十五ノ環・環の婚礼5

「やはり来たか」

「これは精霊王、ご無事でなにより」

「それは嫌味か?」

「いえいえ、冥王相手の戦いで怪我だけで済むなんて、やはり俺たちの王様だ」

「僕は不快だ。気に入らん」


 フェルベオはそっぽ向いたが、イスラに視線を戻す。

 イスラは興味深そうにハウストとゼロスの戦いを見上げていた。

 幼くとも勇者である。今、目の前で繰り広げられている戦闘がどれほどのものか分かっているのだ。


「あいつ、めいおうっていうのか」

「ゼロスだ」

「ゼロス。ふーん、わるいやつなのか?」

「そうだな。六ノ国に突っ込んだ世界の王様だ」

「それじゃあ、わるいやつだな」


 一人納得したイスラに、まあ間違ってないけどとジェノキスが軽く肩を竦める。

 そしてフェルベオの目配せに苦笑して頷いた。今はイスラをこの場から遠ざけなければならない。戦闘が派手になればなるほどブレイラがここへ来てしまう可能性が高くなるからだ。


「というわけで帰るぞ? 冥王は魔王に任せとけばいいから」

「やだ。オレもたたかう」

「おいおい、ブレイラを探すのが最優先だろ? 戦って怪我でもしたらブレイラが悲しむんじゃないのか?」

「むっ……」


 イスラは面白くなさそうな顔をし、ちらちらと戦闘中のハウストとゼロスを見る。

 目の前で繰り広げられる高レベルの戦闘を見物していたい。


「……すこしだけ」

「だめだ。それに明日もブレイラ探すんだろ? 寝坊したらどうするんだ」

「むむっ……。ねぼうはやだ」

「だろ? さあ帰るぞ。帰って早く寝ような」


 ジェノキスの説得にイスラは渋々頷いた。

 ようやくここから離れようとしたイスラだが。

 ドゴオオオオン!!!!

 見るとゼロスが地面に叩きつけられ、ハウストがゆっくりと地上に降りたところだった。

 一瞬の隙をついたハウストの強烈な蹴りがゼロスに命中し、上空から地上へ叩きつけたのである。

 ゼロスの外見は子どもだがハウストの攻撃は情け容赦ない。情けを見せれば命取りになるからだ。


「そろそろ覚悟を決めろ」

「っ、うるさい! まだやられたわけじゃないっ……」

「次で決める。お前を始末した後、ラマダを消滅させる。それが冥界と歴代冥王へのせめてもの弔いだ」

「かってなことをっ……」


 ゼロスは憎悪のままに吐き捨てた。

 三界の王である魔王、勇者、精霊王、その三人を見据える目つきは底無しの憎悪に満ちたものだ。

 しかし憎悪を受けながらも、三界の王が動じることも躊躇うこともない。


「勝手なのは承知だ」


 ハウストは淡々とした口調で言うと、大剣を出現させて構えた。

 そこに魔力を集中させる。

 一刀で決める。それがせめてもの情だ。

 ハウストが大剣の切っ先をゼロスの首元に向けた、その時。


「何してるんですか?!」


 響いた声に皆の動きが止まる。

 皆が聞き間違えるはずがない声。そう、ブレイラだ。

 ブレイラは驚愕してハウストとゼロスを見ている。


「いったい何があったんですか?!」


 ブレイラが二人の元に駆け出した。

 今のブレイラは二人しか見ていない。

 しかし、ブレイラの姿を目にしたイスラはパァッと顔を輝かせた。


「ブレイラー!!」


 イスラが駆け出した。

 ジェノキスとフェルベオが制止しようとするが、それよりも早くブレイラの元へ走る。

 やっと、やっとブレイラに会えたのだ。

 ぎゅっと抱っこしてほしい、いい子いい子と頭を撫でてほしい、ちゅーもしてほしい。二人で帰ったら、絵本を読んでもらって、おいしいお菓子を作ってもらって、一緒のベッドで眠るのだ。


「ブレイラ! ブレイラ!」


 イスラは無我夢中で走った。

 ブレイラしか見えていない。でもそれは仕方ないのだ。ずっとブレイラを探していて、冥界まで来てしまったくらいなのだから。ブレイラだって「会いたかったですよ」と優しく笑って抱き締めてくれるはず。

 イスラがブレイラの前に躍り出た。だが。


「ブレイラ! えっ……」


 抱きつこうとしたイスラの小さな手が空振りした。

 ブレイラがイスラの横を通り過ぎたのだ。

 イスラの頭の中が真っ白になる。

 今なにが起きたのか理解できなかった。

 でも、ブレイラの影を追うように恐る恐る背後を振り返り、愕然とする。


「ゼロス! ゼロス、しっかりしてください! どうしてこんな事にっ」


 ブレイラはゼロスの小さな体を抱きしめていた。

 イスラを抱っこするはずの両腕で、ゼロスを強く抱きしめ、傷だらけの顔を優しく撫でているのだ。


「ゼロス、ずっと心配していたんです」


 ブレイラがゼロスに向かって優しく言った。

 なにが何だか分からなかった。

 イスラの全身から血の気が引いた。

 体が強張って、熱くなって、次には急激に冷えていくような感覚。

 怒りとか、悲しいとか、寂しいとか、そんなことよく分からなくなっていく。

 ただ、ただ自分の中が空っぽになっていったのだ。


◆◆◆◆◆◆





 嘘みたいな光景でした。

 家を飛び出していったゼロスを追いかけ、私も夜の山に入りました。

 慣れた山なのに恐ろしいほどの暗闇に満ちた山。

 時折爆発音が遠くから聞こえてきて、その度にびくりっと肩が跳ねてしまう。

 情けないですね。怖いのです。でもゼロスを見つけるまでは帰りません。

 私は爆発音がする方向に向かって足を進めます。

 近づきたくないけれど、可能性があるとすればそこしかないのです。

 暗い山道を歩き、不自然に開けた空間へ出ました。

 木々が根こそぎ消滅したような、ぽっかりと空いた場所。

 でも、その真ん中で繰り広げられていた光景に息を飲む。

 それは信じ難く、信じたくなく、嘘みたいな光景でした。


「何してるんですか?!」


 声を張り上げ、そこに向かって駆け出しました。

 だって、私の恋した男がゼロスを殺そうとしていたのです。

 二人に向かって走ります。途中で黒髪の男の子が私の名前を呼びました。見知らぬ男の子です。

 男の子は私の名前を呼びながら嬉しそうに駆け寄ってきてくれます。可愛いですね、でもごめんなさい、今は立ち止まっている余裕はないのです。


「ゼロス! ゼロス、しっかりしてください! どうしてこんな事にっ」


 ゼロスの小さな体を抱き締めました。

 可哀そうに、顔も体も傷だらけじゃないですか。痛ましさに胸が痛くなります。

 ゼロスの傷ついた頬を撫で、「大丈夫ですか?」と声を掛ける。

 こくりと頷いてくれたゼロスに少しだけほっとしました。


「ゼロス、ずっと心配していたんです」


 撫でながら言うとゼロスの大きな瞳に涙がたまる。

 ぎゅっと抱き着いてきたゼロスを抱きしめ返しました。

「ごめんなさいっ……」

「もう勝手にいなくならないでくださいね」

「わかった」

「いい子ですね」


 いい子いい子と撫でると、ゼロスがはにかんで頷く。

 それに安堵し、つぎに男を睨みつけました。


「どういうつもりですか! どうしてあなたがっ……」


 言葉が続けられません。

 男が手に持っている大剣はたしかにゼロスに向けられていたのです。

 何がなんだか分かりません。

 男はいったい何者なんでしょうか。どうしてゼロスを殺そうとしていたのでしょうか。男はゼロスを知っていたのでしょうか。ゼロスを知っていて私と会ったのでしょうか。頭がぐちゃぐちゃになっていく。


「あなた、私を、騙していたんですか……?」


 声が震えました。

 私は勘違いしていたのでしょうか。私が男に恋したように、男も私に恋してくれているのだと。


「そうじゃない! ブレイラ、落ち着け。その子どもは」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!


 ふと、不気味な地鳴りがしました。

 周囲がピリピリとした緊張感で張り詰めだします。


「な、なんですかこれ……」


 恐怖すら感じる揺れです。

 ゼロスを抱きしめる腕に力を籠めましたが、その時。


「……ブレイラ」


 背後から名前を呼ばれました。

 振り向くと、そこには黒髪の子どもが立っていました。

 ゼロスと同じ年頃でしょうか。端正で利発そうな顔立ちです。

 でも今は大粒の涙をぽろぽろ零しています。憤怒を纏いながらも、紫色の大きな瞳には深い悲しみを宿して泣いている。


「どうしました? どうして泣いているのですか?」


 どうして怒っているのでしょうか。

 どうして悲しんでいるのでしょうか。


「……ブレイラ」

「あなたも、私を知ってくれているのですね……」


 こんな幼い子どもまで私を知っているのに、私はこの子どもを思い出せません。

 きっと忘れてしまっているのでしょう。

 せっかく私のことを知っているのに、私は何も思い出せなくて、申し訳なさでいっぱいになります。


「……ブレイラ、オレのこと、ぅっ、しんぱいだったか?」


 男の子が嗚咽交じりに言いました。

 大粒の涙を零しながら私を見つめて言葉を続けます。


「……オ、オレと、うぅっ、あいたかったか?」

「あなた……」


 どうしてでしょうか。胸が、ひどく痛い。

 ぎりぎりと痛んで、苦しくて、引き裂かれそうです。

 男の子の名前すら思い出せないのに、私まで悲しくなります。この男の子が悲しいと、なぜだか私も悲しくなる。

 体のずっと奥の方で、ドンドンと胸を叩かれているような、何かが叫んでいるような気がするのです。

 泣かないでください。

 そんな悲しい顔をしないでください。

 触れたくて、ゼロスを抱き締めたままもう片方の手で男の子へと手を伸ばしました。

 名前も知らない男の子です。でも、ひどく心を揺さぶられる。


「あなたは、わたしの」

「ブレイラ」


 ふいに、伸ばそうとした手がゼロスに掴まれました。

「ゼロス?」振り返ると、ぎゅっと抱き着かれる。


「いやだ。かえろう? ふたりで。ブレイラ、かえろう」


 寂しそうにゼロスが言いました。

 慰めたくて、男の子へ向かっていた手をぴたりと止める。引き寄せられるようにゼロスへと戻しました。

 優しく撫でるとゼロスが嬉しそうに目を細めます。


「ブレイラ、いっしょにかえろう」


 ゼロスは満足そうに笑むと、泣いている男の子を見ました。


「ブレイラは、ぼくとやくそくしたんだ。ずっといっしょにいようって」

「……おまえが、ブレイラを、とったのか?」


 男の子が震える声で言いました。

 瞳は爛々とした怒りを宿し、途方もない憤怒で空気が揺らめきだす。

 そして。


「ブレイラをかえせえええええええ!!!!!!」


 男の子がゼロスに殴り掛かりました。

 ゼロスが私の腕を振り解いて迎え撃つ。


「うわっ!!」


 勢いよく振り解かれて尻もちをつきました。

 慌ててゼロスを追おうとしましたが、背後から腕を掴まれて男に引き止められます。


「だめだ。今近づくと巻き込まれるぞ」

「離してください! 二人を止めないとっ」


 こうしている間にも二人の子どもが激しく殴り合っています。

 ドッ! ゴッ! ガッ!!

 一打一打が重く、殴打しあうたびに地面に亀裂が走り、大気が震える。

 明らかに普通の人間の子どもの喧嘩ではありません。

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