第二章・たとえあなたが魔王でも、 勇者をあなたの望む子どもに育てましょう。5
その日の晩。
私は部屋の隅にたくさんの藁を敷き詰め、その上に大きな白い布を被せました。
そんな私の作業をイスラがじっと見つめている。
「ふふふ、ベッドを作ってるんですよ。今夜からここで一緒に寝ましょう」
そう話しかけると、食後のお茶を飲んでいたハウストが顔をあげました。
「そんなことしなくても、一緒に寝ればいいだろう」
「なに言ってるんですか、イスラは毎日大きくなってるんですよ? さすがにこれ以上は無理だと思います。それに、ご自分の体の大きさ分かってますか?」
からかうように言うと、ハウストが無言で顎を引く。
ただでさえハウストの体躯は平均より一回りも大きな逞しいものです。これで窮屈なはずがありません。
「……そうだな、たしかに窮屈かもしれない」
「そうでしょう? ですから今夜からあなたがベッドを使ってください。私とイスラはこっちのベッドで寝ますから」
ハウストと一緒に眠れなくなるのは寂しいけれど、さすがに何日もこのままでは駄目だと分かっていましたから。
私はイスラを抱きあげて新しいベッドに乗せる。
すると自重で沈むのが面白いのか、イスラがころころと転がりだしました。
「チクチクしてませんか?」
「あぶ!」
どうやら大丈夫なようです。しかも気に入ったようです。
イスラはハイハイで私の膝までくると、ぽすっと頭を乗せて親指をちゅーちゅー吸い始めました。
よしよしと頭を撫でると、気持ち良さそうに目を細めて今にも眠ってしまいそうです。
「ふふ、良かったです。あなた、あっという間に大きくなりますからね」
「あぶー……」
「おやすみなさい」
囁くように言うと、イスラはすやすやと眠っていきました。
きっと明日になればもっとたくさんのことが出来るようになっているんでしょうね。
「すぐに眠っていきました。気に入ってくれたようです」
ハウストにそう笑いかけると、彼は優しい笑みを返してくれる。
「イスラの為にすまないな」
「いいえ、私が好きでしていることですから」
「お前には助けられてばかりだ」
「そんな……。私は、あなたに喜んでもらえれば、それで」
熱くなる頬を隠そうと俯く。
彼の言葉で簡単に一喜一憂する単純な自分が恥ずかしい。
「ありがとう、お前には感謝している」
「ハウスト……」
嬉しくて視線をあちらこちらに彷徨わせてしまう。
真っ赤な顔で照れてしまった私にハウストが喉奥で笑う。
「俺は一人寝が寂しくなってしまうな」
「ば、ばばばかなことをっ」
「ハハハッ、許せ。イスラにばかり構うから嫉妬したんだ」
「か、かか、からかわないでください!」
それは冗談ですか? 本気ですか?
どうしよう、冗談でも嬉しいです! 本気だともっと嬉しいです!
たったこれだけのことなのに胸がドキドキ高鳴っています。
私の体はきっと壊れてしまったのかもしれません。
翌日の早朝。
目が覚めると、枕元に二歳くらいの小さな子どもがちょこんと正座していました。
無愛想な顔でじっと私を見下ろしています。
「……あなたはイスラですね」
こくり、子どもが頷く。
やっぱりイスラですね。相変わらず無愛想ですが直ぐに分かりました。
外跳ねの黒髪、紫色の瞳。こんな綺麗な顔立ちの子どもはなかなかいませんから。
「おはようございます、あなたは早起きなんですね。すぐに朝食の支度をしますから待っててください」
そう言ってベッドから降りて土間へ向かった、その時。
「ぶえいあ、おえもいく」
声がしたかと思うと、背後からパタパタッと子どもの足音がします。
え? 振り返り、驚愕に目を見開く。
だって、イスラが歩いたんです! 喋ったんです!
昨日は一人で立てたので今日は歩き始めるかもしれないと思ってましたが、こうして実際歩く姿を見ると感動のようなものを覚えます。
そして何より、今、イスラは。
「ぶえいあ? ……もしかして、それは、私の名前ですか……?」
「ぶえいあ!」
イスラはそう言うと私の足に抱きついてきました。
「あなた、昨日まであぶーしか言えなかったのにっ」
「ぶえいあ!」
嬉しそうに私の名前を呼んでくれました。
子ども特有のボーイソプラノが耳に心地よく響く。名を呼ばれることが、こんなに嬉しいなんて。
「ハウスト、起きてくださいっ。イスラが大変です!」
私は急いでハウストを起こしました。
まだ早朝なのでハウストは眠そうでしたが早くイスラを見てほしい。
「ん……、なんだこんな朝早くに」
「いいから起きてください! イスラが歩いてるんです!」
「……昨日の時点で立っていたんだ、一晩で歩くのは当然だろう」
眠そうに言うと、「まだ起きるには早い」とベッドに潜り込もうとする。
でも潜り込ませません。
「それだけじゃないんですっ。イスラが喋ったんです! あぶーしか言えなかったのに、私の名前を呼んでくれたんです!」
「それくらい……、なんだと?」
ハウストがむくりっと起き上がりました。
さすがに生まれて三日目で言葉を話しだしたのには驚いたようです。
「これは驚いたな……。さすがに早い」
「はい、誰も教えていないのに言葉を話すなんてすごいです!」
私はそう言って足に抱きつくイスラの頭を撫でました。
イスラはくすぐったそうに肩を竦め、私をじっと見上げる。
「ちがう。ぶえいあが、おちえてくえた」
「え?」
「ぶえいあ、いっぱい、はなちてくえた」
「……もしかして、卵の時ですか?」
こくり、とイスラが頷く。
この瞬間、胸が一杯になりました。苦しいくらい、一杯になりました。
「そうでしたね、たくさん話しましたね」
ハウストから卵を受け取ってから、ずっと肌身離さず持っていました。ずっと話しかけていました。
返事を望んだことはありません。だって相手は卵だったんですから。
でも、ちゃんと聞いていたんですね。
「ぶえいあ、ぶえいあ」
「ふふ、何度も呼ばなくても聞こえてますよ。今から朝食を作ります、お腹すきましたよね?」
「ぶえいあ、おえも!」
「手伝ってくれるんですか? ありがとうございます」
ぶえいあ、と舌足らずに名前を呼んでくれる。
ブレイラですよと訂正はしません。だってイスラの成長は凄まじい速さなんです。
つたない言葉で舌足らずに話す期間はあっという間に過ぎていくでしょう。普通の子どもなら数ヶ月の期間ですが、イスラにはほんのひと時の期間です。
私の中に、それに寄り添いたい気持ちがあったのです。
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