Ⅰ・初めての海と会談と5
翌朝。
雲一つない青空が広がり、今日も太陽に照らされた海がキラキラと輝いています。
心地良い朝を迎えた私たちは朝食を終えると、礼装に着替える時間でした。
今日から魔王ハウストと精霊王フェルベオの会談が始まるのです。
もちろん私とイスラは参加しないのですが、先代魔王討伐ではお世話になったので挨拶をしなくてはなりません。
「ブレイラ様、両腕をあげてください。右手はこちらへ、お顔は鏡の方へお願いします」
「は、はい」
言われた通りに体を動かすと、着替えを手伝ってくれている召使いの女性たちが手早く礼装を整えていく。
三人の召使いによって着せられた礼装に困惑が隠し切れません。
すべらかで光沢のある絹で織られた翡翠色の衣は、腰から裾にかけて流れるような曲線を描き、裾を引きずるほどに長いものでした。
首回りもゆったりした作りで、袖の生地は肘から袖口にかけてドレープ状に広がっています。潮風を心地良く感じる柔らかさと同時に優雅さと気品も兼ね備えた礼装でした。
「やっぱり落ち着きませんね……」
公式の場所へ行くので礼装が必要なことは分かっていますが、やっぱりこういった装いは慣れないのです。
性別を感じさせない中性的な作りをしているのがせめてもの救いでした。
「翡翠色がブレイラ様にはお似合いですね、とてもお綺麗です。では最後に真珠をつけさせていただきます」
「えっ、真珠もつけるんですか?」
「はい。魔王様がブレイラ様へ本日用にとご用意されました」
そう言って召使いの女性が私の首に真珠の首飾りを着けてくれました。
贈られた真珠は一つ一つが光を放っているかのように輝いていて、まさに海の宝石というに相応しいものです。
「ブレイラ様のお肌は透明感がありますので真珠がよく合います。お素敵です」
「こんな高価な物を身に着けるなんて……」
もし落としたり傷付けたりしたらと思うと怖いくらいです。
ハウストの側にいるようになってから上等な品々を目にする機会が増えていましたが、かといって見慣れるということはありません。ましてや自分が身に着けるとなると、戸惑いしかないくらいです。
「以上で礼装のお着替えが終わりました。お疲れさまでした」
「ありがとうございます……」
「隣の部屋で魔王様とイスラ様がお待ちです」
召使いの女性に促されますが、気が重くて一歩が出ません。
「……どうしてもこの服でないと駄目ですか?」
「本日の会談は精霊王様との公式な場ですから」
「ですよね……」
「それに、ブレイラ様の礼装は魔王様の礼装と対になるように織られたものです。魔王様の隣に並び立たれる方に相応しいようにと作られました。ですので、是非それでご参加ください」
「そうなんですか?!」
それは知りませんでした。
ハウストの礼装と対になっていると思うと、今まで息苦しく感じていた礼装が悪くないものに見えてきます。
重かった気持ちも一気に浮上して、我ながら単純すぎておかしくなりました。
「では、こちらへどうぞ」
改めて隣室へ連れて行かれます。
扉が開けられると、ずっと待ってくれていたイスラが駆け寄ってきました。
「ブレイラ!」
「お待たせしました。……イスラ?」
いつもなら抱き付いてくるのに、イスラは手前で立ち止まってしまいました。
困った様子で両手を上げたり下げたりしています。
「どうしました?」
「……ブレイラ、きれいにしてるから」
私の礼装をちらちら見ながら言いました。
そのいじらしい言葉に胸が温かくなります。
私は長い裾を手で整えて膝をつき、イスラに向かって両手を広げました。
「ありがとうございます、気を使ってくれたんですね。でもいいですよ?」
「でも……」
「来てくれないと私が寂しいんです。だからどうぞ」
「うん!」
イスラが大きく頷いて、ようやく抱き付いてくれました。
ぎゅっと抱き締め返すと嬉しそうにはにかんでくれます。
「ブレイラ、きれいにしてる。きれいだ」
「ありがとうございます。あなたもかっこいいですよ?」
褒めると今度は照れ臭そうにもじもじし始めました。
今日はイスラも礼装を用意されて、貴族の子息のような畏まった装いになっています。
いつもは襟足がぴょんと外に跳ねている髪も、今日ばかりはきちんと整えられていました。
いい子いい子とイスラの頭を撫でると、立ち上がってハウストに向き直ります。
「ハウスト、私とイスラの礼装まで用意していただいてありがとうございました」
「当然のことだ。それによく似合っている」
ハウストはゆっくり歩いてくると、私を見て満足そうに微笑む。
「慣れないので恥ずかしいです」
「そんな事はない。イスラに先に言われてしまったが、とても綺麗だ」
「ハウスト……」
恥ずかしくて頬が熱くなりました。
ハウストは私のことをよく綺麗だと言って褒めてくれます。でも私からすればハウストの方がずっと美しくてかっこいいです。黒を基調にした礼装のハウストもとても素敵でした。
「これは喜んでくれたか?」
ふとハウストの指が真珠の首飾りに触れました。
首飾りを見下ろし、困ったように視線を彷徨わせてしまう。
ハウストからの贈り物は嬉しいのですが、やっぱり気後れしてしまうのです。
「ありがとうございます、でもびっくりしてしまって……。……も、もちろん嬉しかったですがっ!」
慌てて言い直した私にハウストが苦笑しました。
「そうか……。では贈る理由が必要か?」
「……できれば、お願いします」
おずおずとお願いした私に、「そんな顔するな」とハウストが頬に慰めるような口付けをしてくれました。
「今日の会談はこの海辺の城で開かれる。せっかく海が近いんだ、真珠を身に着けて場を華やげてくれ」
「それでしたら……。改めてありがとうございます」
安心して礼を言った私にハウストも安堵した顔になりました。
そんなハウストに居た堪れない気持ちになります。
「ごめんなさい、でも本当に嬉しいんですっ」
「分かっている。びっくりしてしまうんだな?」
「はい……」
素直に頷くとハウストは鷹揚に笑いました。
「ハハハッ、お前に贈り物をするのは難しいな」
「そ、そんなことは……」
どちらかというと難しいというより面倒臭いという方が正しいんじゃないかと、自分でも思います。
私は特に欲しい物があるわけでもないので、ハウストから贈られる物ならどんな物でも嬉しいです。でも、彼から贈られる品々は、……その、えっと、高価すぎて気軽に受け取れる物ではないのです。
彼にとっては当たり前の感覚でも、私にとってはそうではありません。彼が贈ってくれる物は、人間界に一人で暮らしていた頃の私が一生遊んで暮らせるほど価値のある物ばかりなんです。この真珠の首飾りもそうです。
「では行こう。そろそろ精霊王も到着する頃だ」
「はい」
背中にハウストの手が添えられて促されました。
イスラと手を繋ぎ、ハウストに連れられるまま広間へ続く長い回廊を歩きます。
慣れない礼装と精霊王との対面に緊張してしまいます。
歩きながらも硬くなっている私にハウストが笑いかけてきました。
「初めて会う相手ではないだろう。普段通りにしていればいい」
「そ、そんな訳にはいきませんっ。この前は非常事態だったんですから、今とまったく違います!」
「そういうものか?」
「そういうものです!」
強く言い返した私にハウストは目を瞬く。
やっぱりハウストは何も分かってませんね。でも仕方ないことです、ハウストは魔王になるべくして生まれてきた魔族で、普通の人間の私とは何もかも違っていますから。
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