
ハウストがため息をつき、ついで小さく笑いました。
そして私をやんわりと抱き寄せて頬に口付けてくれる。
くすぐったい感触に肩を竦めると、唇の端に触れるだけの口付けを落とされます。
「俺も行きたいところだが」
「お気持ちだけで充分です。あなたは魔界の王なんですから」
冥界が出現し、三界は今までの状況と様変わりしました。
魔界の王であるハウストはもちろん、同じ三界の王である精霊王も今は精霊界を離れることはできません。守らなければならないのです、自分たちの世界を。
ハウストも魔界の守りをより強固なものとし、近日中に魔界の各領土を治める四大公爵の緊急召集も決めていました。
「人間界ではまずモルカナへ行け。モルカナへは先に使者を出している」
「ありがとうございます」
「お前に不自由な思いをさせないようにしたが、なにか足りなければ遠慮はするな。護衛も足りなければ要請しろ」
「今のままで充分ですよ」
思わず苦笑してしまいます。
私が人間界に行くことを許されてから、ハウストは王直属精鋭部隊の一部隊を私の護衛として同行させることを決めました。他にも私の影にクウヤとエンキを控えさせてくれています。そこに身の回りの世話をしてくれる私の側近女官のコレットはもちろん、多くの侍女も一緒です。充分すぎるでしょう。
「今の人間界に行くならまだ足りないくらいだ」
「これ以上は我慢してください……」
充分だというのにハウストには足りないようです。
気持ちは嬉しいけれど困った人です。
「では、そろそろ行きます」
ハウストの厚い胸板に手を置き、やんわりと押しました。
すると私を抱き締めていた彼の腕が僅かに緩む。
互いに名残り惜しいですね、しかし今は行かなければなりません。
「行ってきますね」
そう言って私はハウストから離れ、人間界に繋がっている転移魔法陣へと足を進めます。
こうして人間界へ転移しようとした時。
「ブレイラ! ブレイラー!!」
ハッとして振り返る。イスラでした。
寝所で眠っていた筈のイスラが転がるような勢いで走ってきたのです。
「イスラ、どうしてっ……」
人間界へ行くことをイスラには秘密にしていました。
私がイスラを人間界へ連れて行きたくなかったのです。
「どこへいくんだ! オレもいく!」
イスラがぎゅっと私の足元にしがみ付きました。
置いていかれまいとするイスラに困惑してしまう。
「私は人間界へ行くんです……」
「オレもいく! オレをおいていくな! ブレイラがいくならオレもいく!」
「イスラ……」
私は膝をつき、イスラと目線を合わせました。
イスラの大きな瞳をじっと見つめます。
「今の人間界は以前のような人間界ではありません。あなたにとって辛い場所でもあるでしょう?」
「それは……」
「ね? ここで待っていてもいいんです。無理して行くことはありません」
私は連れて行きたくありません。これ以上イスラに辛い思いをしてほしくないのです。
今、三界の王であるハウストが複雑な顔をしているのが分かります。彼はイスラの親になりますが同じ三界の王でもありますから。
「…………いやだ。ブレイラがいくなら、オレもいく」
「……イスラ、聞き分けてください。私はあなたの為に」
「やだ。ブレイラといく」
「イスラっ」
強い口調で声をあげてしまう。
でもイスラは無言で私のローブの裾を握り締めました。
イスラは自分が何を言っているのか分かっているのでしょうか。人間界で大きなショックを受けたというのに。
そんな私とイスラのやり取りにハウストが口を開きます。
「諦めるつもりはないようだな。連れて行けばいい」
「ハウスト、あなたまでっ……」
「イスラが行くと決めたなら連れて行ってやれ。イスラが勇者として人間界へ行くのか、お前の子どもとして人間界へ行くのかは知らんが、イスラはお前から離れるつもりはないようだ」
私は拳を握りしめ、恨みがましく彼を睨みました。
しかし、ローブの裾が引っ張られる。
見るとイスラが大きな瞳に涙を溜めて見上げていました。
「いやだっ……。オレもブレイラといく」
「イスラ……」
イスラの必死な顔に胸がぎゅっと締め付けられます。
今のイスラは人間界に行くことも、人間界のことを考えることもしたくない筈です。言葉少ない子なので弱音を吐くことはありませんが、それでも以前とは明らかに違うイスラの様子がそれを証明しています。
ならば私はイスラが立ち直るまで守っていてあげたい。
でも、イスラにとっては私と離れる方が辛かったのです。当然です、イスラは子どもなんですから。
いけませんね、私はイスラのことを考えているようで、イスラの気持ちを置いてきぼりにしていました。
私はイスラの手を両手で握るとじっと顔を見つめます。
「では本音を言いましょう。私はあなたを連れて行きたくありません」
「うっ……」
イスラが大きな瞳を潤ませました。
悲しそうな顔をしてしまうイスラに、「話しは最後まで聞くものですよ?」と笑いかけます。
「でも、勇者としてでなく私の子どもとして行くなら、連れて行きましょう」
「ブレイラ!!」
イスラがぎゅっと抱きついてきました。
小さな体を抱き締め返し、よしよしと頭を撫でてあげます。
するとイスラは安心した顔で擦り寄ってきました。
そんなイスラを抱き上げてハウストに向き直ります。
「イスラも連れて行くことにします」
「そうしろ。――――イスラ」
ハウストの呼びかけにイスラがおずおずと振り返る。
ハウストとイスラが向き合い、イスラの顔に僅かな緊張が帯びました。
ハウストとイスラは、私に向けない顔を互いに向け合う時があります。ハウストは厳しい面差しをイスラに向け、イスラは緊張した顔でそれに向き合う。
「イスラ、頼んだぞ」
ハウストの言葉にイスラは黙りこむ。
それはイスラに勇者であれと魔王が望むもの。
黙りこんだイスラを庇ってあげたくなってしまう。
「なにを頼むんですか」
割りこんだ私にハウストが、まずい……と顎を引く。目を逸らそうとした彼を逃がさず睨み返してやります。
「イスラは勇者として行くわけではありません。そんなイスラになにを頼むのですか」
「……そうだったな」
降参だとばかりにハウストが引きさがってくれました。
ほっと安堵しながらも申し訳なさがこみあげます。
「……すみません。出過ぎました」
「謝らなくていい」
ハウストはそう言って私の頬をひと撫ですると、私の背後に控えているコレットや護衛の部隊を見ます。
「くれぐれも頼んだぞ」
「お任せください。ブレイラ様は必ずお守りします」
コレットがそう言ってお辞儀すると、それに合わせて護衛部隊が最敬礼します。
こうして私とイスラが人間界へ行く時がきました。
最後にもう一度ハウストと見つめ合う。
名残り惜しいですが出発です。
「無理はするな。俺が迎えに行くまで無事でいろ」
「ありがとうございます。では行ってきます」
私はイスラを抱っこし、コレットや侍女たち、護衛部隊とともに人間界へ向かったのでした。
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