第四章・ごめんなさい、初恋なので勘違いしたのです。私は最初から独りでしたね。6

「もう気付かれたなんてっ」


 咄嗟に駆けだしました。

 背中の女性を落とさないよう慎重に、でも急いで夜の森を走ります。

 もし見つかったら、私も女性の亡骸もただでは済まないでしょう。せめて、女性の亡骸を静かに眠れる場所に葬るまでは捕まるわけにはいきません。

 夜の闇と木陰に隠れながら必死で逃げます。

 しかし大勢の追っ手によって徐々に包囲網を狭められ、気が付けば完全に囲まれていました。そして。


「見つけたぞ! ここだ、捕まえろ!!」


 全身から血の気が引きました。

 とうとう見つかったのです。

 木陰から飛びだしてきた衛兵に前を塞がれ、引き返そうとして別の衛兵が背後に現われる。

 気が付けば松明を持った衛兵たちに囲まれていました。


「手間取らせやがって! これ以上逃げられると思うな!」

「領主様がお怒りだ! 貴様っ、自分が何をしでかしたか分かっているのか!?」

「こ、こないでください!」


 衛兵たちに包囲されて完全に逃げ場をなくす。

 そんな彼らの後ろからバイロンがゆっくりとした足取りで前に出てきました。


「ハハハッ、相変わらず強気なメス猫だ」


 バイロンは笑いながらそう言うと、私が背負っている女性をちらりと見る。


「ああ、死んだのか。まあいい魔族どもには病死したと伝えておけばいい。見た目の怪我さえ治っていれば構わない」

「っ、なんてことを。この女性がどんな気持ちでいたか……!」

「魔族の気持ちなど知らんわ」


 バイロンが吐き捨て、私を見てニヤリと笑う。


「貴様こそ、自分が何をしたのか分かっているのか? 儂の命令一つで貴様は大罪人だ」

「それがなんだっていうんです!」

「強気じゃないか。儂は助けてやろうと言っているんだ。メス猫はメス猫らしく儂の下で鳴いていろ。儂に飼われるというなら、うんと可愛がってやろうじゃないか」

「冗談じゃありません! あなたに飼われるなんて絶対にお断りです!」

「生意気なことを。強気な美人は嫌いではないが、生意気も過ぎるとお仕置きが必要だ。どちらが主人か躾ねばならないからな」


 バイロンはそう言うと、引き連れた衛兵たちに命令する。


「捕まえろ、多少手荒な真似をしても構わん。なんなら少し遊んでやるといい、自分の立場というのを思い知らせてやれ」


 この命令に今まで整然としていた衛兵たちの間に本能的な攻撃性と欲望が滲みだす。

 衛兵たちにじりじりと距離を詰められ、私は背負っていた女性を抱き締めました。

 こんな男達に、この女性は指一本触れさせたくありません。


「馬鹿な奴だ。大人しくバイロン様に従っていればいいものを」

「まったくだ。ハハッ、今からでもバイロン様に媚びたらどうだ? 上手におしゃぶりできれば許してもらえるかもしれないぞ?」


 男達の下品な笑い声が森に響く。

 許し難い侮辱に体がワナワナと震えてきます。


「黙りなさい! あなた達こそ領主の立派な飼い犬で感心しますね!」

「貴様っ、自分の立場が分かってるのか!?」

「捕まえろ! 思い知らせてやれ!!」


 衛兵に腕を掴まれ、抱き締めていた女性の亡骸が奪われそうになる。


「やめてください! 駄目ですっ、離しなさい!!」


 私は必死に女性の亡骸にしがみつく。

 強引に引き離されそうになっても、蹴られても、殴られても、絶対に彼女は離しません。


「ちっ、しつこいやつだ! いい加減に離せ!」

「嫌です!! うぐっ」


 地面に叩きつけられ、背中を踏まれました。

 そのまま一人の衛兵が伸し掛かってきました。

 地面に強い力で押さえつけられ、幾人もの手が私に伸びてくる。

 あまりの恐怖に全身から血の気が引いていく。


「や、やめてくださいっ! いやですっ……!」


 無我夢中で手足を振り回す。

 抵抗する私に衛兵が拳を振りあげた時。


「うわああああ!!」

「魔狼だ! 魔狼が出たぞ!!」


 衛兵から悲鳴があがりました。

 そして巨大な魔狼が私を押さえつけていた衛兵を突き飛ばす。それだけじゃない、何十頭もの魔狼が群れとなって衛兵たちを襲撃しました。

 突然のことに衛兵たちは混乱し、森のあちらこちらから悲鳴や怒号があがる。


「どうして魔狼が……」


 目の前の事態に驚愕しました。

 でもぼんやりしている暇はありません。この混乱に乗じて逃げることができます。

 しかし女性を抱えて逃げようとしたのをバイロンに気付かれ、剣を抜いて襲いかかってきました。


「くそっ、逃がすか!! 貴様っ、いったい何をした!?」

「ぅっ……!」


 女性の亡骸に覆い被さり、ぎゅっと目を閉じて身を硬くする。


「――――貴様こそ、俺の同胞に何をした」


 不意に、男の低い声がしました。

 バイロンの背後、外套を夜風に靡かせて長身の男が立っています。

 その男の姿に目を見開く。


「ハウスト……!」


 声が震えました。

 そう、ハウストでした。

 ハウストは魔狼を従え、底知れぬ怒りを宿した目でバイロンを見下ろしていたのです。

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