第5場 再会(3)
「それなら、ちょっと待ってください」
そう言って集一がジャケットのポケットから取り出したのは、鞍木の使っているものと似たような機器だった。
「あら、集一も携帯電話を持つようになったの?」
すると、彼は僅かに苦みを含んだ笑みで答える。
「鞍木さんが使っているのを見たミレイチェさんから情報が広がってジャーコモの耳に入ったらしくてね。財団から持つように言われて。そうしたら、何処から聞いたのか、母まで〝便利そう〟って言い出して、態々フランスまで運ばせて渡してきて、今回の帰国で日本に着いたら使えるか試してみるように言われているんだ」
「まあ……」
「それは、また……」
結架も鞍木も、返答を濁らせる。
携帯電話を渡す。それだけのために外国まで人を派遣する。そんな人物は、他にそうは居ないと思っていたのだが、こんな身近に存在したとは。
「そういえば、鞍木さんの携帯電話は、日本国内でも使えるんですか?」
「いや。イタリアで使っていた端末は会社に返したよ。でも、堅人が居なくなったんで、新しく持たされてる。国内用のをね」
集一が後で電話番号の交換をしたいということと、今から車内で通話しても良いかということを尋ねると、鞍木はどちらも快く了承した。結架も同意したので、集一は押しボタンを操作する。あまり待つことなく繋がった。
聞き慣れた声の応答に質問を幾つか重ねていく。
集一にとっては、一番に望ましい回答が返ってきたので、礼を言ってから電話を切る。
「鞍木さん。南青山に『
「そこに行くか?」
「宜しければ」
鞍木の反応は快活で、屈託がなかった。
「勿論、構わない。結架くんもいいだろう?」
その問いかけは、あくまでも形式的なものだったのだが、結架は生真面目に答える。
「ええ。だけど、突然にお訪ねしても大丈夫かしら。画廊には、お客さまが多くいらっしゃるでしょう。それに、お持ちするのに相応しいものは何かしら?」
集一は、世間慣れしていない結架の教則めいた思考に心のうちで笑みを浮かべた。礼節を重んじ多くの行儀作法の知識を備えていようとも、あくまで基礎原則にすぎない。実際に対した相手が、本則をなぞっただけの丁重さを無邪気に喜ぶ筈がない。だが、それは社交の経験を積み、人脈を広げながら彼らの好みや傾向を知り、柔軟な対処を可能とする自信を深めていかなくては育たない。限られた人間とだけの交流関係では、知識も選択肢も狭められるだけだ。
「気負わなくて大丈夫。ただ僕らが〝偶然、画廊で母と出くわす〟というだけだから。何も持参する必要はないよ。寧ろ手土産を準備するほうが不自然になるからね」
ほんの数秒間、結架は目をしばたたかせて集一を見つめたが、カヴァルリ家での様々な人々との交流という経験が理解に及ばせた。人と人の対面を〝
「わかったわ」
頷いた結架に微笑みかけてから、集一は鞍木に声をかけた。
「そういうわけですので、鞍木さんも、お気遣いなく。是非、ご一緒なさいませんか」
「そうだな……」
右折するために方向指示器を操作した鞍木は、安全確認に意識を割いていて、即答できなかった。それを迷いのためと感じた集一は情報を追加する。
「母が懇意にしている七宝焼絵画の作家が作品を出しているそうですし、画廊のオーナーも知人で、僕も多少の付き合いはありますし、従業員も顔馴染みばかりです」
今後の交友を考えれば、知り合う機会を持っておくのは有益だろう。そういった集一の計画的思考を読み取った鞍木は得心が行った。自身の望む方向へ他者を誘導するには、それを悟られないほうがうまくいくに決まっている。だが、そもそも好感を抱いているからか、それとも関係性からか、鞍木は彼を不快に思わなかった。それに、これまでの結架の思考類型からしても、訊けば十中八九ともに来てほしいと答えてくるだろう。そう考えれば答えは決まる。
「じゃあ、おれも同行させてもらうよ。いずれ挨拶するのなら、早いほうがいいだろうしな」
集一と結架の笑顔が同じ光度を放つ。バックミラーでそれを見た鞍木は、段々似てきたなと感じて笑い声を上げた。すると、二人がまたそっくりな表情をする。
「鞍木さん?」
訊ねる声まで綺麗に揃っていた。
そんな微笑ましい様子に、鞍木の笑いの波は、なかなか引かなくなってしまう。
人は好ましい相手に近づきたい、寄り添いたいと願う。傍にありつづける快さを維持するために感覚をも近づける。無意識な領域でも。だから、恋人や夫婦は、ともに過ごす時間や経験を共有していく毎に似てくるものだ。勿論、もともとの相性が悪すぎれば、限界があるだろうが。
イタリアでの二人も、たまに同調していたようだった。それが、日本では顕著に見える。
「君たちは本当に、お似合いの二人だよ」
心底からの感想を述べただけだが、二人の頬は仄かに色づく。顔を見合わせてから、
「光栄です、鞍木さん。ありがとうございます」
「私もよ。ありがとう、鞍木さん」
弾む声で応えた二人の指は、集一の膝の上で、しっかりと絡まっていた。
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