第八章・私の全部をあなたにあげます。きっとこの為に私はあなたの親になったのでしょう。5


「魔界の宰相もなにか良い案ないのかよ。このままじゃここにいる全員間違いなく皆殺しにされるぜ? それはあんたも困るだろ」

「…………ないわけではない」

「本当か!? なんでそれを早く言わないんだよ!」


 予想外の返事に、ジェノキスだけでなく応接間にいた者達の表情が変わりました。


「……そんなに喜ばないでくれ。これはあくまで予測で、言い伝えの域を出ないものだ」


 フェリクトールはそう言うと、ふと私を、いえ、私の膝枕で気を失っているイスラを見たのです。

 何とも言えぬ複雑な感情を宿した面差しに、嫌な予感がしました。

 心臓がどくどくと嫌な鼓動を打つ。無意識にイスラを守るように抱きしめる。

 こうしたフェリクトールの複雑な面差しと私の反応に、ここにいる皆が思い出してしまう。

 古来より、魔王は勇者が倒すものだと。

 遠い昔から悪しき魔王を討伐するのは、どの時代も人間の王である勇者だと。


「だ、だだ、だめですっ。イスラはもう勇者じゃありませんっ! イスラは何も出来ません!」


 声を荒げてイスラを抱きしめました。

 行かせたくない。イスラを先代魔王と戦わせたくない。

 そもそもイスラは勇者の力を奪われて普通の子どもになったんです。そのイスラが勇者として先代魔王と戦うなんておかしな話です。


「たしかに今のイスラに勇者の力はないが、勇者として生まれてきたことに変わりはない」

「で、でも力が無いなら勇者ではありません!」


 頑なな私の態度に、部屋が重苦しくなった気がしました。

 皆が私に同情しています。フェリクトールもフェルベオもジェノキスも、伝令や護衛として部屋にいる魔族や精霊族の高官達も皆が同情してくれている。でも、その同情の奥底に『世界の為に子どもを手放してくれ』という願いが見え隠れしているのです。

 可哀想にという優しい同情と、さあ早く世界の為に子どもを手放せという願い、それが私に襲いかかる。

 そして、私の腕の中でイスラが目を覚ましてしまう。


「……ブレイラ」


 瞼を擦りながら目覚めた姿に泣きたくなる。皆が理不尽な期待をする中で、まるでいつもと変わらない朝です。


「おはようございます。イスラ……」


 寝起きで寝惚けた顔の子どもがじっと私を見つめ、「なんで、そんなかおしてるんだ?」と小さな手を伸ばしてきました。


「そんなかお、するな」


 寝惚けたままなのに、あどけない子どもの顔で私を心配してくれている。

 しかし徐々に目が覚めて、気を失う前のことを思い出したようです。

 私と隣にいるハウストを交互に見て、みるみる泣きだしそうな顔になってしまう。


「ブレイラ、オレ、オレ……」

「あなたこそ、なんて顔してるんですか。そんな顔しないでください」

「……でも、でもオレ、ブレイラに……えいってしたから、だから……」

「痛くありませんでしたよ。あんなの平気です」


 私がそう言って笑いかけると、イスラは少しだけ安心したような顔になりました。


「……えいってして、ごめんなさい」

「謝れるなんていい子ですね。では仲直りしましょう」

「うん!」


 素直なイスラの頭をいい子いい子と撫でてあげます。

 するとイスラは嬉しそうにはにかんで、「ブレイラっ」と私の膝に乗ってぎゅっと抱きついてきました。

 でも私の隣にいるハウストをちらりと見ると、なんとも複雑な顔になって俯いてしまいます。

 その反応にハウストも困ったようで、「どうしたらいい」と目だけで助けを求めてきました。

 私はイスラを膝に抱っこしたままどうしたものかと苦笑しましたが、その時、また塔を揺るがすほどの地鳴りが響く。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!


「イスラっ、大丈夫ですか!?」


 咄嗟にイスラを抱きしめました。

 何度も繰り返される揺れに塔の壁や天井にも亀裂が走り、ぱらぱらと破片が落ちてくる。

 少しして地鳴りが収まり、咄嗟に庇ってくれていたハウストが心配そうに聞いてくれます。


「大丈夫か?」

「はい、ありがとうございます。イスラは大丈夫でしたか?」


 そう言って顔を覗き込むと、イスラは神妙な顔で見つめ返してきました。


「…………これ、さっきのやつの?」


 ドキリッとしました。

 イスラが何を指してそう言っているのか、すぐに分かりました。

 でもそれには答えたくありません。イスラは知らなくていいことです。


「……さあ、どうでしょうね。でも、あなたは気にしなくていいんですよ?」


 そう答えた私に、ハウスト以外の者達が何か言いたげな顔をする。

 でも、私は譲りたくありません。イスラは勇者でなくてもいいのです。

 外の声など聞いてしまわないように、イスラをぎゅっと抱きしめる。

 私以外のすべてからイスラを守りたい。他人の声など、世界の期待など、知らない振りをしていいんです。聞かくなくていいんです。

 どんなに「助けてくれ」と訴えられても、聞こえない振りをして閉じ籠ってやります。

 恨まれても構いません。憎まれてもいいです。どうしても手放したくありません。

 こうして頑なに拒絶していると、ふとハウストのため息が聞こえました。

 唇を噛み締める。きっと呆れられてしまったのでしょう。


「――――ああ、そうだな。イスラは気にしなくていい」


「え?」


 思わぬハウストの言葉に顔をあげました。

 ハウストは思いがけないほど優しい面差しで私を見ていました。


「心配するな、イスラは行かせない。先代魔王は俺が始末する」


 そう言って立ちあがったハウストを呆然と見あげます。


「ハウスト……?」

「お前もイスラも俺が守ろう」


 ハウストは私とイスラを見つめて穏やかな口調で言いました。

 そして扉に向かって歩いていく。

 そんなハウストにジェノキスも呆れた顔をしながら付き合います。


「魔王ばっかりいい格好はさせられないだろ。ブレイラ、どっちがいい男かちゃんと見てろよな?」

「存分に戦え。心配するな、この精霊王も直々に力を貸そう」

「まったく、これだから考えなし共は困る……」


 フェルベオもフェリクトールもハウストに続きました。

 誰も私を責めませんでした。勇者に期待する気持ちを封じ、私を許し、当たり前のように戦いに赴く。

 それは百戦錬磨の騎士が征途につくが如く雄々しい姿です。

 でも敵はあまりにも強大で、向かう先は死地だと皆が知っている。


「ま、待ってくださいっ!」


 思わず呼び止めていました。

 ハウストが振り向き、目が合って唇を噛み締める。

 行かないでほしい。でも、これ以上の我儘が許されるはずがありません。

 視界が滲み、どうしようもないやるせなさに震える指先を握りしめました。


「オレもいく」


 不意に、イスラが私の膝からぴょんっと飛び降りました。

 そして当たり前のように扉に向かっていく。


「待ちなさいっ、どこへ行くつもりですか!? あなたは行かなくていいんです!!」

「オレはつよいから、たたかえる」

「どういう理屈です! 子どもは行かなくていいんです!」

「でも、オレはゆうしゃだ」

「っ……」


 息を飲み、唇を噛みしめました。

 勇者とは、なんと勇敢で、なんと哀れな存在なんでしょうか。もし他人なら私も手放しで賛美したでしょう。

 でもイスラは他人ではなく、私の子どもです。大事な子どもです。


「いいえ、今のあなたに勇者の力はありません。あなただって分かるでしょう? 今のあなたは普通の人間の子どもなんです」


 だから戦う必要はないのだと、危ない目に遭う必要はないのだと、私はイスラに手を伸ばす。

 ここに戻ってきなさいと、お願いだから戻ってきて欲しいと。


「……オレ、ちからが、なくなってる……?」

「そうですよ。だから行かなくていいんですっ」

「でも」

「行かなくていいんですっ。無茶なことばかり言うと怒りますよ!?」


 焦りのあまり強い口調になってしまいました。

 イスラが困った顔で唇を噛みしめる。でも。


「ブレイラが、かなしそうにしてるのいやだから、いく」

「え」

「ブレイラがおしえてくれた。かなしいのは、だめだって。だから」

「イスラっ……」


 言葉が出ませんでした。

 私はそんなこと教えていない。でも、悲しいことは駄目なことなのだと、イスラは私を見て学んだのだといいます。


「そんなかお、するな」


 イスラはそう言うと、勇者の力を持っていないのに勇者として旅立とうとする。

 私はその小さな背中に堪らない気持ちがこみあげました。

 悲しみと、寂しさと、哀れみと、成長に対する喜び。それらが複雑に混ざり合う。


「……分かりました」


 静かに、静かにそう答えました。


「ブレイラ、無理しなくていい」


 ハウストが心配してくれましたが首を横に振りました。

 イスラは私が思っていたよりも、ずっと勇者だったということです。

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