第一章・勇者誕生。勇者のママは今日から魔王様と2
男を書庫に連れてくると、布や手当ての用品を準備する。
「大丈夫ですか? 怪我を見せてください」
顔を覗きこみ、息を飲んだ。
ランプの暖かな灯りに照らされた男の容貌は、今まで見たこともないほど美しい造りをしていました。
雨に濡れた少し長めの黒髪からはぽたぽたと水滴が落ち、形良い輪郭や高い鼻筋を伝っていく。黒髪の隙間から覗く鋭い鳶色の瞳はランプの灯りを受けて煌々と輝き、見つめているだけで魂を奪われてしまいそう。
彼は教会の宝物庫にある彫刻のようでした。それほどに人智を越えた造形美、造り物のように美しい男だったのです。
でも、美しいといってもそこに儚さなどありません。
彼の身長は平均的な大人の男よりも一回りも高く、その体躯も一目で鍛えていると分かる筋骨隆々のものでした。
まるで古代の戦神のような逞しい体躯、そして造形美。彼からは圧倒的な力強さとカリスマ性、他を魅了する雄々しい色気を纏っていたのです。
状況を忘れて見入ってしまいましたが、「どうした?」と問われてはっと我に返る。ぼんやりしている場合じゃない。
「す、すみませんっ。どうぞ、体を拭いてください」
「何を言っている。お前が先だろう」
大判の布で彼の体を拭こうとしましたが、その前に布を取り上げられてしまいました。
そして逆に私の体がすっぽりと布に包まれる。
「ダメです、あなたは怪我をしてるのにっ」
「いいや、お前が先だ。濡れたままでは風邪を引いてしまう」
彼は丁寧に私の体を拭くと、長い指でそっと髪を撫でてくれた。私の蜂蜜色の髪を一房摘まみ、申し訳なさそうな顔になる。
「せっかく美しい髪なのに汚れてしまったな。すまない」
さっき転んだので私の髪には泥がついていました。
泥を拭ってくれる優しい手に、胸が壊れそうなほどドキドキしている。
こんな気持ちは初めてでどうしていいか分かりません。
「こ、これくらい、たいしたこと……ないです」
「名は?」
「ブレイラと申します。……あなたは?」
「俺はハウストという」
「ハウスト、さん」
「ハウストで構わない」
「大人を呼びつけになんてできません」
「そんなことは関係ない。それにお前は俺を助けてくれた恩人のようなものだ」
穏やかな眼差しで見つめられ、私はますますどうしていいか分からなくなります。
頬が熱くなり、なぜか困ったような気持ちになって視線を彷徨わせてしまう。
「それより怪我をみせてください。早く手当てをしないと」
「気にしなくていい。この程度の傷なら一晩休めば治る」
「なにを馬鹿なことを言ってるんですか、治るわけないじゃないですか」
私は怪我をしている左腕を取って状態を確認する。
ハウストの鍛えられた二の腕には鋭利な刃物で切られたような傷がありました。痛々しいそれに唇を噛む。
「すぐに治療をします。少しだけ我慢してくださいね」
そう声を掛けてさっそく治療に取り掛かりました。
傷口を丁寧に拭き取り、出血を止めるために患部を圧迫して包帯を巻いていく。
手際よく治療する私にハウストが感心したように言う。
「大したものだ、ちゃんとした治療ができるんだな。子どもとは思えない」
「ありがとうございます、怪我の治療方法は本から学びました。ちょっとした薬も作れますよ。ここに薬草があれば痛み止めも作れたのですが、すみません」
「いや、これで充分だ。お前はとても賢い子どもだ。勤勉で、真面目で、なにより愛らしい」
「あ、愛ら……しいっ」
今度は耳まで熱くなった。
初めて言われた言葉に顔が真っ赤になる。
自慢じゃないですが今まで愛らしいなんて言われたことはありません。憎たらしいとか、可愛げがないとか、生意気だとか、そう怒られたり呆れられたりばかりでした。
「ば、ば、ばかなことをっ。それより治療が終わりました。早く寝てくださいっ」
私は誤魔化すように言ってハウストに持ち込んでいた毛布をかぶせる。
そんな私にハウストは喉奥で笑いましたが、毛布が一枚しかないことに気付いて眉を顰めた。
「ブレイラはどうするつもりだ?」
「私は一晩くらい大丈夫です」
「俺が子どもから毛布を奪って平気で眠れるような男に見えるのか?」
「たしかに私は子どもですがあなたは怪我人です」
頑なな私にハウストが困ったように苦笑した。
でも直ぐに優しい笑みを浮かべて私に手を伸ばす。
「ならば来い。今夜は一緒に寝よう」
「えっ、で、でも……」
ど、どうしよう。いきなり過ぎて驚きました。だって、誰かと一緒に眠るなんて初めてです。
躊躇っているとハウストに優しく腕を掴まれて引き寄せられる。
引き寄せられるまま近づくと、力強い腕にそっと抱き締められました。
「っ、…………」
言葉が、出てこない。
こんなふうに誰かに優しく抱き締められたのは初めてで、どうしていいか分からなくなる。
とても混乱しているはずなのに、どうしてでしょうか、今、とても安心している自分がいるのです。
心臓が壊れそうなほどドキドキしているのに、胸が温かなものでじんわりと満たされていく。馬鹿みたいに顔が熱くなっている。
どうしていいか分かりません。でも、離れたいとは思いません。
独りが当たり前なのに、独りでないこの状況を離し難いと思ってしまっているのです。
「ハウスト……」
小さく名を呼び、ハウストの逞しい胸板におずおずと両手を置きました。そしてそっと身を寄せる。
すると一緒の毛布に巻かれて抱き締められ、ハウストの懐にすっぽりと入ってしまう。
腕の中からちらりと彼を見上げる。
「あの、いいんですか?」
「今更だ。それに俺はこうしていたい」
ハウストはニコリと笑うと、私の蜂蜜色の髪を優しく撫で梳く。
「お前のような人間は好ましい」
「あ、ありがとうございます」
「お前は愛らしいな。後数年もすればきっと誰よりも賢く、美しい大人になるだろう。これは今晩の礼として受け取ってほしい」
そう言ってハウストが懐から出したのは一つの卵でした。
手の平におさまるサイズの卵。それは一見普通の卵のように見えますが、薄っすらと紫がかった色をしている。
「これは卵、ですよね?」
見慣れない色をした卵に首を傾げると、ハウストは小さく笑って私の頭を撫でた。
「ああ、卵だ。だが普通の卵ではない、勇者の卵だ」
「勇者!?」
思わず声を上げて卵を凝視してしまう。
これが勇者の卵!?
俄かに信じ難い。でもこんな珍しい卵は見たことがない。
それに書物で読んだことがあります。人間の王である勇者は卵から生まれてくると。
「ほ、本当に勇者の卵なんですか?」
「ああ、そうだ。無事に生まれてくるかどうか分からないが、もし生まれなかったとしても卵自体が値打ち物だ。生活に困ったら売るといい」
宝石よりも高く売れるぞ、とハウストが軽い口調で言う。
卵を見つめる私の頬をハウストは一撫でし、そのまま抱き締める腕に力が込められる。
「もう寝よう。疲れただろう? おやすみ、ブレイラ。良い夢を」
「お、おやすみなさい」
そう返すとハウストは笑みを深め、私を抱き締めたまま目を閉じる。
誰かに抱き締められたまま眠るなんて初めてです。
私は力強い腕の温かさにうっとりと目を細め、心地良い睡魔に身を委ねました。
翌朝。
一緒に眠ったはずのハウストはいませんでした。
嵐がみせた一夜の夢かと思いましたが、私の手の中には勇者の卵がありました。
「……夢じゃなかったんですね」
とても不思議な魅力をもった男でした。
その魅力は人間離れしていて、夢でしか出会えない男のように思えたのです。
でも、勇者の卵は私の手の中にある。
この卵が現実だと私に教えてくれる。
いつかまた会えるでしょうか。
この卵を持っていたら、会えるでしょうか。
会いたい。こんなに誰かに会いたいと思うなんて、私にとって初めてのことでした。
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