二ノ環・西の大公爵6

「ブレイラ、初めての視察はどうだった? 困ったことはなかったか?」

「政務を楽しかったと言うのは違っているかもしれませんが、いろいろ見学できて楽しかったですよ。でも途中で予定にない場所に寄りたくなって、皆さんにとても迷惑をかけてしまいました。……ランディ様も見つけてしまった訳ですし」

「ハハハッ、ランディも予想外だったろうな」

「そうでしょうね」


 私も一緒に笑いましたが、一つだけ気がかりがあります。

 気がかりというか、申し訳なさというか……。


「……なんだか観光みたいで、少し申し訳ない気持ちになります。政務なのに楽しんでしまっていいのかと……。行く先々で歓迎してくれましたが、今日の視察の為にずっと準備をしてくれていたのですよね? それに、少し予定を変えるだけでもたくさんの人に迷惑をかけてしまって、申し訳ないなと……。っ、わああ!」


 次の瞬間、視界が引っくり返りました。

 視界に映ったのは天井。膝枕していたハウストがいきなり覆い被さってきて、勢いのまま押し倒されてしまったのです。

 大きなソファとはいえびっくりしてしまいます。


「なんですかいきなりっ。驚くじゃないですか!」

「怒るな。お前を妃に迎えられて嬉しいんだっ」


 ハウストは嬉しそうに言うと私に覆い被さったまま強く抱き締めてきます。

 なにがなんだか分かりません。でもハウストの声色は喜色に満ちたもので怒る気も削がれてしまいます。


「まだ正式に妃になったわけではありませんよ? 婚礼の儀式はまだなんですから」

「でも俺の妃になる。お前が俺の妃だ。こんなに嬉しいことはないっ」


 そう言ってまた強く抱き締められました。

 珍しく声も弾んでいて、子どもみたいな喜び方です。まるで宝物を発見した子どもみたいな。

 そう思うと私も愛おしくなってきて、ハウストの背中に両手を回して抱き付きました。


「なんですかいきなり……。変な人ですね」


 そう言いながらもハウストの広い背中を撫でてあげます。

 するとハウストは嬉しそうに私の頬や額へ口付けてくれました。


「さっきのことだが、お前は気にしなくていい。気にせず視察を続けてくれ」

「そんなあっさり……。気にしたから話したのに」


 ムッとして文句を言うと、ハウストが私の顔を覗きこむ。

 近い距離で顔を見合わせたまま教えてくれます。


「お前が行くことで民衆が注目する。それは監視にもなれば、今まで光が当たらなかった場所に光が差す切っ掛けにもなる。今日の孤児院も俺の妃が気にかけたことで注目されて寄付金が集まりやすくなるだろう」

「そうでしたか、そういう効果もあるのですね。たくさん寄付金が集まるようになれば嬉しいです」

「ああ、他にも利点がある。俺の妃が実際に行くことで中央はこの地を見ているという楔になる。辺境の地へ行けば、ここは忘れられた土地ではないという希望にも。中央から離れれば離れるほど、民の心と距離ができてしまうものだからな」


 視察をする意義を丁寧に教えられました。

 納得のいくそれに私の中にあった気がかりが薄れていきます。


「ありがとうございます。少し安心しました」


 ほっと安堵すると、ハウストは笑みを浮かべたまま唇に口付けてきました。

 そして私をじっと見つめる。


「お前を妃にできる俺は幸運だ」

「さ、さっきからなんです。あんまり言われると恥ずかしいですよ」


 さっきからそればかり。嬉しいですが頬が熱くなってしまう。

 照れてしまって軽く睨んでしまいます。

 するとハウストは赤い目元に口付けて、また嬉しそうに笑いました。


「お前を妃に迎える俺の治世は、どの時代の治世にも勝るとも劣らない開花と繁栄の時代になるだろう」

「そうですね、あなたは賢帝と称される王だと存じています」

「そうじゃない、俺一人では意味がない。お前だ。お前の勤勉さ、知性、慈愛、謙虚さは多くの尊敬を集めるものだ。それは俺の統治者としての力になる」

「わ、私はそんな良いものではありませんよ……」


 どうしましょう。重圧です。とんでもない重圧がかかりました。そんなに良いものと思われていたなんて……。

 ハウストはとても嬉しそうに褒めてくれましたが、私、あなたの妹のメルディナと取っ組み合いの喧嘩とかしていますよ? さすがに言いませんが。


「婚礼の日が楽しみだ。早く日取りを決めてしまいたい」

「今、フェリクトール様が調整してくれていますから」

「急がせるか」

「あんまり仕事を増やすと怒られてしまいますよ?」

「それもそうか……。フェリクトールは煩いからな」


 面白くなさそうな顔をするハウストに思わず笑ってしまいます。

 今日の視察では優れた統治者としてのハウストの一面が見えました。それは今まで私が知らなかったハウストの姿です。

 それはとても誇らしく素敵な姿でしたが、今、婚礼の日取りが未定なだけで拗ねるハウストは私しか知らないもの。この姿もまた愛おしい。


「ハウスト……」


 名を呼んで、ちゅっと頬に口付けました。

 私からの口付けにハウストが優しく目を細めます。


「どうした?」

「視察では今まで知らなかったあなたを知ることができました。あなた、素敵ですね」


 もう一度、今度は鼻先にちょんっと口付けました。

 至近距離にあるハウストの整った容貌に目を細め、その形良い輪郭を指先でなぞります。

 すると指が掴まれ、指先に唇を寄せられました。


「なにを知ったんだ?」

「ふふふ、秘密です。でも惚れ直してしまいましたよ? 秘密ですが」

「教えてほしいものだ。そうすれば毎日同じことをする」

「私に毎日惚れ直せと?」

「ああ。毎日、毎時、常に」

「なんですか、それ」


 おかしくて笑ってしまいました。クスクス笑う私に、ハウストも笑んでくれる。

 そして何度も啄むような口付けを落とされました。


「ブレイラ……」


 耳元で低く名を囁かれ、背筋に甘い痺れが走る。

 それは夜を意識させる声色です。

 もちろん拒む理由はなく、ハウストを見上げるとまた口付けられます。


「抱いて運んでやろう」

「えっ、うわあ!」


 いきなり視界が上がって、咄嗟にハウストの首に両腕を回します。

 私の背中と膝裏に回されたハウストの腕。ハウストの横顔を見上げてため息をつきました。


「……まったく、あなたは突然すぎるんです」

「それはすまなかった。待ち切れないんだ」

「そう言えば許されるとでも思っているんですか?」


 私はそんなに単純じゃありませんけど? じろりと睨む。

 しかしハウストは楽しそうに笑うと、私をじっと見つめます。


「まさか、お前を言葉だけで口説き落とすのは難しい。抱いた方が手っ取り早く伝わることもある」

「ハウストっ」


 直球過ぎて恥ずかしいです。

 でも訂正してほしいことが一つ、私は言葉だけでも充分口説き落とされていますよ。恥ずかしいので教えてあげませんけど。


「……まったく、あなたは」


 拗ねた素振りをするとハウストは喉奥で笑い、私の目元に宥めるように口付けてくれました。

 そのままなんとなく甘い雰囲気になって、至近距離で見つめ合います。

 啄むような口付けを互いに送りあい、まるで言葉を交わすような口付けに小さな笑みを漏らしあう。

 そんな雰囲気のまま抱かれてベッドに向かいましたが。


 バターン!!

「ブレイラ!!」

「うわああああっ!!」


 イスラです! 突然のイスラ!

 なんの前触れもなく登場したイスラに驚いて、ハウストの首からパッと腕を離しました。


「…………ブレイラ、なにをしてるんだ?」


 イスラがきょとんとした顔で私とハウストを見上げます。

 その視線に居た堪れなくなる。だって私はハウストに横抱きにされたままです。お姫様抱っこというものです。

 首を傾げるイスラに早く適切な答えを返さなくてはなりませんっ。


「な、なななにって、決まってるじゃないですかっ。ダンスです! ダンスの練習ですよ! 最近ずっと練習してるあれですっ。あれ!」


 苦しいながらも必死に言い訳しました。

 本当のことなど言える筈がないのです。


「……いつも、くるくるまわってるのに、だっこも?」

「くるくる回るのはワルツです。ワルツ以外のダンスには高く持ち上げたり、抱っこしたりと、いろんな動きをするものもあるのですよ。たくさん練習してきたので、ちょっと上級者向けのダンスに挑戦してるんです。ね、ハウスト?」


 嘘じゃありませんよ。実際そういう技を使ったダンスもありますからね、嘘じゃないです。

 ね、ハウスト? 至近距離でじっとハウストを見つめました。

 強く訴える私の目にハウストは苦笑しながらも、「そうだ」と頷いてくれる。


「そうだ。そういうダンスもある。落とさないように気を付けなくてはな」

「落とすと大変ですから、やっぱり体を鍛えることは重要ですね」

「ああ、舞踏は武闘に準じている。武芸と無関係ということはない」

「なるほど、さすがハウスト。勉強になります。イスラ、分かりましたか? 強くなるには必要なことです」

「う、うん……」


 イスラは納得したようなしてないような顔をしています。この話題をこれ以上長引かせたくありません。

 私は小さく咳払いし、「ハウスト、休憩しましょう」とハウストの腕からストンッと降ります。

 別の話題を探そうとして、すぐに見つかりました。

 イスラは丸めた画用紙を持っていたのです。

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