十二ノ環・墜落の麗人1
「うっ……ん」
重い瞼を開けると、薄暗い視界に見慣れぬ天井が映りました。
ふかふかのベッドのシーツに包まれて身じろぐ。
いったい私は……、はっとして起き上がる。
「ツっ……、うぅ」
瞬間、頭がぐらりとしました。
頬をぶたれた衝撃で今まで脳震盪を起こしていたのです。
でもいつまでも眠っていられません。急いでここから逃げ出さなければ。
ベッドから抜け出し、部屋の中を見回す。
「ここはいったい何処でしょうか」
そこは貴族の寝室のような広い部屋でした。調度品はどれも高価なものだと分かりますが、古い時代のもののように思えました。でも窓には鉄格子があります。それだけで自分の置かれた状況が分かるというもの。
窓へと近づき、そこに広がっている光景に驚愕しました。
空は薄紫を帯びた灰色の雲に覆われ、まるで常夜の空のように薄闇に包まれています。そして地上に広がるのは不気味な木々の森でした。
この景色、見たことがあります。
アロカサルの一件で転移した異界。冥界の浸食が進んでいた異界の景色だったのです。
「まさか、ここは冥界なんじゃ……」
嫌な予感に全身から血の気が引いていく。
「クウヤ、エンキ、いますか?」
呼びかけると、足元の影がごそりっと動く。
でも異変に気が付きました。いつもならすぐに姿を見せてくれるのです。
いえ、それだけではありません。本来ならヘルメスが私を捕らえることなど不可能だった筈です。
しかしクウヤとエンキは姿を見せず、「……クゥ~ン」と力無い鳴き声が聞こえてくる。
少しして二頭は顔だけ出してくれましたが、その姿に息を飲みました。目は充血し、呼吸が荒くなっているのです。
「まさか、あなた達は毒に……」
冥界の花の香りは魔狼には毒だった筈です。
膝をつき、顔を出してくれたクウヤとエンキに手を伸ばす。
二頭は力無く鳴きながらも、大丈夫と主張するように私の手に鼻を寄せてくれました。
「大丈夫ですか? 顔を見せてくれてありがとうございます。でもやっぱり出てきてはいけません。動くと毒が回ってしまいます」
「クゥン……」
「私は大丈夫です。だから、ね?」
説得すると、渋々ながらも二頭は引っ込んでくれました。
きっと顔を見せるだけでも辛かったはず。クウヤとエンキを早く魔界で治療しなければ危険です。
「とにかく今はここを出ましょう」
クウヤとエンキを頼ることはできません。
長いローブの裾をたくし上げて扉に向かう。
幸いにも扉の鍵が開いています。罠か、油断か……。
でも今は迷っている暇はありません。たとえ罠でも部屋に閉じこもっているより可能性はあります。
静かに扉を開けて部屋の外を確認する。回廊に人影はなく、逃げるなら今しかありません。
恐怖と不安に足が震えます。怖いです。捕まったらと思うと足が竦みそうになる。
でも絶対にここから逃げます。私はハウストとイスラのところに帰りたいのです。
祈るような気持ちで部屋から一歩踏み出しました。
足音をたてないように気を付けながら回廊を進みます。
不自然なほど人はいませんでした。やはり罠なのか、それとも本当に人がいないだけなのか……。
……うぅ……、うー……。
微かに聞こえてきた声にはっとしました。
この声は廃人になったダビドの呻き声です。
耳を澄まさなければ分からないほど小さな声ですが、たしかに近くにいるのです。
逃げるならダビド王も一緒です。彼を廃人のままここに残すわけにはいきません。
「この辺りの部屋でしょうか……」
回廊を見回し、一つ一つの扉に近づいて耳を澄ませます。
四つ目の扉の前までくるとダビド王の呻き声が聞こえてきました。
「ここですね」
緊張しながらも扉を開けると中にはダビド王がいました。
先ほどとは違い、部屋の隅に縮こまるようにして蹲っています。
虚ろな瞳は虚空を見つめ、口から零れる呻き声は意味をなさない。
「ダビド王、しっかりしてくださいっ。あなたは聞かなければならない話しがたくさんあります!」
必死に呼びかけました。
無駄かもしれません。でも諦めたくありません。ゴルゴスとアイオナが命がけで愛した王です。
「あぅ……あー……」
「お願いですっ、お願いですから正気に戻ってください!」
肩を掴んで何度も揺さぶりました。
しかし頼りなく頭が揺れるだけで、まるで人形のようにされるがままです。
「どうしてこんな事にっ! ……っ、あなたは悔しくないのですか! ゴルゴスはずっとあなたを信じていました! アイオナは最期まであなたを愛していました! あなたは二人の仇を討ちたいと思わないのですか!!」
叫ぶように訴えました。
ゴルゴスとアイオナの最期の姿が目に焼き付いています。
何も知らない六ノ国の難民は祖国が消滅したのはゴルゴスの所為だと思っています。でもそうではなく、ゴルゴスは六ノ国を守る為に戦っていたのです。その真実を、誰が信じなくても王だけは知っていなくてはなりません。そうでなければゴルゴスもアイオナもあまりにも哀れではないですか。
「せめてゴルゴスとアイオナのことを思い出してください! お願いですからっ……!」
「――――その男になにを話しかけても無駄ですよ? ずっと夢を見ていると言ったではないですか」
「ヘルメス!」
振り向くとヘルメスが部屋の入口に立っていました。
ヘルメスは十数人もの部下を従え、私を威圧的に見下ろしています。
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