第八章・私の全部をあなたにあげます。きっとこの為に私はあなたの親になったのでしょう。4


「気分はどうだ? 痛かったり、苦しかったりするところはないか?」

「ありがとうございます。お陰でだいぶ落ち着きました」


 私は隣でずっと手を握ってくれているハウストに笑いかけます。

 今、私たちは塔にある応接間に集まっていました。

 広間に先代魔王を閉じ込めた後、ここにいる魔王ハウストと精霊王フェルベオの指揮の下、魔界と精霊界から精鋭が集結して対応にあたっているのです。

 私は神の器として力を注がれ、脱力感と倦怠感に襲われて酷い不調状態にあります。ハウストが手を握って体内の力をコントロールしてくれて、少しだけ楽な状態になりました。

 でもハウストは心配してくれたままで、ソファで休んでいる私に寄り添い、ずっと優しく手を握ってくれています。


「そんなに心配しなくても、もう大丈夫ですよ。あなたのお陰で楽になりました」

「……大丈夫なわけないだろう。これは気休めに過ぎないんだ」


 ハウストはそう言って私の手を両手で包み、そっと唇を寄せてくれる。

 まるで宝物のように扱ってくれます。照れ臭さに目を伏せると、今度は目元に優しい口付けを落とされました。


「すまなかった。もっと早く見つけていれば」

「いいえ、あなたが謝ることではありません。あなたは来てくれたじゃないですか、ありがとうございます」


 そう言って私も彼の頬にお礼の口付けをし、もう一度大丈夫ですよと笑いかけました。

 でも私がどれだけ強がっても、神の力との融合は少しずつ進んでいるのです。神の器に徐々に近づいていて、このままでは本当に道具になってしまう。

 そう、現状は絶望的です。それは私だけでなく、世界そのものが。

 広間に先代魔王を閉じ込めたとはいえ、それは一時的でしかありません。

 今は精霊界と魔界から魔力の強い者達が集まり、広間の呪縛魔法を強化しています。しかしそれも一時間も持ち堪えられないというのが現実でした。

 一時間もすれば呪縛魔法が破られて先代魔王が自由を手にする。そうなれば三界は先代魔王に全てを支配される暗黒時代を迎えることになるでしょう。

 今、ここには魔王と精霊王、他にもジェノキスやフェリクトールなど三界でも屈指の魔力と実力を持った強者達が揃っている。しかし、その強者達が協力したとしても先代魔王の力には及ばないのです。


 ……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!


 低い地鳴りが響き、塔が振動しました。

 ハウストが覆い被さるように頭を抱き寄せてくれます。

 先代魔王を広間に閉じ込めていても、凄まじい魔力が漏れて断続的に地鳴りが起こっていました。

 地鳴りはすぐに収まりますが、それでも徐々に時間が長くなり、頻度も上がってきています。


「大丈夫か?」

「はい。ありがとうございます」


 地鳴りが収まって彼に礼を言うと、膝枕しているイスラを見つめます。

 良かった。イスラも無事です。


「イスラ……」


 その名を小さく呟き、膝枕しているイスラの頭を優しく撫でました。

 先代魔王に勇者の力を奪われてからイスラはずっと気を失ったままです。

 命に別状はないとはいえ、イスラに降りかかる苦難に胸が痛い。たとえ勇者だろうがイスラはまだ子どもです。

 しかも今のイスラは勇者の力を奪われ、普通の子どもになったのです。もう人間の王ではありません。


「イスラ、可哀想に。怖かったでしょうね」


 イスラの目元にかかる前髪を払い、出てきた小さな額をくすぐるように指先で撫でてあげます。

 初めて額に口付けた夜のことを昨日のように覚えています。私がイスラの親になろうと決意した日です。

 勇者の力は奪われましたが、命まで奪われていない。それだけで充分でした。私はイスラが勇者だから親になったのではありません。イスラだから親になったのです。


「おのれっ、先代魔王め! この僕を愚弄したことを後悔させてくれる!! 絶対許さんぞ!!!!」


 突如、今まで的確な指揮をしていた精霊王フェルベオが声を荒げました。先代魔王の力が増大したという報告に激昂したようです。

 広間から漏れでる先代魔王の気配を感じてフェルベオが怒りに震えている。そう、先代魔王に乗っ取られていた精霊王フェルベオの怒りは凄まじいものがありました。彼は十年前に先代精霊王である祖母を失い、その怒りに付け込まれて十年以上も意識の一部を常に乗っ取られた状態だったのです。

 それによってフェルベオはハウストを憎むように仕向けられたのでしょう。精霊界と魔界の間を断絶する為だけに。


「忌々しい魔王め!!!!」


 外見は美少女と見紛う美少年ながら、どうやら性格は激情型のようです。

 ジェノキスをはじめとした精霊族の高官が必死に宥めていますが、傷付いた彼の矜持は先代魔王を倒して先代精霊王の仇を取らねば収まらないのでしょう。

 そんなフェルベオにフェリクトールがため息をつきます。


「君が怒り狂ったところでどうにもならないだろう。先代魔王の増大した魔力を封じる手立てでも考えたらどうかね」

「魔界の宰相如きが舐めた口をっ。貴様こそ魔界一の知恵者だと聞いていたが噂ほどではないようだ」


 暴言にフェリクトールがスッと目を細め、ジェノキスが慌てて仲裁に入ります。


「ごめんごめんっ、うちの王様ずっと乗っ取られてたから機嫌最悪なんだよ。これでも傷付いてるんだ」

「ジェノキスっ、貴様はどちらの味方だ!」

「もちろん精霊王ですよ。でも今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう」


 宥めるジェノキスにフェルベオは苛々と舌打ちします。

 ですが少しして深呼吸し、気持ちを落ち着けると凛とした面差しで顔を上げました。


「……取り乱してすまなかった。以後気を付けよう」

「分かってくれました?」

「フンッ、どこに怒りをぶつけるべきか見失う僕ではない。先代精霊王の死は、現魔王の所為でないことくらい分かっている。そこが理解できぬほど幼くもなければ愚かでもないぞ。僕は精霊王だ」

「さすが我らが王です」


 ジェノキスは満足気に笑むと、恭しく臣下の礼を取りました。

 フェルベオはそれに厳かに頷くと、私に向かって真っ直ぐ歩いてきます。

 そして私の前で紳士のように跪く。


「お恥ずかしいところをお見せしました。勇者の母君よ」

「わ、私にそんなこと、やめてくださいっ」


 予想外のことに慌ててフェルベオを立たせようとします。

 しかしフェルベオに制され、「僕を礼儀の知らない無作法者にする気ですか」と逆に怒られました。


「今、母君の体内で融合が進んでいる神の力の一部は、僕のおばば様のものです。分かりますか?」

「先代精霊王の……」


 私は目を閉じ、体内にある神の力を感じる。

 神の力は、勇者の力、魔族の力、精霊族の力が一つに同化したものです。


「……私は精霊族の力がどういったものか分かりません。でも、三つの力があることは分かります」

「充分です、ありがとう。僕におばば様へご挨拶させて頂きたい」


 そう言って手を差し出され、躊躇いながらも手を乗せる。

 すると手の甲にそっと唇が寄せられました。


「おばば様、さぞかし無念でしたでしょう。必ずや僕が精霊王として、おばば様の無念と精霊族の屈辱を晴らしてみせます。この困難が僕の世代で終わりますよう、どうぞ見守っていてください」


 フェルベオは誓うように言葉を紡ぐと、最後にもう一度手の甲に口付けてすっくと立ちました。


「ありがとう。母君のお陰で最後のご挨拶ができました。僕は物心つかぬ時に両親を亡くし、大事に育ててくれたおばば様をこのような形で失い、未熟な身でありながら精霊王となりました。先代魔王に乗っ取られた落ち度はありましたが、こうして先代にご挨拶できた今、これでようやく正式な精霊王になれた気がします」

「そうですか。あなたは立派な精霊王様ですね」

「勿体ない言葉です」


 幼くとも王。それが現精霊王でした。

 そのフェルベオが慕う先代精霊王はきっと素晴らしい方だったのでしょう。

 幼い子どもの王としての姿に、それだけでなんだか圧倒されてしまいます。

 こうして本来の落ち着きを取り戻した精霊王にジェノキスがほっとすると、フェリクトールに今後のことを相談します。年の功ではありませんが、この中で最も知恵者といえるのは魔界の宰相フェリクトールなのです。

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