第三章・あなたが教えてくれました。 私の目に映る世界は色鮮やかで美しいと。2

 その晩。

 鍛錬で疲れたイスラはすぐに眠っていきました。

 私は二人分の紅茶を淹れてひと心地つく。


「どうぞ」

「ありがとう。とても美味しい」

「茶葉を変えてみたんです。焼き菓子もありますよ?」


 テーブルにちょっとした焼き菓子を並べる。もちろん手作りのお菓子です。

 イスラがとても喜んでくれるので、お茶菓子用にいくつか作っています。

 思えば、三人で暮らし始めてから家には物が増えました。

 一人で暮らしていた時は質素で殺風景だったのに、まずベッドが増えて、食器が増えて、服が増えて、他にも家にある全てが三人分になりました。

 窓から外を見ると、小さな花壇には植え替えた花が咲いています。

 今日、さっそく花壇を造ってみたんです。といっても小さなもので花壇というには物足りないかもしれません。でもイスラに見せてあげたくて造ってみました。

 この花壇を少しずつ大きくしていきましょう。この家を囲むくらいに大きな花壇です。

 ああ、でもその前にこの家をなんとかした方がいいかもしれませんね。

 元々この家は三人で暮らすには手狭です。物も増えたし、イスラも大きくなってきているし、今の広さでは窮屈です。

 今よりもっと働いて、家を大きく綺麗に建て直すのもいいかもしれません。

 どうしよう。したいことがたくさんあります。叶えたいことがたくさんあります。

 それは今まで思い浮かびもしなかった望みばかりです。

 そして今、その望み全てが叶えられると信じられるんです。


「ハウスト、イスラの様子はどうですか?」

「ようやくイスラが力のコントロールを覚えてきた。剣術のセンスもまずまずだが体術のセンスは目を見張るものがある」

「そうですか、それは楽しみですね。でもイスラが拗ねてましたよ、あなたを倒せないって」

「ああやはり倒そうとしていたか、いつも本気で俺に向かってくるんだ」

「え、そうなんですか?」

「頼もしいだろ?」


 ハウストが笑みを含んだ口調で言いました。

 イスラの未来を思い描くハウストにイタズラ心が浮かんでしまう。


「そんなこと言っていいんですか? あなたは魔王でイスラは勇者なのに」


 そう言うと、「あ」とハウストが顔を上げます。


「……そうだった。この場合は厄介だと思った方がいいのか?」

「さあ、どうでしょうね」


 難しい顔で言ったハウストに私はクスクスと笑って返す。

 するとハウストは目を瞬き、ふっと表情を柔らげる。


「ここの生活が楽しいからな。どうやら忘れていたようだ」


 お前のお陰だ、とハウストが私を見つめます。

 たったこれだけなのに私の頬は熱くなって、視線を彷徨わせてしまう。

 ハウストに必要とされ、信頼されていると思っていいのでしょうか。そうだとしたらとても嬉しい。


「ブレイラ、お前に頼みがある」

「なんでしょうか」

「明日、俺は久しぶりに魔界へ戻る」

「魔界に行くんですか……?」

「ああ、すぐに帰ってくるつもりだが、くれぐれも気を付けてくれ」


 思わぬ言葉に目を瞬く。

 そうでした、私こそ忘れていました。ハウストは魔族の王。

 イスラが誕生してからずっと身近にいてくれたので、私こそ実感がなかったようです。

 ハウストが統べる魔界とはどんな所なんでしょうか。

 同じ星にあって、世界は三界に別れている。人間界、魔界、精霊界、それぞれを三つの種族によって治められ、国として統治している。

 魔界は魔王が、精霊界は精霊王が、そして人間界だけは複数の諸国に分かれていて王侯貴族が統治しています。

 それぞれの種族が自分の国から出てくることはほとんどなく、他種族の干渉を受けずに生きています。

 そう考えると、ハウストと出会えて、こうして一緒に暮らしていることは奇跡に近いのですね。


「分かりました、任せてください」

「ありがとう。三日ほどで戻るつもりだが、しばらく魔界を空けていたからな……」


 大丈夫だと思うが……、と思案するハウスト。

 ハウストがどのように魔界を治めているのか知りませんが、きっと優しい魔王をしているのでしょう。


「いつか行ってみたいです。ハウストの魔界に」


 なにげなく口にしました。

 ハウストの治める三界の一つ、魔界。それがどんな場所で、どんな景色で、どんな魔族がいるのか皆目見当もつきません。

 でも、いつか見てみたい。行ってみたい。

 そう望む私にハウストが穏やかに言葉を返してくれる。


「そうだな。だが、お前は人間だろう」


 ………………。

 ……とても、とても穏やかに言葉は紡がれたのに、どうしてでしょうか。なぜか今、……拒絶された気がしました。

 ハウストの言葉は間違っていません。彼は魔族で私は人間。

 それは分かっていたことです。

 でも今、私を、人間の存在自体を否定された気がしたのです。


「どうした?」


 黙り込んだ私をハウストが心配そうに見ています。

 その優しい面差しに私はゆるゆると首を横に振る。

 そんな筈はありませんね。きっと私の勘違いですね。


「いいえ、何もありません。それより明日はいつ頃ここを出るんですか?」

「朝食を食べたら出るつもりだ」

「では、いつもより早めに用意しますね」

「ありがとう。しばらくお前の食事が食べられないのは残念だが、明日の朝食を楽しみにしている」

「はい、あなたのお好きな物をたくさん用意しておきますね」


 私がそう言うと、ハウストは嬉しそうに微笑んでくれました。

 ほら、いつも通りです。

 彼はいつも通り穏やかで、優しい人です。

 だから、さっきのはきっと私の勘違いですね。

 私は彼との夜のひと時を楽しむと、明日の為に朝食の下拵えを始めました。





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