Ⅵ・船長と幼馴染と5
その日の夜。
ハウストは夜会を早く切り上げて部屋に戻ってきました。
かといって休みに来たわけではありません。今晩も仕事が立て込んでいるようで、彼は束の間の休憩に私の顔を見にきただけです。
「……お忙しそうですね。どうぞ」
「ありがとう」
私が淹れたハーブティーをハウストが一口飲む。
紅茶専門の給仕係りに淹れてもらえばもっと美味しい紅茶が飲めるのに、こうして二人で過ごす時間は私が淹れた紅茶を飲みたがってくれるのです。
「お前が淹れてくれるお茶はほっとする」
「ありがとうございます。お疲れでしょう?」
「大丈夫だ」
ハウストはそう言って、また一口飲みました。
広いソファの端にゆったりと腰掛けたハウストと、その側に立って彼を見守るだけの私。また沈黙が落ちました。
いつもなら隣に座り、他愛ない会話を交わします。途中で彼に凭れかかってみたり寄り添ってみたり、時折口付けなんかも交わして、二人だけの時間を過ごすのです。
でも、今はそんな空気とほど遠い。当然ですよね、私とハウストのぎくしゃくした状態は継続したままです。
それでも、こうしてハウストが束の間の休憩をここで過ごすのも、私がそれを迎え入れるのも、互いに顔を見たい、どんな些細なことでもいいから声が聞きたい、そういう気持ちがあるからです。
本当は私が何ごともなかったように振る舞い、いつもと同じようにハウストに接すれば、彼も何ごともなかったように受けとめてくれるでしょう。その方が楽なことも分かっています。
しかしそれは出来ません。
ハウストにあの言葉を訂正してほしい。誰に侮辱されても構いませんが、ハウストだけは駄目です。想いを信じてもらえないなんて、あまりにも悲しすぎます。
でも話しあいに失敗して、激しく言い合うような、睨みあうような喧嘩はしたくありません。
だからぎくしゃくして、黙ったままになってしまう。互いにそう思っているのですから、私たちは二人揃って不器用で臆病なんですね。
ふと、ハウストが何気なさを装って聞いてきます。
「……今日、転んだそうだな」
「お耳に入ってしまいましたか、お恥ずかしい」
「大丈夫だったか?」
「当たり前です。転んだだけなんですから」
本当はエルマリスに飛びかかられたのですが、そんなこと言えるわけがありません。
何も言えないままでいると、やっぱり会話は続かず、ぎくしゃくしたまま沈黙が落ちてしまいました。
でも今度は私から話しかけます。
「今日は侍女の方々とお茶会のようなものをしました」
「そうなのか?」
「はい、ここは貿易船が多く立ち寄りますから、異国の紅茶やお菓子やフルーツを皆でいただいたんです」
真相は言えませんが、侍女の方々とのお茶会は楽しいものでした。
最初は恐縮していた侍女も甘くておいしいお菓子を囲んでお話するうちに、ちょっとした世間話も一緒に楽しんでくれるようになりました。
誰かとテーブルを囲んだのは久しぶりで嬉しかったです。
昼間のことを思い出すと無意識に頬が綻びました。
「楽しかったようだな」
「はい、とても。……あ、すみません! あなたは政務中でしたのにっ……」
「気にするな。お前は自由にしてくれて構わないんだ」
「しかし、今は政務以外のお仕事も立て込んでいるようですよね?」
「やはり気付かれていたか」
ハウストはそう言うと、側に立っている私を見上げました。
彼は少し迷った素振りを見せましたが、ゆっくり手を伸ばして私の手をそっと握り締めます。
「……お前が怒っているのは分かっているが、隣に来てくれないか?」
「はい……」
小さく頷くとハウストがほっとしたのが分かりました。
握られた手を引かれ、いつもの私なら自分から座っているはずのハウストの隣へ誘導されます。
促されるまま座ると、お尻が柔らかなソファに沈み、ローブの長い裾がふわりと床に広がる。さっきよりもずっとハウストとの距離が近くなりました。
いつもなら彼の逞しい腕に凭れかかっています。
でも今はそれができなくて、少しだけ居心地が悪い。しかし手は互いに握ったままですから、おかしなものですね。
「いろいろ言いたいことも聞きたいこともあるだろうが、明日が終わっても、変わらず俺の側にいてほしい」
「ハウスト……」
ハウストから紡がれた言葉に目を伏せました。
明日は海賊が処刑される日です。
ふと考えてしまいます。明日が終わった時、ハウストと私はどうなっているのでしょうか。
彼は私を愛してくれたままでしょうか。明日も、変わらずに今のように『俺の側にいてくれ』と言ってくれるでしょうか。
「当たり前です。私はあなたを愛しています。どんな時も信じています。だから、あなたも私を信じてください」
「…………」
ハウストは黙りこんでしまいました。
あなたは私を愛していると言うのに、私からの愛しているを信じてくれないのですね。私はそれが悲しい。
愚かですよね、私もあなたも。だって私は彼を愛していて、彼も私を愛してくれている。こんなに通じ合っているのに、今それが伝わっていないのですから。
「……ハウスト、聞いてください。見ていないことを信じろというのも無理な話しかもしれませんが、私は海賊船では客人として扱われていました。あなたが心配してくれたことは何一つ起こっていません。あなた以外に抱かれるくらいなら死んだ方がマシです」
きっぱり言い放った私をハウストがじっと見つめます。
信じてほしいと見つめ返すと、居た堪れなげに目を逸らされました。そして。
「……それは分かっている」
「えっ」
ハウストの答えに目を丸めました。
ハウストの怒りの原因の大部分はこれだと思っていたのです。
「ここで抱いた時に分かった」
「ええっ? それじゃあなんでっ……」
「お前が海賊どもに関心を示したからだ」
ハウストはそう言うと、握っている私の手に唇を寄せました。
そして困ったように私を見つめます。
「俺は誰かの心を縛れると思っているような、傲慢な男ではない」
「それはよく存じています」
「だがブレイラ、お前は嫌がるかもしれないが……」
そこで言葉を切ると、ハウストは私の胸、心臓のあたりに手を置きました。
心臓がトクトク鼓動を鳴らす。いつもより鼓動が早いのは、あなたがいるからですね。
ハウストが私の胸に手を当てて真摯に言葉を紡ぎます。
「ここに住むのは、俺一人でなくては困る」
ここと示された場所は、誰もが心があると考える場所でした。
心臓がぎゅっと締め付けられる。
私がそっとハウストの手に手を重ねると、強く握りしめられました。
「だから、お前はもう海賊に関わらないでくれ。頼むからっ……」
まるで乞うように願われました。
私は唇を噛み締める。胸が痛いです。
嬉しくて、でも切なくて、胸が締め付けられるのです。
私は微かな笑みを浮かべ、彼に正面から凭れかかりました。額を彼の逞しい胸板に押し付ける。
初めてハウストに抱き締められた子どもの頃、大きなあなたを古代の戦神のようだと思ったのを覚えています。それは今も変わりません。変わったのは、今、誰よりも近くにいてくれる存在になったということ。
「私は幸せ者ですね。あなたにこんなに愛してもらえて」
「ブレイラ」
私の名前を口にし、ハウストがやんわりと私を抱きしめてくれました。
抱き締めてくれる腕が心地良くて、切なさに泣きたくなります。
だって明日、私はあなたを傷付けます。
きっとハウストは私を許さないでしょう。
「ハウスト、お願いがあります」
「なんだ」
「口付けてください」
口付けを願った私にハウストは驚いた顔をし、次には破顔する。
頬に彼の大きな手が添えられ、見上げると目が合いました。私の顔も綻びます。
そして唇がゆっくりと重なりました。
優しい口付けは私の心を温かく満たしていきます。
堪らなくなってハウストの首に両腕を回して抱き付きました。
「……んっ、ハウスト」
「ブレイラ……」
腰を抱き寄せられ、後頭部を手で押さえられて口付けが深まっていく。
そのままソファの背凭れに体を押し付けられ、ローブが乱されていきます。
ハウストの口付けが唇から顎、首筋へと降りていく。ローブの裾が捲りあげられ、ハウストの大きな手が太腿を撫でる。しかし、ぴたりっと手が止まりました。
「ハウスト?」
不思議に思って顔をあげると、ハウストはなんとも難しい顔で唇を引き結んでいます。
まるで何かを耐えるようなそれに、「あ」と声を上げる。
夢中になって忘れていましたが、ハウストは仕事の合間に来てくれていたのでした。
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