第五章・私は愛されたかったのです。たとえ娼婦のような真似をしても。1


 ハウストの足元に魔法陣が出現し、陣内にいた私も一緒に空間を移動しました。

 そして次に姿を現わしたのは魔界。そう、魔族が住む世界です。


「ここが魔界、あまり人間界とは変わらないんですね……」


 初めて訪れた魔界をきょろきょろと見回す。

 魔界は人間界と同じように緑豊かな自然と清らかな水に恵まれ、空には澄んだ青空の広がる世界でした。でも冷静に考えればそれは当然で、魔界も精霊界も人間界も同じ世界です。青空も自然ももちろん繋がっています。

 違いといえば、人間が安易に迷い込まないように強力な結界によって遮られているだけなのです。

 そして、私がハウストとともに降り立ったのは小高い丘の上でした。

 小高い丘には一面に白い小花が群生して風に揺れている。切り立った山の向こうには、自然の要塞に囲まれた巨大な城が見えました。

 初めての魔界に落ち着かないでいると、ふと二つの影がこちらに向かってきます。


「ブレイラーーー!!!!」

「イスラ!」


 聞き慣れた子どもの声、イスラです。

 イスラは転がるように駆け寄ってくると、足元に勢いよく抱きついてきました。


「わわっ、あぶないですよ!」


 あまりの勢いに尻餅をついてしまいました。

 まるで体当たりです。しかしイスラは構わずに首にぎゅっと抱きついてきます。


「ブレイラっ、ブレイラ!!」

「イ、イスラっ、私はここにいます! 少し力を弱めてくださいっ」

「いやだ! ブレイラ、ブレイラ!!」


 イスラは抱きついたまま何度も名前を呼んでくれました。

 この小さな温もりに、私の目にも少しだけ涙が滲む。

 たった少し離れていただけなのに、なんだか懐かしく思えます。


「イスラ、元気でしたか?」

「うん。ブレイラに、あいたかった」

「私もです」


 宥めるように小さな背中を撫でる。

 するといつも無愛想なイスラが嬉しそうにはにかみ、またぎゅっと力を籠めて抱きついてきました。

 こうして再会を喜ぶ私とイスラの横で、ハウストはモノクルが特徴的な老紳士に女性の亡骸を渡していました。この老紳士も魔族です。


「彼女を手厚く弔ってくれ」

「分かった」


 亡骸を受け取った老紳士もハウストと同じく女性を丁寧に扱っています。

 老紳士は女性を抱いたまま私を振り返りました。


「初めまして。宰相のフェリクトールだ」

「さ、宰相様ですか? 私はブレイラと申します!」


 老紳士の紹介を受けて慌てて自己紹介しました。

 相手は宰相という高い身分の方だったのです。


「フェリクトールで結構だ。君のことは聞いている」


 それだけを言うとフェリクトールは歩いて行ってしまいました。

 淡々として冷たい雰囲気に少し萎縮されてしまう。何か失礼なことをしてしまったでしょうか。


「ハウスト、私は何か気に障ることでもしてしまったでしょうか?」

「ハハハッ、気にするな。あの男はいつも不機嫌な仏頂面をしている」

「そうなんですか?」

「ああ、悪い奴ではないが少々堅物なんだ。そういう男だと思っておいてくれ」


 ハウストはおかしそうにそう言うと、私が抱っこしているイスラを見る。


「機嫌が直ったようだな。ブレイラがいない間、ずっとイスラの機嫌が悪かった。世話をする者達も困っていたんだ」

「こまらせてない。オレはいいこだ」


 イスラはムッとして答えると、「ブレイラ、オレはいいこだぞ」とぎゅっと抱きついてくる。

 絶対に離れないぞ! とばかりのイスラの様子に私は小さく笑いました。

 再会した時からずっと抱き付いていて離れようとしないんです。


「分かってますよ。あなたはいい子です」


 いい子いい子と頭を撫でるとイスラが嬉しそうに目を細める。

 少し離れていたからでしょうか。甘えん坊になっているような気がします。


「ブレイラ、今から城へ案内する。人間界でイスラを育てていた時のように、ここでもイスラの世話をしてほしい。今まで俺の妹に任せていたが、イスラはお前でないと嫌だそうだ」

「そうでしたか」


 だから呼ばれたのですね。

 イスラの為に呼ばれたのですね。

 でも、それでも構いません。ハウストにとってイスラが必要で、そのイスラに私が必要だというなら、その状況を存分に利用したいと思います。

 勇者イスラをハウストが望む子どもに育てます。そうしたらハウストは喜んでくれるでしょう。もっと私を必要としてくれるようになるでしょう。

 私はイスラを抱き締め、優しく笑いかける。


「イスラ、これからはずっと一緒にいましょうね?」

「うん!」


 私の約束にイスラが大きく頷く。

 その顔がとても嬉しそうで、胸がちくりと痛みました。

 しかし今はその痛みに気付かない振りをしました。

 だって、私には何もないのです。何も持っていないのです。

 イスラに必要とされているから、ここにいられる。それだけなのですから。




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