八ノ環・勇者は私の腕のなか2
「とても厄介な感情だ」
ハウストがため息とともに言いました。
繰り返された言葉に視線が落ちていく。彼の気持ちに反していることは分かっています。
「……怒りましたよね?」
「……そうだな、だが、どちらかというと呆れている。ブレイラ、顔をあげろ」
「ハウスト……?」
言われるがままおずおずと顔をあげると、少し呆れた顔のハウストと目が合いました。
呆れた顔と言っても、その眼差しには優しい色を宿している。
それは想像していたものと違った反応です。
「俺は時々とても複雑な後悔をするんだ」
「後悔?」
それは彼らしからぬ言葉でした。
意味が分かりません。そもそも後悔など彼から最も縁遠い言葉ですから。
「お前に勇者の卵を託し、勇者の親にしたのは俺だ。お前でなければイスラは今のように育ってはいなかっただろう。面倒をかけたが、イスラや人間界にとってお前が勇者の親であることは幸運なことだ」
ハウストはそこで言葉を切ると、なんとも複雑な表情になりました。
そして私を見つめたまま口を開く。
「だが俺は今、お前に勇者を育てさせなければ良かったと思っている」
「え、それはどういう……」
思わぬ言葉に驚きました。
ハウストがどういうつもりで言ったのか分かりません。
しかし、そんな私をハウストが抱き寄せました。
そして腕に囲うようにしてやんわりと抱きしめてくれます。
「お前はイスラの為に危険に身を投じることを厭わない。それは俺を複雑な気持ちにさせるんだ。お前が親で良かったと思うのに、お前が親でなければ良かったと……。勝手なものだろう?」
「ハウスト、あなたは……」
この気持ちをどう言葉にすればいいのでしょうか。
勝手なものだと自嘲するあなたが愛おしい。いつも鷹揚で何ごとにも動じないあなたも、私やイスラのことで悩んでくれているのですから。嬉しいなんて思っていたら怒られるでしょうか。
ハウスト……、その名を呼んでハウストの厚い胸板にそっと擦り寄る。
「勝手な人ですね」
「……呆れたか?」
「はい、呆れました」
「……」
きっぱり答えて見上げると、目が合ったハウストは渋面でした。
困った顔をしていますね。でもあなたが悪いんです。
「ばかですね。もしイスラがいなければ、きっと私はここにいませんよ?」
「そんなことは」
「あります」
またもきっぱり答えると、ハウストの眉間に皺が寄りました。
思わず小さく笑ってしまう。彼の顔に手を伸ばし、指で眉間の皺をそっと撫でてあげます。
あなたが眉間に皺を寄せて目を据わらせると怖い顔になるんです。皺が癖になっては困りますよ。
「否定してくれる気持ちだけで嬉しいです。でも、あなたは魔王で私は普通の人間です。だから、もしイスラがいなければ私とあなたは幼い頃に一度出会ったきり、再会することはなかったでしょう」
それほどに私とあなたは遠いのです。
今は望めば触れあえる距離にいますが、それは奇跡。だってイスラが誕生していなければあなたが私に会いにくる理由はありませんでしたから。
「私は初めて出会った時からハウストに惹かれていましたが、あの時のハウストは私にそれほど興味があるわけではなかったですよね。ちゃんと知っていますよ?」
「…………」
やはり図星ですね。
さっきは眉間に皺をつくって目を据わらせていたのに、今度は目を泳がせだしました。
嘘でも「そんなことない」と答えるのは簡単なのに、あなたは私にそれをしない。でも優しいあなたは肯定もしたくなくて、三界の王らしからぬ顔をする。
笑ってはいけないのに、私は我慢できずに笑ってしまいます。
きっと魔王のこんな顔を知っているのは私だけ。そのことが私を喜ばせ、幸せにするのです。
「…………ブレイラ、なにを笑っている」
「ふふ、すみません。怒らないでください」
「俺は真剣に」
「私も真剣ですよ。真剣にあなたを愛しています」
そう言って笑いかけ、猫が甘えるように懐に擦り寄りました。
そんな私にハウストは少しだけ驚いたようですが、抱きしめる腕を強くしてくれます。
「こうして私はあなたの側にいて、あなたは私を抱きしめている。私は幸せですね、こんなに愛してもらって。私、あなたとの婚礼の日をほんとうに楽しみにしているんです」
「俺もだ。三界に冥界が出現したというのに、お前との婚礼を思うと浮足立つ」
「私たちダメですね。二人揃って浮かれているみたいです」
「そうだな」
世界は混乱に満ちています。
こんな時に婚礼の話しをするなんて不謹慎かもしれません。でも、今だから私は約束がしたい。
「ハウスト、お願いがあります」
「……言うな。分かっている」
ハウストはそこで言葉を切ると、ため息を一つ。
そして苦笑混じりに私を見ました。
「俺も覚悟を決めよう」
「それじゃあっ」
「ああ。認めたくないが、認めなければお前は勝手に行ってしまうかもしれないからな」
この前科持ちめ、と彼が私を軽く睨む。
視界に映るハウストが涙で滲んでいく。
受け入れてくれたことが、私を信じてくれていることが、嬉しい。
「ありがとうございます」
「これだけは約束してほしい。必ず無事でいろ。何を見捨てても、非道な選択をすることになっても、必ずだ。無事でさえいてくれればどこにいても迎えに行く」
「はい、お願いします」
必ずと重く頷きました。
三界に対してもハウストに対しても、罪悪感がないといえば嘘になります。でも、それでも私にとって一番守りたいのはイスラです。
全てを守れるなんて非現実的なことは考えていません。私がイスラを守りたいと強く思うほど罪悪は膨らんでいくでしょう。
しかしそれに押し潰されたくありません。押し潰されてはイスラを守れないじゃないですか。
三界を守るのが三界の王の役目なら、イスラを守るのは親である私の役目。
私はイスラと世界を天秤に乗せたなら、天秤がイスラに傾いてしまう人間です。
イスラに初めて口付けた時、親になると決意した時、イスラが大人になるまで側にいると約束した時、その時から私は決めているのです。
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